飛び翔ちてみな緑鳩となりゐたり
一生のどのあたりなる桜かな
吟行をご一緒している句仲間の三浦郁さんが、私の作品を色紙にと言いたいがハガキに書いてくださったもの。しかし、拡大しても十分見応えがある文字だ。あまりに素敵なのでご披露することにした。 もちろんご一緒した吟行のなかで得た句なので、覚えていてくださったのだろう。一句目は大礒の海岸に水を飲みにくる緑鳩を見に行った時のもの。
牛乳にりんごに日々の余寒かな 原石鼎
こんな石鼎句があるが、まさに、今週はじめからずっと余寒とか冴え返るという日々だった。まずは月曜日の連れ合いの退院の日の寒さも格別で、隅々まで暖房の効いた病院にいたものにとっては格別な寒さのようだった。
その翌日は夜の荻窪教室のあとの帰り道も雪混じりだった。
それが今朝は完全な雪景色。「わー」とばかりに携帯カメラに納めて、雪見物にもいかなければと、思い立った。顔を洗いながら、散歩コースの黒目川の景色を思い浮かべていた。
それなのに、朝食後に振り向いたら窓の外の雪景色はほとんど消えていた。
「なんて潔い引き際なんだろう」とあきれてしまった。これでは淡雪ならぬ泡雪である。やはりそれが春というんもんだ、と枝の鶫が言っていた。
「書いておかなければならないものがある」という意志を感じる一集である。
惑星の湧くまで夢のうがいする
南半球どたりとパンが湿る
段ボールの宿借りへその笛が泣く
雲一つ持って記号のミジンコでいい
缶コーラーの底へ地球のへその戦火
街じゅう花いちもんめの百円ショップ
一句目は壮大な宇宙と「うがい」という卑近な言葉を繋ぐことに驚く。それは二句目の南半球から「パンが湿る」に至る句にも言える。そうして、「書いておかなければならないものがある」という意志を感じる句集である、既成の俳句的な気分を持って作句する俳人たちに刺激を与えるだろう。
作者は1976年生れ・最近話題になっている《セレクション俳人プラス 『新撰21』 2009年12月 邑書林刊》のメンバーでもある。
春日向素知らぬ顔をして並ぶ
角曲がる度に出会へる薔薇の風
十薬をはみ出す闇の重さかな
片蔭の途切れ途切れに母偲ぶ
板の間を磨けば菊の香の届く
大寒や鉛筆の芯太きまま
ぞんざいに二百十日の沓並ぶ
抽出してみると、自然をいたわり見るまなざしが生みだした作品であるのがわかる。著者は「吉野」創刊主宰。帯にーー俳人でない人も共感できるよう表現してきたーーと書きしるしているように、平易なことばで詠んだ作品集である。
子規新報に連載していた「虚子百句」をまとめたものである。こういう本が文庫本であることはありがたい。折に触れて一句だけを読み、また折に触れては読み継ぐというのに適しているからである。
本書は一句の鑑賞を一ページづつに纏めている。はじめに俳句に書かれた一七文字を作品鑑賞、後半は作品成立の事情を書いている。
虚子という作家の偉さは、こうして100句選んだときのどの句も優れているからである。もちろん著者の百句を選ぶ選句眼ということもあるが、百句の隅から隅まで秀句というのは虚子以外にもあるだろうか。
昨夜ベランダから往来をみていたら車の光の中に雪が舞っていた。かなり大きな牡丹雪だったので、少しは白くなるのかなと思った。外の雪の気配を感じながら家の中ではようやく、客用の寝具の手入れが済んだ。娘たちが手術日に泊ったときのままになっていたものだ。やっと和室がすっきりしたところで、ふたたび外を覗いたが、ちらとも雪の痕跡がない。錯覚だったのだろうか。
もう一つの締め切りがある。と言っても原稿ではない。連れ合いの退院に伴う我が家の受け入れ体制である。そう言うと特別な環境を整えなくてはならないように受け取られてしまいそうである。要するに入院前の状態に我が家の環境を戻さなくてはならないのだ。
