2008年12月 のアーカイブ

最後の忘年会

2008年12月30日 火曜日

小さな忘年会、大きな忘年会と続いたが、30日の最後の忘年会は四人。ということは小さな忘年会の部類になるのだろう。ところがこの忘年会が一番インパクトがあった。

何せ、ビールを注文する間合いが頻繁で、最後の会計をするときの店員の確認が「あービールの方ですね」言ったのだから、呆れるくらいだったのだろう。

そうして十年以上もお付き合いしていて初めて聞いたのが正津さんのお姉さんの話。他でも正津さんのお姉さんがとても美人だったことは聞いていた。その美人の姉にくる寺山修司からの手紙、勿論ラブレターだったのだろう。それを、嫉妬でトイレに捨てていた話。

「もったいなかった」と正津さんは言う。小説になりそうな話題がいっぱいだった。そのうち。「○○が賞を貰うなんて見損なった」などという話から、「あいつはお金持ちなんだから、賞なんてやらなくていいんだ」「賞は貧乏人にやれば・・。」などと飛んでもない発想に飛んでいくので、目が点になってしまうことがしばしば。

それでも、来年「ににん」で行なう座談会のテーマは決った。虚子を中心にした内側で石鼎、外側では碧梧桐について。テープ起しも、以前の会で手配をして貰っているので、とりあえず、清水哲男氏・正津勉氏・酒井佐忠氏は決定。あと30日は欠席だったが、齋藤愼爾氏も加わる予定。

    朝々の初日おろがみ年のくれ  石鼎  昭和16年

評伝小説 『河童芋銭』河出書房新社 ・ 正津勉

2008年12月30日 火曜日

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 本はもちろん内容が重要だが、それをさらに価値あるものにするのは装丁である。この評伝小説のカバー、表紙、帯、見返し化粧扉のすべてが、美術館などの所蔵の芋銭の河童の絵。それをふんだんに使っている。

芋銭といえば牛久沼のほとりで河童の絵を描いていた画家として誰でも知っている。しかし、それ以上のことを知っている人は案外少ないのではないだろうか。

一日

2008年12月26日 金曜日

昨日、やってしまいたい事を箇条書きにしておいたが、マットレスを買うこと、新座の図書館の「国木田独歩」展にいく事が、実行出来なかった。そうして書かなかったが、耳鼻科と胃腸科へ薬を貰いにいくことも出来なかった。

一日にほんとうに僅かなことしか出来ないものである。言いたくないけど、やはり歳のせいかなー。明日は前橋の煥乎堂書店の俳句教室。月に一回なのに最近は休みがち。

日光に降雪があったせいか、今年一番の寒さに思える。欅並木がすっかり冬木になった。

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夜はテレビで東京空襲の二時間半のドラマをみた。私は本来なら現実に出会っていてもいい筈だったが、疎開をしていて空襲に会っていない。上野には浮浪者がたくさん居たらしいが、それも目にしていない。そうして、本来なら飢えなどというものを実感していてもいい筈なのだが、東京が一番配給やら給食の恩恵にあずかったことも、最近認識した。

クリスマス

2008年12月25日 木曜日

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 人並にクリスマスケーキを食べました。だから、このケーキは後ろ半分はもうありません。大小の忘年会が続いて体重は46キロを越えてしまったので、また、少し気をつけなければ、と言っても忘年会はまだ二つ残っている。

 ****天秤座 明日の占い ****
家にいてもうまくいかないかもしれません。あなたの好きな人、一緒にいて楽しい人と出かけましょう。

 というのが26日の運勢。言われなくても明日こなさなければいけないことが山積みである。
★まずは、正月にくる娘一家のために、マットレスを新調。
★郵便局留になっているものを受けとならければならない。
★新座図書館で開催している国木田独歩展が28日まで。
(「武蔵野」は平林寺周辺が書かれてあるらしいので、来年早々に案内する俳句あるふぁの編集者のためにも、是非確認してこなければ)
★エステの予約が15時。
★そのあと、同じところにある美容院に行ける時間があればいいのだが。

そうして多分、今日か明日は「ににん」が届く筈だから、そのあと年末までは発送準備。

赤坂年越蕎麦吟行

2008年12月23日 火曜日

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 12時に日枝神社を出発して、初めて「あかさかさかす」界隈を通る。テレビでときどき放映されるスケートリンクも混んでいた。途中で若者たちの長蛇の列。一行の一人が何に並んでいるのか聞いたら、期間限定のブランドのグッズらしい。

