2010/3/10 水曜日

3月10日

今朝の毎日新聞の文化欄は古井由吉のエッセイ。東京大空襲に遭遇したことである。私はこの戦争について空襲についての記憶がかなり曖昧で甘い。古井由吉とほぼ同年齢にもかかわらず戦争が霞みにかかった絵空事のように遠い。古井由吉はその空襲の火を郊外で眺めていたが、その後の5月24日に焼け出されていたという。きっと天袋に収まったいた雛人形はそのまま和紙で顔を覆われたまま火に炙られたのではなかったかと書いている。

私が戦争についての記憶が甘いのは、ひとつはわずかな学年の相違で、歴代天皇の名前の暗記やら、教育勅語の暗記をする場から疎外されていたからである。言ってみれば戦争は物心がついたときから始まっていて、日常的なことの中に組み込まれていた。その後、東京に戻ってきた。あたりは焼け野原だったのだが、それは残骸が残っているという場面ではなく、土地は均されて、そこに無数のガラスの塊が日にきらめいていた。

それは、結婚後の土地で葱畑などに、土器の破片が浮き出ていたのを拾い集めたように、幼かった私はガラスの破片を嬉々として拾い集めて遊んでいた。その破片のひとつが、そこに住んでいた家族たちの思い出の花瓶だったり、日常の調味料の瓶だったり、ということを考えたのは、ずいぶん経ってからだった。この戦争体験の甘さは、その後の私の生き方に影響しているのかもしれない。

もしかしたら、何もかもぼんやりとした中で見つめて来たかも知れないなーと、しきりに思うこのごろなのである。たぶん、私の脳が現実のものを受け入れるのにかなりな時間を必要とするように仕組まれていたのではないかと。そういえば、小学生になる前のわたしは、片目が見えなくなっていた。親は「雲眼」というような名前を言っていたように思うが、調べてみてもその症状に匹敵する正式な名前は わからない。ようするに、瞳に何かが出来て視力を失っていたのである。

秩父の「野上の眼医者」とは戦前には全国的に知れ渡っていた名医らしかった。当時、その周辺にはその眼科に通うために旅館が繁盛したとかいう話も聞いた。その眼科に通うために母の実家に暮らしていたことがある。毎日牛乳を飲まされ雀の黒焼きを食べさせられていた。どちらにしても、この、鈍感さは生きてゆくことを支えてくれていると、この頃は思うのである。

コメント (0)

テーマ俳句 「書」ににん38号掲載

  寒月光放つ良寛書の余白        遊 起

江戸後期の禅僧・歌人である良寛は、諸国行脚の後に帰郷して、国上山に五合庵を結び村の童を友として脱俗生活をおくるが「大愚」の号を持ち、「書の命は『余白』にあり」と多くの書を残す。揚句「良寛の書」の余白には寒月光を放つのに充分な情趣があり。「良寛の海に下り立つ素足かな・・原裕」の句の『素足』と遊起の句の『余白』が、互いに響きあうだろう。(竹野子)

  いろはにほ書き続けてる春の宵    acacia

陽気漂う明るい春のいちにちが暮れなずんでいく。昼間の程よい疲れをいといながら、一風呂浴びて湯殿を出て鏡の前でおめかしを・・。風呂上りの洗面所の鏡は身熱りの温度差のせいか、すぐに曇ってしまう。曇った鏡に「いろはにほ」と書いてみる。少しおくと文字がぼやけ、拭いてもまた曇る。また、いろは・・いつまでも書き続けていたいような・・・。こころの移ろい易い春の宵ならではの描写である。よく「へのへのもへの」などと書き連ねた幼少の頃を思い出す。    (竹野子)

  雪中花画と書が弾み息を吹く     万香

池大雅や与謝蕪村の南画には、中国の詩をもとに風景や人々が描かれ、見ていて楽しくなってくる。水墨に彩色の濃淡のつけられた画にちゃんと詩も書かれ、詩を理解すると、風景の味わいも深くなる。まさに「画と書が弾み息を吹く」である。雪中花の季語が絵画的で凛として美しい。(千晶)

  万巻の書を読みても愚茗荷汁    倉本 勉

茗荷は物忘れを促すということを聞いたことがあるが本当なのだろうか。一所懸命に勉強して、本を読んでも右から左へ忘れてしまうのは、悲しいかぎりである。しかし、ソクラテスの言葉「無知の知」ではないが、おのれの愚を認識すること、すなわち叡知であろう。(千晶)

