2008年3月 のアーカイブ

2008年3月25日 火曜日

朝ゴミ出しに出たら、なんだか風景がぼやけている。あれ!と思ってふり向いてみたが、その方向もかすんでいた。春霞だ。こんなときには川のあたりにいくともっと、深いのではないかと思う。桜も勢いづいて開花するだろう。

昼近く朝霞駅に立つと、霧で電車が遅れているというテロップが流れていた。きっと朝の濃霧の混乱がまだ尾を引いているのだ。若い女性の携帯の会話が耳に入ってきた。

「なんだか霜で、電車が遅れてるみたいよ!」

ーームムム、霜‥‥霜で電車は遅れない!!--

このところの陽気は、暖かいのか寒いのか判断しにくい。動けば暖かいのだが、動かないとなんだかひやひやとした空気に包まれる。まさに花冷えというもの。車窓にいくたびも開花しはじめた桜が通り過ぎる。

     花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月

石鼎の句集名は「花影」だが、そのわりには桜を詠んでいない。この句の隣には

     花の戸やひそかに山の月を領す

これだって花そのものではない。 そう思って句集を開くと、ほとんど桜を詠んでいないし、思い出す句もない。最初に名句を作ってしまうと、その季語は詠めないのだろうか。                                                                                                                                                                                                                 

句会

2008年3月23日 日曜日

 今日の句会にSさんが連れてきた高校生。俳句甲子園とかで俳句に深入りしはじめたようだ。出会ったらすぐSさんが岩淵さんの句集を買ったらしいわよ、というのだった。わたしごときのを買う位だと、相当のめり込んでいる。しかも入る結社まで物色している。

「件」とかいう結社はよさそうに思う、というので、Sさんと爆笑してしまった。ぜんぜんまだ俳壇を知らない。明るくて好感度のある17歳の少年だ。句会での俳句の選評も堂々としたもの。春休みを利用して、東京の俳人たちを表敬訪問しているらしい。でも来年は高校3年生だから、取り敢えずは受験勉強を優先させたほうがいい、というのがSさんと私の一致した意見だった。

若いというだけで、ちやほやされて特別視されて気持ちよくなる土壌が、現在の老齢化した俳壇にある。だが、俳句なんて、そんなに若いときからやらなくてもいいのではないかと思う。いつだったか10代で句集を出した少年が居たはずだが、その後どうなったのだろうか。

、五句出句するここの句会は、3時から6時くらいまでかかる。そのあとは飲み会がきりなく続くという長丁場だから、それで風邪をひきそうになるから、冬は休みがちになる。そのうえ呑めないわたしは、ほどほどのところで一人引き上げる。それでも帰宅は10時過ぎた。明日は藤沢で、これも月例の吟行会。目覚まし時計を二つセットしなければ・・・。

花なずな

2008年3月22日 土曜日

nazunano2.jpg 

春に鶯が鳴くのは不思議ではないのだが、我が家のちかくでは毎年5月に啼きはじめる。それがどうしたことか今年は既に啼き始めた。ぼつぼつ、という感じではあるが。夏にはどうなるのだろう。

黒目側の桜も1本の樹に一つぐらいの花が開いているから、来週はきっとお花見時の賑わいになる。すでに雪洞の用意をはじめている。

それより今日は、畑の一遇が薺の花の満開。

 

石鼎の俳句論

2008年3月21日 金曜日

荻窪のカルチャー教室は一応初心者用ということではじめたので、基本的なことを言うに止まる筈だった。しかし、文芸というものは、初学の基本だけでは済まない問題を抱えている。例えば、「物で語れ」といういい方は、虚子の客観写生と同じ方法論だ。だがそんなに単純にはいかない。

      遅き日のつもりて遠きむかしかな     蕪村
      さまざまのこと思い出す桜かな      芭蕉
      湯豆腐やいのちのはてのうすあかり   万太郎
      朝戸繰りどこも見ず只冬を見し     原石鼎

こうした句を前記の論理に当てはめていくと難あり、という風になりそう。文学に初学も奥義もないのである。原石鼎はあまり論理家ではなかったが、作句の方法を自分の気持ちに沿うことを第一義にしている。

ーー文学的に最もよい俳句を作る、といふ、其「最もよい俳句」といふ観念の中には當然、在来の俳句に比してどこかに一歩新しく進んでゐるといふことが含まれてゐなければならぬ。而して斯かる条件が加わつてゐる以上、何處から何處までといふ既知の範囲から決して何等の拘束、制限をうくべき筈のものものではない。