人におまかせの吟行はよく読まない。一時間くらい歩いて、蕎麦や「黒澤」にいくのだというつもりになっていた。ところがよく読むと三時に「黒澤」なのだ。それじゃー途中でお茶にする、と聞いたらアメをあてがわれて、虎屋まで我慢と言われた。

それから報国寺の「雷電」の墓を経て豊川稲荷の前にある虎屋でようやく一服。豊川稲荷・弁慶堀・赤坂不動尊。このあたりは開発途中で、小さな民家があるかと思えば、巨大なビルが燦燦と日の中に抜きん出ていた。まるで、使い古された日常品の部屋に真新しい姿見を据えたようである。

 ようやく恒例の「黒澤」の蕎麦懐石。突き出し・茶碗蒸しは撮ったがあとは忘れてしまった。ここの干した蕎麦も、お土産としてお勧めである。ほとんど生のお蕎麦と同じように味わえる。 「煙草の人は喫煙税500円」と幹事がいう。支払いが集めた金額をはみ出たらしい。あっという間に会計は終了。みごとで粋な捌きである。

鳥の足跡犬の足跡

2008年12月18日 木曜日

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冬靄というのか霧というのか、窓からの景色が霞んでいた。電車も濃霧て遅れているらしかった。稀な暖かさで、七里が浜ではコートが重い。砂浜にくっきりと鳥の足跡と犬の足跡。大根が干され、白子が干されていた。

万福寺の裏手のこじんまりとしたレストランで食事のあと手帖を出していたら、俳句をするならゆっくりどうぞ、と別部屋へ案内してくれた。階段をあがると瀟洒な和室があるので、そこかと思ったら「まだ奥の方」という。その奥にまた広々とした和室があった。しかし、案内人はまだ奥だという。どの部屋にも黒塗りの立派なテーブル。

つぎにまた少し小さな和室があったが、まだ奥ですよ、と促された。廊下を幾曲りかして、なんだかとんでもない御伽噺の世界に飛び込んだ気分になりはじめた。もしかしたら部屋ごとにあるテーブルは、大きな俎板だったり、大きな鍋が変身しているのではないか。奥へ案内されていくうちに、帰れなくて、人食いの家だったりして・・・。

行き着いたのが海に突き出た三方が窓の洋間。ふかふかの椅子は十人くらいは座れそう。四時まではどうぞ、というのだった。どの方向の窓からも海がみえて、遠くに江の島が見える。それじゃー、皆で来たときに借りてもいいのかと聞くと食事をしてくれるだけで、四時までいいという。

思いがけない句会場を発見した。

校了

2008年12月15日 月曜日

やっと「ににん」のゲラもを印刷所に入稿。一つ片付いた開放感から、黒目川の土手へ出ることにした。この行動がいつからなのか、自然にそうなる。お天気がいいので、川の水が空色。

 めざめると顔をあらって靴下をはいて出かける癖があります  斉藤斎藤

小川静弥さんに「新彗星」を貰ってから、ちょっと短歌に取り付かれていて、この歌も頭にこびりついたもので、自然に口にのぼる。今まで短歌を冗漫だと思っていたが、そうでもないことを認識した。斉藤斎藤のはかなり俳句的なのかもしれない。

橋の上から覗くと真下に大きな亀が見えた。ゆっくり川底を移動しているようだった。もしかしたら水の流れに逆らえないで動くのかもしれない。それに比べると鯉は泰然と流れに向かって屯していた。鴨は浅瀬で日向ぼこの姿。携帯も案外よく撮れる。

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朗読会

2008年12月13日 土曜日

「ann」でときどき朗読会がある。詩から古典まで巾がひろい。

詩も活字で追うときよりも、読み手のニュアンス力が加わる分面白くなるし、再認識することもある。それに「「ann」に来る人たちはサービス精神旺盛で面白い詩を見つけてくるので、余計楽しめる。

自作のエッセイを読む青年がいたが、それがまた淡々とした日常の活写に過ぎないのに面白い。中嶋憲武さんという方。職場でのスズキさんとの何も起らない日常を週刊俳句で連載中である。

読んだのは11回目の「ラビット」。スズキさんの車で途中まで送ってくれる間の何気ない会話と描写。一部分を紹介しておこう

スズキさん、これ、練馬区すか?」
「そう、練馬区」と言ってスズキさんは恬淡としている。更にもっとよく見てみると、青カビのようなものが点々としている。
「練馬大根が練り込んであるんで、ぱっと見、カビみたいだけど、違うわけよ」
「練馬大根すか。これ」
「やっぱり疲れた時は、甘いもの取らないとね。どうぞ」と言うので、食べた。味は鳩サブレのようであるが、大根の葉っぱの味はしなかった。
「悪くないでしょ?」
「はい。美味しいっすね」

