2007年9月 のアーカイブ

「ランブル」十周年祝賀会

2007年9月29日 土曜日

昨日は、上田五千石の愛娘、上田日差子さんの「ランブル」10周年の祝賀会。アルカディア市ヶ谷 で夕方から始まった。五千石氏とは原裕先生が親しくしていたことから親近感を抱いていたが、日差子さんとのご縁は、随分昔に訪中団としてご一緒に中国の旅をしたことにはじまる。20年近く前だっただろうか。

偶然にも、こんどの「ににん」28号には、そのときの想い出を執筆していただいている。30代で主宰になった若い日差子さんをたすけようという気の漲った会場は、落ち着いた細やかな気配りがあった。多分五千石氏の弟子だったであろう、年輩の方々が、きりりと立ち廻っていた。主宰をしながら、子育てもやりこなしてきたのは立派である。

挨拶もそうしたことに焦点をあてる人は多かった。山本健吉の娘さん、といってもかなりな年輩の山本安見子さんは、五千石氏は太陽とか向日葵のような人物だったが、仕事でご子息に出会ったら、同じように太陽か向日葵だった。そのうち五千石夫人にも出会ったが、やはり太陽か向日葵みたいな人だったと語る。そして日差子さんは、それに劣らぬ太陽か向日葵みたいな人物という言葉に頷いた。

ランブルは10周年ではじめて、こうした会を開いたということだったが、それぞれ大きな節目を感じる時期というものがあるのだろう。

句集

2007年9月28日 金曜日

現代俳句文庫62‥‥ 坪内稔典句集Ⅱ 昔、川崎展宏先生に平行な線路を平行に走るだけで終わっては詰まらないと口癖のように聞かされてきた。坪内氏の俳句の面白さは、平行の線路から必ず外れるからである。取り合わせの妙があるからである。

こんもりと百年があり野ばら咲く
数学の定理はきれい露草も
月光の折れる音蓮の枯れる音

~~~~~~~~~~~~
永島理江子句集「明王」 富士見書房刊

原石鼎に出会っている鹿火屋人というのは、もう殆どいない。その数少ない石鼎に出会っている鹿火屋人である。10代から「鹿火屋」一筋に研鑽してきた句風は、さすがにゆるぎのない名工のような作品群を成している。「鹿火屋」主宰の亡き後は「原宿春秋」の代表として、「琉」同人として活躍している。

原コウ子に学び、句会で遅くなったときには、現在の二ノ宮の石鼎庵に泊まったこともしばしばだったという。石鼎夫人の第一の弟子と言ってもいい。

もの言ひて薄暑の衿をゆるめけり
春暁や紐解くやうに水流れ
待針に待たれつづけて目借時

一見見過ごしそうなさり気ない表現だが、技のある句が並んでいる。

~~~~~~~~~~~~
田中久美子句集「風を迎へに」  ふらんす堂刊

不自由な千手観音大南風
バカみたいと言つて花冷え抱き寄せる
白地着て風を迎へにゆくところ
金魚死に絶えし家にて昼寝覚
蜻蛉を光の傷と思ひけり

どこを繰っても、感覚の冴えを見せる句、発想の面白さを感じさせる句が並ぶ。
「知音」所属。昭和三六年生まれ。

山之口 漠 2

2007年9月26日 水曜日

今日の正津ゼミは山之口漠の第一詩集「思辨の苑」。
知らなかった。1938年頃の沖縄人は日本の中で、当時は朝鮮人と同じくらいの差別があったらしい。沖縄生れの漠はその差別の中で、ホームレスのような生活を16年ほども続けながら、詩を書き続けていたのである。

この作家の詩は何度読んでも面白い。書いているのは、昨日ブログに一編とりあげた内容に近いものばかり。読みながら笑いがこぼれる。そして最後の一行で、もういちどニヤッと顔がほころんでしまう。その反転がうまい。描いているのは貧しい生活ばかり、そして青年らしい欲望で、早く結婚がしたいなどという切実なもの。だが、そのどれもが読むたびに笑えるのは凄いではないか。文芸の呼吸をこんなにわきまえた詩人はめったにいない。