それで、最初は、斯ういふ事柄は俳句に詠まれ得るか、又は俳句に詠んでも差支ないのか、といふ様な事に拘泥するよりも先づ自分の心に「面白い」、「慕わしい」と感ずることを句に作つてみることが第一であろう。そして、それが「最もよき俳句」になり得さへすればそれで十分ではないか。元来私は、事柄が俳句を作るのではなくて俳句の持つ形式と約束とが俳句を作らしめるのではないかとさへ思ふことがある。(俳句文学全集 原石鼎編)ーー この中のことに「斯ういふ事柄は俳句に詠まれ得るか、又は俳句に詠んでも差支ないのか、といふ様な事に拘泥するよりも先づ自分の心に「面白い」、「慕わしい」と感ずることを句に作つてみることが第一であろう。」という箇所が好きである。自分が面白いと思えなくては、創作をやる意味がない。石鼎の実作から出た言葉は確かな重みがある。

陸沈

2008年3月20日 木曜日

このところ句集『嘘のやう影のやう』の反響は、齋藤慎爾氏の栞の陸沈という言葉に集中している。感嘆というか、絶句するような驚きというか、とにかく私自信も吃驚するようなはじめての言葉である。17日に書いた俳句鑑賞の転載でも、齋藤慎爾氏のしおりに心をゆさぶられたと書かかれているとおり、陸沈を流行らせる仕掛けになるだろう。

ところが 知る人ぞ知る言葉で、永田耕衣の最後の句集は「陸沈考」である。鈍間で口下手で非社交的で、何処にいても目立たない私を、最高の論理でつじつまを合わせてくれた齋藤慎爾さんは天才である。

何故齋藤さんに栞をお願いしたかといえば、俳壇の輪から外れた人、それでも俳句鑑賞のできる人物と思って見渡したら齋藤慎爾さんしかいなかったのである。だから、もし、断られたらもうほかに頼む人というか、頼みたい人はいないので栞無しで発行するつもりだった。

齋藤慎爾とい人物の認識をどのくらい知っていたかといえば、深夜叢書という出版社を持っているらしい。俳句も以前は作っていて句集もあるようだくらいの漠然としたことしか知らなかった。

一番新しい仕事として知っているのが、「二十世紀名句手帖」八巻の編集者だということ。ほんとうにアバウトな情報。まさに陸沈を地でゆく認識の無さだった。そう思ったのは、以前は全く目に入らなかったやたらと字画の多い齋藤慎爾とう名前が書棚から目につくようになったからである。

例えば瀬戸内寂聴との共著「生と死の歳時記」。生と死にかかわる古今の俳句と二人の文章が面白い。そこで食わず嫌いだった瀬戸内寂聴の文章に引込まれながら読み耽った。中でも瀬戸内寂聴の序文で、齋藤慎爾氏を浮き彫りにしている文章がまた面白い。

ーーだいたい齋藤さんは人間の姿をしているが、私には妖精にしか思えないのでーー嫁ももらわなければ(深夜叢書)なる怪しげな城にひとり立てこもり、御飯なども食べているのやらいないのやら。つまり人間でないから、霞と夢を食べて生きているらしい。--この本はそういう妖精の昼寝の夢から生まれたものであろう。すべて妖精の手品に頼って出来上がった本なのでーー(瀬戸内寂聴)

ご自身の句集も数冊。編者略歴には「現代俳句の世界」・「アサヒグラフ増刊」やらを初めとして齋藤慎爾編「俳句殺人事件」「短歌殺人事件」「永遠の文庫 名作選 (吉本隆明・多田智満子ほか)・永遠の文庫傑作選 (吉本隆明・渡辺京二ほか)大衆小説文庫名作選(植草甚一・種村季弘・澁澤龍彦ほか)など、上げたらきりがない。とにかく凄い量である。いやーこれを先に知っていたら、もしかしたら躊躇ってしまったかもしれない。 知らなくてヨカッタ!!

あちこちから

2008年3月17日 月曜日

船団ホームページ  「今日の一句 」 2008年3月16日

木の芽風埴輪の肌に刷毛の跡    (季語/木の芽風)      岩淵喜代子

 木の芽は冬でも夏でもあるが、名も知らない木の芽はやはり春。風をうけてその微かな香りを運んでいる。風がいにしえの埴輪にふと触れると、まるで、その木の芽風がつけたかのような、微かな刷毛の跡。その目の付け所が素敵。埴輪の手とか口の穴、とかではなくなぜ付いているのか、目的のない飾りの刷毛の跡。それゆえにその刷毛の跡から古代の人の手のぬくもりに、ずーんと想像は飛躍した瞬間、現代の木の芽風と古代人が邂逅する。
 今日の句は『嘘のやう影のやう』(平成20年2月 東京四季出版)から引いた。「みな模倣模倣と田螺鳴きにけり」「ゆく春のふと新宿の曇空」「桜咲くところは風の吹くところ」など静かで涼しげな哀しみを感じさせる句が多い。齋藤慎爾が孔子の言葉「陸沈」を引用して喜代子を賞する栞に心揺さぶられる。(塩見恵介