俺は包装のビニール袋をポケットに仕舞った。これは小さい頃からの習慣である。近くにごみ箱が無い時はそうしている。なんでもかでもポケットに仕舞うので、俺のポケットはごみで一杯になっている事が往々にしてある。

鶯谷の駅を大きく廻り、谷中を通り、東大農学部の横を抜けた。乗り物に乗っていると、俺は俺をあちこちに置いてけぼりにして行く。コンビニエンスストアーの前を通り掛かると、店の中で立ち読みをしている俺をそのままに、信号待ちをして寒そうに立っている俺をそのままに、屋台のラーメンを背中まるめて啜っている俺をそのままに、どこかのオフィスビルから出て来た俺をそのままに。そうやって、無数の俺が夜のどこかに忘れ去られて立ち尽くす。

ざっとこんな会話や叙述が続くのだが、この視点は「ににん」にいたことのある岡本敬三さんの呼吸を思い出させる。少し力を抜いて、視点を茫洋とさせながら、きわめて卑近な日常を描くの巧かった。たしか、その「根府川へ」は太宰治賞作品ではなかったか。とにかく5、6年前に筑摩書房から出版された。いろいろな人がこつこつとわが道を歩いているのだなー。

短歌誌『新彗星』・加藤治郎

2008年12月13日 土曜日

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わが句集を長い日にちを掛けてぶろぐ「水無瀬へいこう」で鑑賞してくださった小川静弥さんが、ご自分の参加している短歌誌『新彗星・発行加藤治郎』を送ってきてくださった。まだ創刊二号である。静弥さんはそこで、加藤治郎歌集の批評を書いている。短歌を作りながらいろいろな俳句を鑑賞しているエネルギーに改めて感心した。

以前にも、希には短歌集を頂くことがあるのだが、句集とは比較にならない時間を費やす。勿論、その文字数から言っても17文字と32文字の差があるのだから、時間がかかるのは当りまえかもしれない

それだけではない。俳句はページの上に視線を落としただけで、一句が丸ごと目に収まって、一度読めばあと咀嚼するのは心の中だけである。ところが短歌は上の句から下の句に移るあいだに一呼吸が入って、しかも、下の句を読んでから、もう一度読み返す。どうかすると何度も一首を反芻することになる。

物理的な手順からでも時間が2倍では済まないのである。短歌と俳句の違いがこのあたりにありそうである。俳句はイメージを頭の中に広げることから鑑賞が始まるが、短歌は盛られた事柄を飲み込んでから、作者の内面に入ってゆく。

 雨だから迎えに来てって言ったのに傘もささず裸足で来やがって   盛田志保子

さりげない日常歌だと思いながら読み下していくと、下句の「傘もささず裸足で来やがって」にゆきついてもう一度、上句から読み直し、何度もその象徴詩をぞくぞくしながらなぞることになる。俳句にもこの反転がほしいものである。今回の特集は「修辞」について。総合誌のような重厚な内容が盛り込まれている。

めぐらすに蝌蚪の水あり平林寺

2008年12月10日 水曜日

 まさに小春日和。新年早々に「俳句あるふぁ」の編集の方を案内する都合もあるので、平林寺まで足を延ばしてみた。冬紅葉真っ盛りの時期で、どこを向いても、紅葉が降ってくる。

俳句を始めたばかりの頃、「めぐらすに蝌蚪の水あり平林寺」という句に出会い、この上をゆく平林寺の特徴を捉えた句は生まれない、と思ったことがある。この句、水原秋桜子だと、ずーと思い込んでいたのだが、必要があって調べてみたが、そうではないらしい。このことは、数年前の「俳句」にも書いたことがあったが、どこからも反応はなかった。いったい誰の句なのだろう。

蝌蚪の水とは、多摩川上水から引いている野火止用水のことである。寺の裏側を流れていて県の文化財。掘削技術が発達して、現在は利用はされていないからである。

平林寺の内外は武蔵野の雑木林で国の天然記念物指定である。多分この辺りは延々と雑木林が広がっていて、その間を松平伊豆守がひいた野火止用水が流れているだけだったのだ。その風景を想像してみると、武蔵野の雑木林の広さが実感される。

野火止用水に架かった橋に立つと、自分の影を写すことができた。倒れた幹の影も、まるで立ち木であるかのように錯覚する。

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