2009年5月 のアーカイブ

『吉野』2009年4月号  主宰・野田禎男

2009年5月31日 日曜日

「ににん」冬号

 同人誌で季刊である。しかし、いただく毎に楽しみな読み物が沢山ある。岩淵代表は「結社というのは喩えれば「城」、そして同人誌は「家族」に喩えられる。城には閉鎖性があり、家族には甘えがある。」と書いているが同感である。さらに『ににん』は、同人誌のようでそうでない。どこか、公園のような性格を帯びている。いつも、自由にでいりして、風が感じられる雰囲気でいたい。」とも書いており、私もそっと入り込んでみたいと思っている。本号は、まず、長嶺千晶句集『つめた貝』の特集で、中岡武雄さんと山西雅子さんが執筆している。二人が共通に取り上げている三句は

 もの思ふためのわが椅子去年今年      長嶺 千晶
 訣別や雪原に押す煙草の火
 冬桜こころに篤き文の嵩

 そして、特別寄稿を、齋藤愼爾、須賀荊、伊丹竹野子、岩淵喜代子、宮本部汪、長嶺千晶、望月遥の皆さんが読んだ小説をテーマに二十四句を発表している。ちなみに、齋藤愼爾さんは、寺山修司『田園に死す』を取り上げている。最初の三句を挙げると

 村棄つる日の茫茫と蝉の穴     齋藤愼爾
 淮か哭く水の面に雛置けば
 月見草まはりいづこも無のふかし

という具合である。
 さらに、両方に作品を発表できるににん集、さざん集があり、作品欄以外の連載として『歩く人・碧梧桐』、『わたしの茂吉ノート』、『石鼎評伝』、『予言者草田男』がある。
最後に岩淵代表の三句

雪女郎来る白墨の折れやすく
見えてゐる十一月の水平線
木枯らしやあまたの星を星らしく

夕日

2009年5月28日 木曜日

薄曇に透いて夕日が形をなさずにどろどろとしていた。
これでは明日が天気なのかそうでないのかわからないなー、

突然真上に鳥の鳴き声がした。
見上げるともない眉の上を、
何羽もの小さな鳥が放射状に飛んでゆく。
たがその先頭の1羽だけが異常に大きな鳥なのだ。
 
とにかく一直線に先頭の大きな鳥を追っている。
それが目に止まったときに、
なぜか小さな鳥の声に悲壮感を感じた。

追いかけている小さな鳥は10羽ぐらい。
親子なのか一族なのか。
ーー捕まえて!
と悲鳴を上げているのだろうか。あるいは、
鴉に咥えられている子供の名を呼んでいるのだろうか。

大きな鳥は鴉に違いない。
その嘴にはさんでいるのはきっと子雀だ。

一瞬の出来事で、逃げる鴉も、
追いかける雀の一族も
建物の陰へ消えてしまった。
足を早めて建物を通り過ぎてみたが、
追われる鴉も、追う雀の姿もなかった。

鳥たちの消えたあたりのビルの窓の
一つだけが夕日を捉えて、
窓そのものが燃えているように赤かった。
高層建物の一つの窓しか
夕日を捉えないということもあるのだ。

曇空のせいなのだろうか。

『未来図』25周年記念号・主宰鍵和田秞子

2009年5月24日 日曜日

miraizu.jpg 

『未来図』五月号は記念号は300ページ余の大冊。表紙はペン画の鬼才オーブリー・ビアズリーの絵を採用している。モノトーンの物語的なベン画が理知的な印象を醸し出している。

記念行事として、「人間探求派の源流から未来へ」のテーマで座談会と内外の執筆者の文章という二重構造で、結社の流れを再認識するもの。座談会は金子兜太氏を囲むかたちで行なわれていた。読み応えのある一冊である。

そうして、もう一つは、結社内の俳句作品・エッセイ作品コンクール。こうした企画ができるのが、結社の厚みというもの。 確かに開いて見れば、俳壇で活躍している作家が勢ぞろいしている。頼もしいかぎりだ。