本来、悲しいことを、悲しそうに書いたって詰まらない。かなしいことを面白く書くということが、本当の意思を伝えられる文芸作品となる。俳句などは、この呼吸を掴んだらきっと面白い作品が生れるだろう。現在の俳句は生真面目すぎる。生真面目な作品を理屈で鑑賞している。俳人は、みんな文芸という言葉を忘れている。

山之口漠は、どういう位置で詩をかくのだろうか。自分のことを書くときには、誰でも己との距離感を持つ。その距離感が、極めて低い地べたの、それも己を傍らに置いて詩にしているようにも一見思えるのだが、果たしてそうなのだろうか。

山之口 漠

2007年9月25日 火曜日

このところ山之口 漠の詩ばかり読んでいる。正津ゼミの課題でもあるが、とにかく面白い。
正津さんは、この詩人の影響を随分受けているのだろうな、と読み始めてすぐに思った。文体も似ている。そういえば、「ににん」の俳句のテーマが「漠」だったときには、全ての句に山之口 漠の名を詠み込んでいたのではなかったろうか。

この詩人の特異性を語る人は多い。茨木のり子は「漠さんがゆく」という一書をなし、獏さんを知っていた人たちは、みんな声をそろえて、かれのことを「精神の貴族」だったといっているらしい、と書いている。
何しろ、一編の詩を書くのに四年もかけるので、詩集もあまり無い。第二次大戦の最中に詩を書かなかったのは金子光晴と山之口 漠ぐらいだったとも言われている。

きわめて平明な詩。なにか切ない詩。せつないのに、何だか笑えてくる詩なのである。その余裕が「精神の貴族」といわれる所以なのだ。とにかく体の中が熱くなるような詩である。一編だけ書き込んでおこう。

  妹へおくる手紙

なんといふ妹なんだろう

ーー兄さんはきつと成功なさると信じてゐますか。とか
ーー兄さんはいま東京のどこにゐるのでせう。とか

ひとづてによこしたその音信のなかに
妹の眼をかんじながら

僕もまた、五、六年振りに手紙を書こうとはするのです

この兄さんは
成功しようかどうしようか結婚でもしたい
と思うのです

そんなことは書けないのです

東京にゐて兄さんは犬のやうにものほしげな顔をしています

そんなことも書かないのです

兄さんは 住所不定なのです

とはますます書けないのです

如実的な一切を書けなくなって

とひつめられてゐるかのように身動きも出来なくなってしまひ
満身の力をこめてやっとのおもひで書いたのです

ミナゲンキカ

と、書いたのです。

句集

2007年9月22日 土曜日

今井聖句集 『バーペルに月乗せて』 花神社  
なにはさておき、今井聖氏らしい句集名。

黒牛の片側ばかり落花付く
キャベツ抱へて潜水艦の遭遇す
空蝉の中灯りたる壕のごと
締切をとうに過ぎたる焚火かな
びしよ濡れの鼠がとほる秋の虹
下山して春の焚火に加はりぬ