独りでいると、家中がきりもなく私室化してしまうのだ。それまでリビングの隣が私のパソコンを使う部屋だったが、ひとりになるといつの間にかリビングにはみ出してしまっていた。ノートパソコンの簡易さと無線の便利さが加わったから余計自在に移動できるのだ。真ん中にテーブルを据えると、その周りを砦のようにいろいろなものが重なっていくばかり。毎日、そのテーブルと部屋の端に置かれている食卓の間を行き来する怠惰な暮らしになっていた。しかし、月曜日が退院と決まったので書斎を後退しなければならない。
ほんとうはもう一つ締め切りを決めないといけないものがある。もう長いこと家じゅうの襖の張り替えをしなければと思っていながら果たせない。経師屋は我が家から数分のところにある。一声かければ済む簡単なことなのだ。しかし、家じゅうの襖を外すということは、家じゅうの押し入れが裸状態になるわけだ。別に見られて困るようなものもないのだが、少しは整理が必要なのだ。その一事ができないために経師屋さんに依頼にいけない。
ほんとうは、連れ合いの退院日のように経師屋さんに依頼してしまえば、それが締め切りになるだろう。しかし、人生の締切日は何時になるのかわからない。角川書店の新年会でお目にかかったばかりの山田弘子さんが亡くなった。俳誌「円虹」主宰、「ホトトギス」重鎮だった。
昨日も今日も風の一日。窓から眺めていると木枯らしのようだが、戸外に出てみると、思ったほどの冷たさではない。やはり春は確実に訪れている。この風も夜は静まってことりともしない。
パソコンも基本的なことはようやく使いこなしてきたが、細部の、たとえばデスクトップの画面を思うようには変えられない。メール設定が、気に入るようにならない。インストールしたハガキソフトが使いこなせない、などなどたくさんある。
そのうえ不可解なことも起こる。送ったはずのないメールの返事が来る。そんなことはよくありますという人もいるだろう。私に来るはずではないメールが来て困ったことがあった。しかし、私のはお見舞いのメールへの返信なのだ。手が滑って隣のアドレスをクリックしてしまうはずもない作業なのである。ボケたんじゃないのなんて言われそうだ。
とりあえずは、わからないことはメモをしておく。いちどパソコン教室ですっきりさせよう。ほんとうは、このパソコンを買ったときに電話で問い合わせが出来るシステムに申し込んでありるのだが電話がつながらなくて、一度も利用していない。
それでもとにかく、石鼎ブログも滞りなくアップ出来るし、ホームページ投句も受け取れる。やれやれ・・。
夕食のあとのニュースを見ながら
「永田町には雪が降っているんだ」と娘が言うから
「いやー、あれな前日のでしょう」と私は言った。
「いやいや、今日のです」
娘がそう言ったので、東京がまた雪に見舞われているのだと思った。
ところが真夜中に外を見たら、解けたはずの藪が雪をかぶっていた。
それで、あの会話をしている同じ時間帯にわが地域にも雪が舞っていたことを知った。
夫の手術は無事にしかも予定通り。朝、義妹が一緒に立ち会ってくれると車で迎えに来てくれた。「ひとりで大丈夫だから」と言ったが、それでも何かあるといけないからいう。そうして、娘も朝早く仙台を発ってやってくるというので、「来なくていい」と言ったのだが、やっぱり一家でやってきた。総勢で立ち会っても立ち会わなくても、手術の結果はかわらないのに。
肺は呼吸器だから、袋のような状態を想像したが、切除したものを見たらレバーのようだった。前日の説明で組織を取り出して、初期だったら15パーセントほどの切除。それより進んでいたら23パーセントの切除と言っていたが、15パーセントで済んだようだ。
しかし、前日の医師の説明では、23パーセントのほうが手術としてはやさしいらしい。なぜかというと肺は蜜柑の房のような構造をしていて、23パーセントのところはひと房なのだという。しかし、今回の手術はひと房の半分位をとる区域切除なのだ。想像してみるれば、確かにややこしい手術だ。8時に手術室に入って、出てきたのは午後2時だった。たしかに一人で待つのでは辛かったかも知れない。
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