                ~★~★~★~★~★~★~★~★~

毎日新聞 2008年3月2日

◆私の3冊

 ◇短歌
寺山修司未発表歌集『月蝕書簡』(岩波書店)
 『木俣修研究』創刊号(木俣修研究会)
 中西進著『美しい日本語の風景』(淡交社)

 戦後の青春短歌の旗手寺山の未発表短歌をマネジャーだった音楽家田中未知さんがまとめた。寺山の40代の短歌に注目。『木俣修研究』は22ページの小冊子ながら、人間性あふれた歌人を再評価。古典研究の中西氏が「かぎろひ」など古来の美しい言葉の風景を描く。井上博道氏の写真も。

 ◇俳句
『俳句研究』春の号(角川SSコミュニケーションズ)
岩淵喜代子句集『嘘のやう影のやう』(東京四季出版)
 小川涛美子句集『来し方』(角川書店)

 昨年9月号で休刊の『俳句研究』が季刊で再刊。ただし書店に置かない直販方式。大石悦子氏の力作評論も継続された。俳句を読む読者の増大を図る。岩淵句集は冷静に鎮められた目。中村汀女創刊『風花』主宰の小川句集は、緩やかな季節のめぐりの味わい。

 ◇詩
朝倉勇詩集『散骨の場所』(書肆山田)
高橋順子著『花の巡礼』(小学館)
楊牧著『奇莱(きらい)前書』(思潮社)

 叙情の名手朝倉氏の加齢の味わいと等身大の言葉のよろしさ。栞(しおり)は清水哲男氏。『雨の名前』『風の名前』などの著書のある高橋氏が、北原白秋、荻原朔太郎らの花の詩を紹介しエッセーを添えた。台湾詩人の楊牧氏が、少年時代を思い起こして記した回想。複雑な歴史を抱え込む母国でいかに悲しみと詩が生まれたか。切実な一巻。上田哲二訳。

秋山巳乃流さんのお別れ会

2008年3月14日 金曜日

今日は秋山さんのお別れの会。250人くらいの人が集まったらしいが、あまりいろいろな人とお話する機会が無かった。というよりも、あまり知った人が居なかった。「河」の会員なども多かったせいかもしれない。

それに、出合った元鹿火屋の会員だった年輩の方が目が悪くて、あまり物がよく見えないらしいので、そのそばを離れられなくなっていたせいもある。だからかえりも彼女を促して早めに地下鉄の駅まで送っていった。

偶然だが、私の三回の中国旅行は、いつも秋山実さんがご一緒だった。始めての中国は何年前だったか。最近「ににん」に上田日差子さんのその中国旅行の寄稿を頂いたのを見ると、昭和63年だった。20年前だ。句集「花西行」の年譜で見ると47歳だった。

四十代だったのだ。あたりまえのことだが、しみじみと若かったのだと実感した。秋山さんの一番輝いていた時代。一番実力を発揮した時代である。その年譜の平成十四年度の上海旅行にはなんと同行者として私の名前も記入してあった。

年譜にはなかったが、上海行の前年、平成13年度にはトルフアン・ウルムチ・そして天山山脈の途中まで登るという大規模な旅をした。一句だけ覚えていた句が収められていた。

   鳥けものあはぬ秋なり絹の道    巳之流

旅も吟行も随分一緒にしたことのある秋山夫人にお目にかかったら、ご子息を紹介してくださった。端正な青年。秋山素子さんからいつもお話を聞いていたので、初対面とも思えない気がした。それはご子息のことだけではなく、秋山実さんの話題もよく上ったので、なんとなく、秋山家の空気だけはずーっと感じていたような気がした。お別れの会の一日は、降ったり止んだりの天候だった。、

文庫本になった その2

2008年3月11日 火曜日

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日本ペンクラブ編『わたし猫語がわかるのよ』光文社文庫

収録作家
・浅田次郎「百匹の猫」
・太田治子「チャアおばさん」
・下重暁子「猫想い」
・岩淵喜代子「八重桜」
・志茂田景樹「艦長モモの死」
・米原万里「白ネクタイのノワ」
立松和平「たまーー母親の威厳」
他20編

