山之口 漠 2

今日の正津ゼミは山之口漠の第一詩集「思辨の苑」。
知らなかった。1938年頃の沖縄人は日本の中で、当時は朝鮮人と同じくらいの差別があったらしい。沖縄生れの漠はその差別の中で、ホームレスのような生活を16年ほども続けながら、詩を書き続けていたのである。

この作家の詩は何度読んでも面白い。書いているのは、昨日ブログに一編とりあげた内容に近いものばかり。読みながら笑いがこぼれる。そして最後の一行で、もういちどニヤッと顔がほころんでしまう。その反転がうまい。描いているのは貧しい生活ばかり、そして青年らしい欲望で、早く結婚がしたいなどという切実なもの。だが、そのどれもが読むたびに笑えるのは凄いではないか。文芸の呼吸をこんなにわきまえた詩人はめったにいない。

本来、悲しいことを、悲しそうに書いたって詰まらない。かなしいことを面白く書くということが、本当の意思を伝えられる文芸作品となる。俳句などは、この呼吸を掴んだらきっと面白い作品が生れるだろう。現在の俳句は生真面目すぎる。生真面目な作品を理屈で鑑賞している。俳人は、みんな文芸という言葉を忘れている。

山之口漠は、どういう位置で詩をかくのだろうか。自分のことを書くときには、誰でも己との距離感を持つ。その距離感が、極めて低い地べたの、それも己を傍らに置いて詩にしているようにも一見思えるのだが、果たしてそうなのだろうか。

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