ところで、余談になるが、鍵和田氏のお名前にいつも苦労していた。禾篇の秞子の文字が出ないからだ。そんな話をどこかの雑談の折に口にしたら、いまは、できるのだという。どこかから取り寄せる、というような言い方をしていたが、まだ理解出来ない。

だが、今日、念のために手書きパットを開いてみたら出てくるではないか。しかし、ハガキソフトの住所録覧にはやはり出てこない。

ににんの仲間

2009年5月20日 水曜日

校正は大の苦手である。自分の文章など、間違いを少しも見つけられないで、間違っているものも、正しく読んでしまっているのである。短い文章のときにはいいが、今回のように500枚にも及ぶ文章ではもう、お手上げである。

二人くらいに見せているのだが、自分の興味のあるところだけに言及するだけで、校正になっていない。それだけならいいが、その言及が作者の私の方向まで無視するような意見を言われたりして、かえって苛々したりしていた。

困ったなー、と思っていたとき思い出したのが仲間の木津さんだった。「明日は校正が来るから」という言葉を何かの会の中で耳にしたのを記憶していた。今回、お願いしてみて校正ってこういう風にするものなのだ、とつくづく感じ入ってしまった。

間違った箇所を見つけるなんていうのは底辺の基本の仕事なのである。それに加えて史実や年号や、引用の照らし合わせ、そうして、同じ名前や俳句の表記が前と後で微妙に違っていることの指摘。出版社よりはるかに綿密だった。

「ににん」にはいろいろな才能の方がいることは認識していたが、それでもまだ認識していないことがあった。テープ起しのプロもいたのである。それを知っていれば、先日行なった座談会のテープ起しもやってもらったのに。英語で「奥の細道を読む」を連載している木佐梨乃さんは、聞きながらパソコンにも入力してしまうのだという。

とにかく、ようやく再校が終った。が、「ににん」35号の締め切りがきた。

ふけとしこ句集『インコに肩を」2009年5月刊  本阿弥書店

2009年5月19日 火曜日

1946年岡山生まれ・「船団の会」所属。

著者の後書きにーー思いと言葉と何かとがうまくぶつかり合って、あ!と自分で驚くことができたらーーとある。

   柿買うて人に持たせてよく晴れて

上記の一句はそうした会心の作ではないのだろうか。それは意味から判断するのではなく、ただ上五から中七へ、そして最後のことばに繋げられてゆく語感による。

    淡雪や竹に節あり枝のあり
    明易し小樽に船の名を読んで
    猟期果つ山繭ひとつ転がつて
    えごが花降らす水辺にさつきから

その語感のよろしさは以上の句にも言える。これらには今を伝えるための言葉選びが、着実な写生によってなされている。ことに、一句目の「竹に節あり枝のあり」は粉雪の存在感を見せて、いいなーと感心してしまう。

    笹舟に昼の蛍の匂ひかな
    馬追がゐるから壁に日があたる

一句目の繊細さ。二句目の倒置法的表現。多彩な手法であるが、根底にいつも、作者を感じる。

河野けいこ句集『ランナー』2009年4月 創風社出版 

2009年5月17日 日曜日

1955年生まれ 「街」「船団」所属    帯 今井聖

面白い句集というのでもない。それなら楽しい句集というほうが近い。しかし、それとも違う味を含んだ句集だ。

    二の腕を百合が汚してゆきにけり
    プールより見上げし母のふくらはぎ

一句目は抱えられた百合が二の腕をよごしていったという、ただそれだけのこと。二句目は、プールの中から見える位置が母のふくらはぎだったと言っているだけのこと。きわめて単調な表現にも思えながら、どちらの句も豊かな映像と豊かな空気を感じ取ることが出きる。