  羽子板のうらに長女の名前書く    橋本幹夫

初めて生まれた女の子、長女へ羽子板を買ってあげたので、その裏にその名前を書いた。羽子板を買うときはたくさんの中から、選ぶのに随分と迷ったに違いない。ようやくこれというのを選び買って帰った。その裏にただ名前を書くとしか言っていない、初めての女の子を持った喜びが見える句である(禎子)

  告知書をながめては七度目の春         匙太

告知書とはよく分からないが、七度目の春になったということを自祝して詠っているので、おそらくがんか、重病の告知をされた診断書なのかもしれない。作者はあれから七度目の春を迎えることができて、よくぞ生きてこられたことよと感慨にふけっている。経験しなくては詠まないし、このように境涯を俳句に詠むことも大事なことと思う。(禎子)

  冬ざれや我が名を書きて狼狽える   三千夫

わが名を書いて狼狽する場面とはどういうときだろうかと想像してみる。とりあえずはひとりの場面なら手紙。あるいは、記帳の場面など。あるいは手持無沙汰を埋めるための無意識な筆の走りだったのか。どちらにしても、その名前を書いて、その己の名前に向き合ったときの内面を語るのが冬ざれなのである。季語は思想を表すためにもある。(喜代子)

コメント (0)

2010/3/8 月曜日

締め切りを課す

 綿屋の坂の途中の、ブリキ屋、正確にはなんと呼ぶのか。そこがいつからか経師屋に替わった。特別に看板が出ているわけでもなかったが、ガラス越しに表紙を剥がした襖が立てかけてあるのを見たり、店から襖を車に積んでいるのをみたからだ。 経師屋とは、屏風や掛軸などの表装する職人だが、なんだか時代劇がかった呼び名である。経師とはその文字面から、経を書き写すことを業とした人も含まれているらしい。表具屋というほうが新しいかも。

 ブリキ屋から表具屋に替わった時から、「うちももう張り替えなくては、と思いながら過ごしていた。だが、億劫だったのは、そのためにしばらく家の中が落ち着かなくなることと、押入れが全開になることだった。しかし、先日連れ合いの退院日に迫られて部屋の整理をしたように、頼んでしまえば何とかなるものだと結論つけた。 

「襖」と一文字だけ書かれたガラス戸を明けても人気はなかったが灯りがあったので声をかけた。経師屋とか表具師などという呼び名はずいぶん古めかしい印象を持つが、その作業場も時代物映画の中でのセットときっと変わったところはないだろう。

真ん中に据えた作業台の向こうから現れた主は、案外若いのかもしれない。あるいは団塊の世代かな、とも感じられた。何枚っていうから、「えーと、天袋も二枚になるのかしら」と尋ねるとそうだという。そうすると一間の押し入れは四枚になるなと計算して、半間の押し入れも観音開きは四枚になってしまうのも知った。

そんなふうに数えていると、そんなにあるなら値引きもしますよ、と主が言った。
「あと部屋の間仕切りは両面ね」と念を押してから四枚の両面と片面は壁紙の戸が四枚だと言った。
「それじゃ、一日じゃー貼れないないなー、それに乾かす日も見なければならないから、寒くて困る部屋を先にやりますよ。なにしろ、完全に乾かないの入れてしまってからストーブなどを焚くと剥がれ易くなるからね」
「いいですよ、何日かかっても、」

我が家は個室が少ない。冷暖房もリビングの左右の部屋の戸が開けてあるような状態で住んでいる。だから、無くても一向に困らない。まして襖の多い和室は平素は使っていない。
「取りにいくのは2,3日過ぎてからだけど」
「その位あとのほうがいいわ、まだ受け入れ態勢が出来ていいないから」
そうそう、出来ていたらもうとっくに頼みに来ているんだから、と、胸の中で呟きながら帰ってきた。

やはり新しいはいい。その明るさに何度も眺めまわした。思い出したのは、二宮にある石鼎旧居だ。そこの中心の部屋の襖には石鼎が書いた雁の絵が貼ってある。コウ子夫人が、石鼎の絵の散逸を惜しんで使用したものだ。あれから、何十年と経っている。今でもあのままだろうか。少なくとも私が最後に訪れた平成2年あたりまでは雁の絵だった。

コメント (0)

2010/3/5 金曜日

星野高士句集『顔』  2010年刊 角川21世紀俳句叢書

『破魔矢』『谷戸』『無尽蔵』につぐ第4句集

  滴りの滴りてゐぬときもあり
  秋風や他人といへば他人なり
  残照を追うてきちきちばつたかな
  日のあたるものは当たりて著ぶくれて
  草餅や秩父嵐は外のこと
  海を見る人に加はり夕月夜
  追ひかけて行く気もなくて鰯雲