帯にある「言葉から言葉以上の思いが湧き出す奇跡を‥‥」
という言葉に照らしながら、納得している。
  ~~~~~~~~~~~

日下野由季 『祈りの天』 ふらんす堂  
        序 高橋悦男 栞 片山由美子

吾亦紅しづかに花となりにけり
引く波は見えず十一月の海
星凉し夜空に沖のあるやうな
着信のごとく蛍の点りけり

昭和52年生まれ。学生時代に俳句にかかわり始めたせいか、言葉が無理なく使われていて、捉われないで眼前の対象物を詠んでいる。

    ~~~~~~~~

和田耕三郎句集 『青空』 ふらんす堂 
 
 耳の中大き枯野のありにけり
 うぐいすの鳴くときの脚見えにけり
 鶏頭を剪り青空の流れ出す
 秋風をしきりに見つむ赤子かな
 花合歓に両手の力抜きにけり

昔から変わらない、静かな呼吸で静に詠む。
    ~~~~~~~~

小西敬次郎句集 『芋頭』 ふらんす堂

何気なく踏んで城趾の桜蕊
うしろにも山のありけり花辛夷
囀りや覗き見もして如来像
声に火を点けて野焼の人動く
夜桜や下戸が上戸を誘ひけり
干梅の 向うを猫の通りけり

まだまだ拾えるのだが、滋味という言葉がどの作品からも感じられて嬉しくなる。
    ~~~~~~~~

世界俳句協会  3

2007年9月20日 木曜日

外国の俳句が三行詩という認識になっている印象を前日書いたが、当の外国の人達は俳句をどう受け止めているのか。2日目の午後は、明治大学の講堂でそれぞれの国の俳人たちが講演を行なった。

みんな長いスピーチなのだが、私が関心を持った部分だけを抽出してみれば、大まかにはやはり三行詩という捉え方、短く圧縮された詩形ということに魅力を持って注目をしているように思えた。

オルランド・ゴンザレス・エステヴァ(キューバ)さんは自分の知っているスペイン語訳は、直訳で美しくない。とその翻訳に触れているところが印象に残った。

ジム・ケイシャン(米国)さんは現在の状況下では俳人が大手の市場で活躍する機会はないといってもいいし、自費出版が主流を占めている、というのが印象に残った。本家の日本だって、句集は自費出版が普通である。

ラトヴィアの俳句を紹介した人もいた。

おはよう、と言った。
お前の夕暮れが
私の朝

私たちは見たものを書く。
しかし言いたいのは
雑草のこと

夏の晩は
冬の昼ほどの暗さで
私はそれらに似てゆく

朝になれば湖は
真っ黒な牧場みたいだ
眠れない花々でいっぱいで

夏石番矢さんもこれらの三行詩という印象を意識した発言をしていた。自由形式の3行詩と自由形式の俳句との問題は、世界俳句にとって緊迫した問題。しかしたしかにその違いは存在するのだと締めくくっていた。

風土の違う国の人が日本人と同じ俳句を作れるはずが無い。 内側から見た俳句、外側から見える俳句、という捉え方でみればいいのではいだろうか。

世界俳句協会 2

2007年9月19日 水曜日

俳句ということばは世界中で「ハイク」と発音されている。「スモウ」「茶道」などとともに日本から発信された文化である。「スモウ」「茶道」はその形が分かりやすくて、とりあえずそのまま形式として伝えられる。

しかし、俳句を伝えるのは難しいだろうと思う。日本の風土の中から育った文芸なのだから。外国の人は、そのどこを捉えて俳句と認識しているのかといえば、17音だけのように思える。気候も文化も違う国で理解されるのは、そういうことになるのは、仕方がない。

以前、中国やヨーロッパを訪れてその国の俳人との交流会に参加した。中国などは漢俳(カンパイ)と呼んで漢字が17個並ぶ。翻訳すれば中国が一番長い文章になるのだろう。

ドイツで交流会を開いたとき、ドイツ人がそれをなぜ俳句とよぶのかを訊ねてみた。
そうしたら作品を音読しながら、その音を指を折り曲げながら数えていた。やはり17音ということが俳句の一番の認識なのだ。

だが、基本的にはいくら外国語で俳句を詠んでも、翻訳した場合に日本語の定型にはおさまらない。三行詩である。その短さそのものが魅力なのだ。

世界俳句協会

2007年9月16日 日曜日

 世界俳句協会2007年大会は日本。上野鴎外莊と明治大学で三日間行なわれた。見知って居る人は、山崎十生・八木忠栄・大井恒行氏など。出版社の方もいた。他にも、正津さんのゼミのお仲間がいたのにはびっくりした。前からの会員なのかと思ったら、「ににん」のホームページから、世界俳句協会へたどり着いたようだ。