   六月の裸といふはたよりなく
   青嵐ゴッホの耳を知つてゐる

この句から、石田波郷の「六月の女すはれる荒筵」の句を思い出す。二句目はゴッホが耳を切ったことを知っていると言っているのか、その切った理由なのか。あるいは、切った耳の行方なのか。「知っている」の措辞が耳の存在を大きくして新鮮。

   図書室に海の匂ひや半夏生
   子育ての途中は月を見てをりぬ
   ひとりでにゆるむ包帯雪の嶺
   火の中へ戻る火の粉や冬の星

昨日も今日も

2009年5月16日 土曜日

東京會館に月に一度くらいは行くだろうか。このごろの会の多くが東京會館を使っているからである。もっとも、わたしにとっては、有楽町線一本で行けて、しかも、雨に濡れずに会館内へ入れるから都合がいい。

昨日は年に一回の日本文藝家協会総会と懇親会。いままで、ほかの行事が重なっていつも欠席していたので、今回はじめての出席である。ペンクラブの会のときもそうだが、俳人のお顔をあまり見ない。

「春燈」の鈴木榮子さんと「百鳥」の大串章さんにまずお目にかかった。大串さんはお目にかかると直ぐに、「埼玉支部大会の係りだって?」とおしゃった。倉橋羊村、上田日差子さん、品川鈴子さん。それと、鷹羽狩行俳人協会長。そのくらいだったろうか。

翌日の今日は、大串章さんが言った俳人協会埼玉支部の大会打ち合わのために、武蔵嵐山まで行った。武蔵嵐山国立女性会館は、広大な敷地に日本庭園、欅並木などの緑の中に点在する建物。今は緑が気持ちよい。芝生に一本ある榠樝に実がたくさんついていた。

研修室と講堂のある棟の正面は総硝子。ケヤキ並木を美しく映し出して、二重に楽しませてくれる。秋の紅葉のときも素晴らしい。

     冬紅葉点らぬ窓は沼のやう

以前、ここのガラスに映る風景から触発されたもの。きっと、こんなに大きなガラスでなければ、「沼の」言葉は生れなかっただろう。

仕事の項目を拾い出して、その役割分担も滞りなく決った。あとは、駅前の居酒屋で、電車の時間を気にしながら、二時間以上はいただろうか。とにかく、頼りになる実践部隊がいる。

蛙の親子

2009年5月14日 木曜日

kaeru2.JPG 

ーーお父さん、もうこのポーズ飽きちゃったよ
***うーん、でもな散々考えて決めたみたいだから、勝手に動いてもなー。
ーーでも、あの人もう忘れているよ。
***どうして。
ーーだってお茶を淹れるときだってそうでしょ。沸騰したお湯を湯冷ましに入れて、
   それからパソコンに向かっては忘れてしまって、もう一度沸かしなおしている
   じゃない。
***そうそう、気を使って、折角美味しそうに淹れたお茶も後ろの台に置いたままにして
   しまうし。
ーーお茶が冷めちゃうよ、って言っているのに気がつかないんだ。お父さん、知っている。
***何を?
ーー今、ひとりのときに飲むお茶は特別なんだよ。
***えー、どうして。
ーーどこかのハイジンから届いた新茶だよ。だからとくに気を入れて
   淹れているんだよ。それを後ろの台の上に置いたまま忘れてしまうんだ。
***そうだったの、よく知っているね。
ーーだって、そのお茶の葉は冷凍庫に入れてあるんだよ。
***だから、冷めてしまってから気がついて、がっかりした顔しているんだ。
ーー自分の手の届くところに置いたお茶を忘れるくらいだもの、僕たちが居なくなっ
   たって気がつかないよ。
***でもなー、あの飽きっぽい大家さんが、随分長いこと居させてくれているからな。
   いままで、この家で、こんなに長く居させて貰ったのが他にいる?
ーーそう言えば、梟もいつの間にか居なくなったね。
***そうだ、きれいなペーパーウエイトが何回も入れ替わっているじゃない。
   こんなに飽きないで居させてくれているのは、俺たち親子だけなんだ。
ーーそうだね。片付けるっていうのは、大家さんにとってゴミ袋に入れることだもんねー。