能役者の家を「能の家」ということばがある。この星野立子から椿へ受け渡され、さらに星野高士を生み出した家系はやはり「俳句の家」と呼んでいいだろう。

コメント (0)

筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』 2010年 角川学芸出版

筆者自身が、これまで評論として「定型詩学」の分野に切り込んできたが、この『女帝たちの万葉集』は著者自身にとっては、構造詩学だと述べている。
実際内容は、万葉集を読み解きながら、際立つ女帝たちや、歴史をひも解く大冊である。 書きかけ・・。

コメント (0)

俳句雑誌『塵風』2号 創刊2009年  

俳句雑誌『塵風』2号は風景がテーマ。便宜上俳句雑誌と言っているが、もっと広い分野へ間口をひらいていると、発行者の斎田仁氏の言。読み進めていくと執筆者については後ろの略歴をみなくても、風景への懐かしさの感受する年齢として、ある年月を経た人たちが想像される。俳句作品もエッセイも写真も「風景」をテーマに纏めている。

江戸時代の知的な遊びとして俳諧があったように、これは現代的な風雅の世界が展開されている。

コメント (0)

2010/2/26 金曜日

賜り物

haiku1234.png        *     kiyoko2002.jpg 
     

 

     飛び翔ちてみな緑鳩となりゐたり

     一生のどのあたりなる桜かな

吟行をご一緒している句仲間の三浦郁さんが、私の作品を色紙にと言いたいがハガキに書いてくださったもの。しかし、拡大しても十分見応えがある文字だ。あまりに素敵なのでご披露することにした。 もちろんご一緒した吟行のなかで得た句なので、覚えていてくださったのだろう。一句目は大礒の海岸に水を飲みにくる緑鳩を見に行った時のもの。

コメント (2)

2010/2/18 木曜日

春の雪

yuki2.jpg 

 牛乳にりんごに日々の余寒かな   原石鼎

こんな石鼎句があるが、まさに、今週はじめからずっと余寒とか冴え返るという日々だった。まずは月曜日の連れ合いの退院の日の寒さも格別で、隅々まで暖房の効いた病院にいたものにとっては格別な寒さのようだった。

その翌日は夜の荻窪教室のあとの帰り道も雪混じりだった。
それが今朝は完全な雪景色。「わー」とばかりに携帯カメラに納めて、雪見物にもいかなければと、思い立った。顔を洗いながら、散歩コースの黒目川の景色を思い浮かべていた。

それなのに、朝食後に振り向いたら窓の外の雪景色はほとんど消えていた。
「なんて潔い引き際なんだろう」とあきれてしまった。これでは淡雪ならぬ泡雪である。やはりそれが春というんもんだ、と枝の鶫が言っていた。

コメント (0)

2010/2/14 日曜日

豊里友行第一句集『バーコードの森』  2007年 天荒現代俳句叢書

「書いておかなければならないものがある」という意志を感じる一集である。
 
 惑星の湧くまで夢のうがいする
 南半球どたりとパンが湿る
 段ボールの宿借りへその笛が泣く
 雲一つ持って記号のミジンコでいい
 缶コーラーの底へ地球のへその戦火
 街じゅう花いちもんめの百円ショップ

 一句目は壮大な宇宙と「うがい」という卑近な言葉を繋ぐことに驚く。それは二句目の南半球から「パンが湿る」に至る句にも言える。そうして、「書いておかなければならないものがある」という意志を感じる句集である、既成の俳句的な気分を持って作句する俳人たちに刺激を与えるだろう。
 作者は1976年生れ・最近話題になっている《セレクション俳人プラス  『新撰21』 2009年12月 邑書林刊》のメンバーでもある。

Comments Off

野田禎男第二句集『吉野杉』  2010年1月刊  本阿弥書店

 春日向素知らぬ顔をして並ぶ
 角曲がる度に出会へる薔薇の風
 十薬をはみ出す闇の重さかな
 片蔭の途切れ途切れに母偲ぶ
 板の間を磨けば菊の香の届く
 大寒や鉛筆の芯太きまま
 ぞんざいに二百十日の沓並ぶ

 抽出してみると、自然をいたわり見るまなざしが生みだした作品であるのがわかる。著者は「吉野」創刊主宰。帯にーー俳人でない人も共感できるよう表現してきたーーと書きしるしているように、平易なことばで詠んだ作品集である。