世界俳句協会は夏石番矢氏が一人で立ち上げたようなもの。それも世界に発信している。夫人の鎌倉佐弓さんがサポートしているようだ。 大変なエネルギーが必要なのではないだろうか。

私はといえば、誘われたから参加している、というのが実情である。何故って、外国語は全く出来ないし、自分の句を外国語で作ろうなんて全く思っていないのだ。会場にはいろいろな国の方が居たのだが、私などは会話が成り立たないから、霞の中にいるようなもの。パーテイではただむしゃむしゃと食べるしか能がない。

世界俳句協会は三日間あるのだから、今日も午前中は鴎外莊でお別れパーテーイが有るはず。私たちの仲間は入会している人も居ない人も含めて、14日の夜は竹橋のKKRホテルに宿泊をして、東京吟行もかねた2日間の合宿となった。みんな東京から遠い人ではないのだが、皇居を見下ろす眺望のホテルでワイワイとしてきた。お濠の水がエメラルドグリーンだった。

昭和記念公園

2007年9月11日 火曜日

コスモスが咲いた。と言っても昭和記念公園の話。
園内の入口にたどりついて、こんなところだったか、と思いながら入園券売り場へ足を向けたとたんに、真上から栃だかマロニエだかの実が,2個落ちてきた。当ったら危ないと思うような大きさである。

そんな大きな実があるなら、もっとあるのではないかと思ったが、見当たらないところを見ると既に、取り尽くした後なのかもしれない。何といってもあの大きな実が高いところからぼたぼた落ちてきたらアブナイ。

栃とマロニエとはどう違うのか。見た目の葉の形では見分けはつかない。いつも宿泊するたび栃餅を搗いてもらう秩父の山奥の民宿のあたりは、栃の木がたくさんある。花の色は黄色で地味である。

マロニエは華やかな牡丹色。ヨーロッパの5,6月ごろの旅では、いたるところで大木のマロニエに会う。たぶん、昭和公園の入口の木も、赤い花の咲くマロニエだろう。それもこんなに実をつけるのをはじめて知った。

入口から暫くマロニエ並木。そのあと銀杏並木がつづく。これも今は銀杏の実が落ちはじめて、拾うつもりならいくらでも拾える。園内は閑散としていて、レストランも静で落ち着けた。

地図で見渡すと、「霧の森」なんていうのがあるのである。案内書には、『突然、真っ白な霧がたちこめれば、そこはメルヘンの世界。童話の主人公になれるかな?」というコメントがある。霧の森に霧がでる時間は、(00分)と30分から、15分間。』案内人は、それは子供広場だから、と全然興味がなさそうだったから、行かずじまいだった。                    

ににんへ

今日も無事に終わった

2007年9月8日 土曜日

リニューアルをしたホームページは基本的には、今までどおり私が管理することになる。今までの管理の仕方は「ホームページビルダー」というソフトを頼っていたが、それでも案外最初はつまずいたものだ。でも、今回このホームーページを作ってくれた沙綺さんは、ソフトを使わなくても出来るからというのだが、とても無理よと思っていた。

何故って、一度でも、その画面を覗いた人なら想像つくと思うのだが、記号化したアルフアベットの羅列の中に、必要な文字を入れていくのだから、意味さえも分からないのである。とても無理だわと、何度も呟いた。その思いが通じたのか、今朝になって、今から電話で入力の仕方を伝授するから、というのだった。

それから、何度も開いては閉じていたチンプンカンプンのフアイルを言われるままに開けた。今回入力するのは、投句欄の鑑賞と予選句の入力である。記号の中からお目当ての文字を探し出して、必要な文字を入力していった。とは言っても、その画面では、どのように表示されるのか、想像もつかない。アルフベット記号の羅列の間に、日本語が入っているだけなのだから。

でも、不思議やホームページを開けてみると、行儀よく文字が並んでいた。電話の向こうとこちらで、思わず「おー」と歓声をあげた。一日が今日も無事に終った。

ににんへ

トップページ

ににんブログメニュー

アーカイブ

メタ情報

HTML convert time: 0.129 sec. Powered by WordPress ME