「ににん」の句会

2009年5月11日 月曜日

「ににん」の句会はいつも鍛錬会のようなもの。第一月曜日は五句の持ち句で句会と合評。そのあと、二回ほどの席題十句の句会を持つ。10時半開始で夕方までだから、あまり飲めないわたしも、その後のビールは美味しい。

実は次週の今日も同じような形で行なわれる。メンバーは「ににん」の一部の人と購読者で八人だった。ここのほうが平均年齢は高いかもしれないが、そんな年齢を意識させない句が飛び出す。11時から十句の持句の句会。その後席題10を決めておいてから食事に入る。

今日の席題は「次」「服」「明」「少」「意」「平」「種」「赤」「夜」「六」だった。これは一回目の持句よりも面白くなるのは、肩の力が抜けてくるからかもしれない。

***「次」
ふるさとや五十三次茶摘唄        M  
梅干して次にゆつくり眉を描く       U  
滴りの次々落つ岩割りて          T  
蛇衣を脱ぐ次第に空の明るみて     H  
次郎より太郎のさびし兜虫            I   
菖蒲湯に長男次男父の声         S  
餓鬼大将の次郎健やか端午の日    F

***「服」
晶子の忌服は毎日替へるべし      H
セーラー服どつと降りくる聖五月     U
更衣既製服は袖長し            T 
庭手入れ終え一服や柏餅         F
平服の新郎新婦紅薔薇          S
白服の女過ぎ行く築地塀         M

***明
明さんの少し遅れし初夏の句座     F
新聞は明朝活字夏休み          T
十薬の花の明るくなりし午後       I 
水音の札所の寺の明け易し       U
夜網船空の明かりを頼りとす       I
明年と言ひて終りし祭かな        H
凉さは小川未明の人魚姫         F 

***「少」
少年もときには阿修羅となる夜釣    I
少年と見えて少女や朴の花        M
清少納言驚かしたる植田かな       S 
紫陽花に少し怯えて立ちにけり      H

***「意」
しゅるしゅると鼠花火に意思生れ     I
夏木立意思決定は起立して        M
颯颯と意中の人の夏衣           S

***「種」
枇杷の種床の色なり見失ふ        K
目の前をゆくたんぽぽの絮に種      I
緑蔭や大道芸の種明し           M
夏木立サラブレッドの種馬に        U
種痘とは死語になりしか半夏生      T 

***「平」
蒔物のほどけば平ら走り梅雨        U
栴檀の花の地平を棲家とす         I
高々と平家の裔の鯉幟            F 
蝙蝠や平衡感覚衰ふる           T

『梟』 2009年五月号 主宰・矢島渚男

2009年5月10日 日曜日

〈句集を読む・渚男〉

『嘘のやう影のやう』     岩淵喜代子

    多喜二忌の樹影つぎつぎぶつかり来
    箒また柱に戻り山笑ふ
    ずぶ濡れの欅の並ぶ大試験
    湯気立ててゐる闘牛の通り道
    停車まで出口に立ちて花の旅
    花吹雪壺に入らぬ骨砕く
    針槐キリストいまも恍惚と
    夕顔の花にゆきつく恋心
    日陰から影の飛び出す師走かな

この人は一九三六年の生まれ。原裕の「鹿火屋」、のちに川崎展宏の「詔」に所属。現在「ににん」代表。これは第四句集。〈雫する水着絞れば小鳥ほど〉〈桐一葉百年待てば千年も〉〈それぞれの誤差が瓢の形なす〉のような作品も魅力的だが、私は形象感に優れたこのような句を選ぶ。技量確かな作家と思われる。(二〇〇九年二月・東京四季出版)

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