Comments Off

小西昭夫著『虚子の百句』  2010年 創立社出版

 子規新報に連載していた「虚子百句」をまとめたものである。こういう本が文庫本であることはありがたい。折に触れて一句だけを読み、また折に触れては読み継ぐというのに適しているからである。
 本書は一句の鑑賞を一ページづつに纏めている。はじめに俳句に書かれた一七文字を作品鑑賞、後半は作品成立の事情を書いている。
 虚子という作家の偉さは、こうして100句選んだときのどの句も優れているからである。もちろん著者の百句を選ぶ選句眼ということもあるが、百句の隅から隅まで秀句というのは虚子以外にもあるだろうか。

コメント (0)

締切日

昨夜ベランダから往来をみていたら車の光の中に雪が舞っていた。かなり大きな牡丹雪だったので、少しは白くなるのかなと思った。外の雪の気配を感じながら家の中ではようやく、客用の寝具の手入れが済んだ。娘たちが手術日に泊ったときのままになっていたものだ。やっと和室がすっきりしたところで、ふたたび外を覗いたが、ちらとも雪の痕跡がない。錯覚だったのだろうか。

もう一つの締め切りがある。と言っても原稿ではない。連れ合いの退院に伴う我が家の受け入れ体制である。そう言うと特別な環境を整えなくてはならないように受け取られてしまいそうである。要するに入院前の状態に我が家の環境を戻さなくてはならないのだ。

独りでいると、家中がきりもなく私室化してしまうのだ。それまでリビングの隣が私のパソコンを使う部屋だったが、ひとりになるといつの間にかリビングにはみ出してしまっていた。ノートパソコンの簡易さと無線の便利さが加わったから余計自在に移動できるのだ。真ん中にテーブルを据えると、その周りを砦のようにいろいろなものが重なっていくばかり。毎日、そのテーブルと部屋の端に置かれている食卓の間を行き来する怠惰な暮らしになっていた。しかし、月曜日が退院と決まったので書斎を後退しなければならない。

ほんとうはもう一つ締め切りを決めないといけないものがある。もう長いこと家じゅうの襖の張り替えをしなければと思っていながら果たせない。経師屋は我が家から数分のところにある。一声かければ済む簡単なことなのだ。しかし、家じゅうの襖を外すということは、家じゅうの押し入れが裸状態になるわけだ。別に見られて困るようなものもないのだが、少しは整理が必要なのだ。その一事ができないために経師屋さんに依頼にいけない。

ほんとうは、連れ合いの退院日のように経師屋さんに依頼してしまえば、それが締め切りになるだろう。しかし、人生の締切日は何時になるのかわからない。角川書店の新年会でお目にかかったばかりの山田弘子さんが亡くなった。俳誌「円虹」主宰、「ホトトギス」重鎮だった。

コメント (0)

2010/2/7 日曜日

わけのわからないことばかり

昨日も今日も風の一日。窓から眺めていると木枯らしのようだが、戸外に出てみると、思ったほどの冷たさではない。やはり春は確実に訪れている。この風も夜は静まってことりともしない。 

パソコンも基本的なことはようやく使いこなしてきたが、細部の、たとえばデスクトップの画面を思うようには変えられない。メール設定が、気に入るようにならない。インストールしたハガキソフトが使いこなせない、などなどたくさんある。

そのうえ不可解なことも起こる。送ったはずのないメールの返事が来る。そんなことはよくありますという人もいるだろう。私に来るはずではないメールが来て困ったことがあった。しかし、私のはお見舞いのメールへの返信なのだ。手が滑って隣のアドレスをクリックしてしまうはずもない作業なのである。ボケたんじゃないのなんて言われそうだ。

とりあえずは、わからないことはメモをしておく。いちどパソコン教室ですっきりさせよう。ほんとうは、このパソコンを買ったときに電話で問い合わせが出来るシステムに申し込んでありるのだが電話がつながらなくて、一度も利用していない。

それでもとにかく、石鼎ブログも滞りなくアップ出来るし、ホームページ投句も受け取れる。やれやれ・・。

コメント (0)

2010/2/3 水曜日

春の雪

夕食のあとのニュースを見ながら
「永田町には雪が降っているんだ」と娘が言うから
「いやー、あれな前日のでしょう」と私は言った。
「いやいや、今日のです」
娘がそう言ったので、東京がまた雪に見舞われているのだと思った。
ところが真夜中に外を見たら、解けたはずの藪が雪をかぶっていた。
それで、あの会話をしている同じ時間帯にわが地域にも雪が舞っていたことを知った。
ca390536-0001.JPG