この本も単行本の文庫本化したもの 。
以前ブログに紹介した「犬に日本語はどこまで理解できるか」から比べると
売れ行きが悪い。その理由は猫好きよりも犬好き の方が多というのでも
ないような気がする。

知性的な題名のほうに勝利の軍配があがったのではないかと想像している。
例えば、馬鹿売れした「女性の品格」でも、この知的さがとりあえず、書棚から
手に取らせる仕掛けを作っている。

それで、話をもとに戻せば、「犬に日本語がどこまで理解できるか」と「わたし、
猫語がわかるのよ」のどちらが知性派かといえば「犬」の本だろう。もし、
「犬にどこまで言葉が理解できるか」ならば、その興味は半減する。半減する
するというのは、謎が少ないからである。

「わたし猫語が分かるのよ」は、開かなくても想像できる部分が多い。しかし、
ほんとうは、この本のほうが、執筆者陣は著名なのだが。

矢島康吉著「古本茶話」 文学の森刊

2008年3月7日 金曜日

矢島康吉さんの文章を読むときには心しなければならない。いままでは、同人誌の中の文章だからよかったけど、今回は「朴の花」「湖心」に書いた文章を一冊にしたもの。以前「僕の内田百閒」が届いたときには、封を開けて、その位置から動かないまま、一冊を読みきった。動かせないまま、というのは意識的なのではない。引き込まれてしまって、本から目を離せないと言うのが正確。

その引き込まれる感覚というのは、例えばピーナッツが食べ始めたらやめられないような、後を引くような感じでページを繰っていくのである。だから、とは思いながら届いた本の封を切ってしまった。矢島さんの本に引きこまれる理由のひとつに世代が同じ、育った土地が同じというのもある。彼の育った土地が中野で、中学が第6中だという。わたしは同じ区の第7中学校だった。だから、自伝風な文書の中には、きりもなく、懐かしい場所が現れる。

今回の『古本茶話』はその題名のとおり、古書渉猟。趣味といってもその蘊蓄は矢島さんのロシア文学専攻も手伝って多岐にわたる。もう半端な蘊蓄ではない。それに加えて、競輪、競馬通いも加わるという広さ。

競輪談義の項目には、昭和37年頃まで女子の競輪もあったらしい記入がある。それが消えた理由にーー男が出来ると、男の世話に忙しく練習しなかったり、男の言いなりにゆっくり走ったりして駄目になったらしいーーと、なんだか、チエホフの「可愛い女」を思い出させるような歴史がさりげなく挿入されている。そうして、競輪、競馬通いをする作家たちにまでは話が及ぶ。それに関する本が見開きのページに10冊くらい登場する。矢島さんの睥睨の仕方が半端でないことも、読むものを圧倒するのである。

東京駅八重洲地下街の「八重洲古書館」で買った「つげ義春日記」(1983年)の拾い読みが書いてあったが、なんとーー6月16日「ポエム」の正津勉来訪。連載で旅をしてくれとのこと、気がすすまないが結局承諾する。8月18日、題は桃源行としゃれている。しかし正津さんの文章が芸術的すぎるので、私の旅ととけ合わない。ーーという件うを挿入してあった。来週、正津さんに会ったら見せなくては。

「古本茶話」は矢島さんというよりも、全身で趣味に生きるということを実践している人間の理想郷が本になったものと言っていい。こんど「俳句界」で無期限の連載をするらしい。矢島さんは編集長の清水哲男さんとも同世代。しかも、この内容は清水さんの垂涎の内容。世の中の片隅にこんな凄いひとがいるんだなーと実感させる一書である。

校了 その2

2008年3月6日 木曜日

今朝はインクを買ってきて、田中さんのところだけプリントして印刷所に紙焼きも発送した。どっと疲れが出て、半日寝てしまった。夕方パソコンを開けたら、また、田中さんのメール。5ページ目の下段1行目の訂正だ。仕方がない。そこだけファックスを印刷所に入れておく。再校のときでもいいのだが、私が訂正を忘れてしまっては大変だから。

その直す箇所というのが、「短歌界の常識にとらわれず」を「先入見を排して」に直すというもの。うーん、もうどっちだっていいじゃないのと思えるよう箇所。ほんとうに完璧主義。田中さんの推敲課程というか、文章を書くときの呼吸というようなものが分かってきた。書き始めて、推敲している間、それから原稿を送ってしまってからも文章が暫く頭の中に浮遊しているのだろう。

ほんとうに敬服する熱中度というか、集中度というか、完璧主義者である。「茂吉ノート」を書き終わるまで、そのリズムに付き合う覚悟は出来ている。磯辺さんの「江戸俳画紀行」のような形になったら、関った者冥利というもの。

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