「ann」でときどき朗読会がある。詩から古典まで巾がひろい。
詩も活字で追うときよりも、読み手のニュアンス力が加わる分面白くなるし、再認識することもある。それに「「ann」に来る人たちはサービス精神旺盛で面白い詩を見つけてくるので、余計楽しめる。
自作のエッセイを読む青年がいたが、それがまた淡々とした日常の活写に過ぎないのに面白い。中嶋憲武さんという方。職場でのスズキさんとの何も起らない日常を週刊俳句で連載中である。
読んだのは11回目の「ラビット」。スズキさんの車で途中まで送ってくれる間の何気ない会話と描写。一部分を紹介しておこう
「スズキさん、これ、練馬区すか?」
「そう、練馬区」と言ってスズキさんは恬淡としている。更にもっとよく見てみると、青カビのようなものが点々としている。
「練馬大根が練り込んであるんで、ぱっと見、カビみたいだけど、違うわけよ」
「練馬大根すか。これ」
「やっぱり疲れた時は、甘いもの取らないとね。どうぞ」と言うので、食べた。味は鳩サブレのようであるが、大根の葉っぱの味はしなかった。
「悪くないでしょ?」
「はい。美味しいっすね」
俺は包装のビニール袋をポケットに仕舞った。これは小さい頃からの習慣である。近くにごみ箱が無い時はそうしている。なんでもかでもポケットに仕舞うので、俺のポケットはごみで一杯になっている事が往々にしてある。
鶯谷の駅を大きく廻り、谷中を通り、東大農学部の横を抜けた。乗り物に乗っていると、俺は俺をあちこちに置いてけぼりにして行く。コンビニエンスストアーの前を通り掛かると、店の中で立ち読みをしている俺をそのままに、信号待ちをして寒そうに立っている俺をそのままに、屋台のラーメンを背中まるめて啜っている俺をそのままに、どこかのオフィスビルから出て来た俺をそのままに。そうやって、無数の俺が夜のどこかに忘れ去られて立ち尽くす。
ざっとこんな会話や叙述が続くのだが、この視点は「ににん」にいたことのある岡本敬三さんの呼吸を思い出させる。少し力を抜いて、視点を茫洋とさせながら、きわめて卑近な日常を描くの巧かった。たしか、その「根府川へ」は太宰治賞作品ではなかったか。とにかく5、6年前に筑摩書房から出版された。いろいろな人がこつこつとわが道を歩いているのだなー。