夫の手術は無事にしかも予定通り。朝、義妹が一緒に立ち会ってくれると車で迎えに来てくれた。「ひとりで大丈夫だから」と言ったが、それでも何かあるといけないからいう。そうして、娘も朝早く仙台を発ってやってくるというので、「来なくていい」と言ったのだが、やっぱり一家でやってきた。総勢で立ち会っても立ち会わなくても、手術の結果はかわらないのに。

肺は呼吸器だから、袋のような状態を想像したが、切除したものを見たらレバーのようだった。前日の説明で組織を取り出して、初期だったら15パーセントほどの切除。それより進んでいたら23パーセントの切除と言っていたが、15パーセントで済んだようだ。

しかし、前日の医師の説明では、23パーセントのほうが手術としてはやさしいらしい。なぜかというと肺は蜜柑の房のような構造をしていて、23パーセントのところはひと房なのだという。しかし、今回の手術はひと房の半分位をとる区域切除なのだ。想像してみるれば、確かにややこしい手術だ。8時に手術室に入って、出てきたのは午後2時だった。たしかに一人で待つのでは辛かったかも知れない。

コメント (0)

2010/1/31 日曜日

ビクトル・エリセ

初めて夏石番矢さんのお宅を訪問した。世界俳句協会の発送日なのだ。鶴瀬駅から10分くらいといったが、たぶんその倍は掛かるだろうと思っていた。しかし、実際にはその三倍くらいうろうろしてやっと辿り着いたので、すでに雲井さんが封筒詰めをしていた。正津ゼミの雲井さんがくるので私にも声をかけたのだろう。

 夏石さんから発送のお手伝いしてくれませんか、というメールが入ったときは、実はどうしようかなと躊躇った。同じ日に新文芸坐でその日だけ「ミツバチのささやき」と「エル・スール」を上映するのだ。仕事のあとお茶をいただいて雲井さんに映画のことを話したら、一緒に行くということになり、最終上映だったが心強く池袋まで行くことができた。

「ミツバチのささやき」はスペイン内戦を背景にした小さな村の6歳の少女の想念が生む物語だ。村に映画「フランケンシュタイン」が来て、村中の大人も子供も集まって映画を観る。その中の6歳の少女は姉のことばなどから「フランケンシュタイン」の存在を信じている。姉と共に遊ぶ村はずれの廃墟は少女の夢想の世界への入り口なのだ。

「エル・スール」は「南」というスペイン語。50年代後半,北スペイン.県立病院の医師だった父がある朝突然姿を消す場面から映画は始まる。娘は父が愛用していた振り子が彼女の枕の下にあったことから、父はもう帰らないつもりだとさとる。

そこから、その意味を回想的に物語る。この映画の映像が美しい。ことに美しいのが少女が聖体拝受のとき。花嫁のような少女のためにはるばる故郷の祖母と父親の乳母だった人がやってくる。それほど重大な儀式であることを知るのも、この映画の見せどころ。「ミツバチのささやき」が目的だったが、映画としては「エル・スール」のほうが好きである。この映画はエリセ夫人の原作の映画化だという。

ビクトル・エリセ監督の映画は「マルメロの陽光」をはじめとして語らない映画である。聞くところによると、エリセは「奥の細道」をぼろぼろになるまで読んでいるらしい。そのへんにも語らない映画の秘密がありそうだ。

コメント (0)

俳句研究2010年《春号》

haiku2.jpg

コメント (0)

2010/1/28 木曜日

江の島の朧月 

ca390516-0001.JPG 

 江の島の参道のあたりはにぎやかだったが、奥のほうは半分ほどは閉店状態。吟行、句会と続いて5時には会場を出て、江の島駅近くまで移動。途中で日が伸びたわね、と言い合ったが、江の島の橋の上で日が暮れてきた。今日は榎本さんの俳人協会賞のお祝いもかねた飲み会になるのだからお店も選ばなければ。

吟行はほんとうに難しい。というよりも眼前の風景を見るということに終始するだけになるからだろう。そうだとすると、そのときの作者の内面は何も作用していないのだろうか。無意識のうちにも重なるものがあれば成功するのかどうか。どんな状態になれば成功するのか未だにわからない。

  曇つたり晴れたり島の白子丼

 暖かさはまさに春なみ。写真は江の島の橋の上からの朧月。反対側には富士山が見えて 白波五人男も現れそうな陽気だった。確かにもう節分も近い。携帯で撮った写真だがしっかり月が収まった。

コメント (0)

次のページ »

トップページ

ににんブログメニュー

最新の10件

カレンダー

2010年 3月
« 2月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

月別の過去ログ

記事検索



メタ情報

HTML convert time: 2.489 sec. Powered by WordPress ME