2009年2月 のアーカイブ

四月一日発行「ににん」34号掲載句

2009年2月28日 土曜日

黒猫は炬燵の上の哲学者             半右衛門
太陽に黒点白魚に眼                塚本惠
黒猫のすり寄つて来し初詣              海音
闇という黒に抱かれ山眠る            西方来人
目覚めれば黒一本の冬の川             阿愚林
黒縁の中で微笑む梅の花             ミサゴン
黒揚羽ニライカナイよりおとづれる        土下信人
真つ新の黒帯つけて寒稽古             ハジメ
黒色の鉛筆が好き初日記             橋本幹夫
春風や黒き瞳に映る吾              土下信人
黒帯に気合を込めし寒稽古             横浜風
初句会ラッキーカラーは黒として          さわこ
漆黒の闇懐かしや凍豆腐             たんぽぽ
モナリザの微笑黒衣の淑気かな          西方来人
黒板に「賀正」と書きし恩師逝く         橋本幹夫
黒猫の竈猫とはならず去る              祥子
成人の日の黒雲の行方かな              遊起
月山は臥した黒牛初茜              中村光声
黒皮の三年日記を買ひにけり           橋本幹夫
冬麗や瑞穂の国の大黒天               華子
黒服の列して御用納めかな            西方来人
黒髪にふわふわ纏う静電気               九
黒猫も白猫もみなねこじゃらし          土下信人
教会の黒く冷たい懺悔室             ミサゴン
那智黒を手土産に小春日和かな           廣島屋
葉牡丹に黒き目ひとつ欲しと思ふ          じゅん
黒鍵に今朝の寒さを叩きけり           橋本幹夫
ほっぺたに石黒飴や猫柳            塚本 惠
暗黒に白き糸吐く蚕かな             隠岐灌木
黒蟻は地球を歩く冬篭り             土下信人
黒人のプレジデントか冬薔薇          こさぶ
黒板に校歌清書の卒業子             森岡忠志
黒豹の伸び切っている小春かな          岩田 勇
採血の赤黒き血や冬深し             新井大介
黒猫の目と目があって日向ぼこ        ひろ子
白黒を言うて騒いで忘年会          半右衛門
暮早し黒雲に見紛う塒鳥          篠塚英子
北風や黒糖団子蒸かす音            祥子
余寒ありオセロゲームの白と黒           海音
はさまれて黒うらがへる漱石忌          廣島屋
冴ゆる夜は黒塚の鬼女哭くといふ         たかはし水生
黒々と烏の朝食冬の道            内藤もみじ
黒豆を十粒食べて仕事初め           acacia
乳母車黒い瞳に温まる             内藤紅葉

春の雪

2009年2月27日 金曜日

目が覚めたら雪景色。初雪だー、と思ったがもう二月も終わりの春雪である。なごり雪・わかれ雪なんていうと、演歌の題名みたいで、やはり春の雪と呼ぶのが一番明るい呼びかたのように思える。

今日は荻窪カルチャーの人達と遅い新年会。このまま降り積もったら、帰りは雪景色だと思うと、しんどいような嬉しいような気持ちになった。雪はかなり重たいぼたん雪で、降りかたにスピードがある。これでは積もらないと思って眺めていたが、やはり夕方には雨になっていた。なんだか残念でもある。

この荻窪教室は夜の部なので、殆どが通勤帰りに受講するひとたち。偶然だがテーブルを囲んだ6人のうち3人が外資系の会社に務めていたので、外国語と外国人の情感の違いで話が盛り上がった。改めて、外資系の会社が多いことにも気がついた。

やはり、ことばに意識が集って、言語の違いは、日本語で言われたら随分傷つくようなことが、英語ではそれほどにも感じなかったという話から、関西語におよんだ。そこから、関東に暮らす他県の人にはストレスがあるかもしれないなどなど・・・。それでも、東京人が他県に住むときにはなかなか受け入れてもらえないなど・・・。
話は尽きなかった。

この読売文化センターとの縁は随分長い。初めは原裕先生の代講として通っていたが、「鹿火屋」退会で一区切りがついていた。しかし、その後、夜の部を受け持ってくれないかという依頼がきて、結社を持っていないので、生徒は集らないですよと断っていた。

昼間の教室は圧倒的に女性が多いが、夜ともなれば男性が多くなる。団塊の世代が中心で、年齢は30歳から60歳くらいまでと幅がある。帰りは半分くらいが飲み会に参加するので、案外早くに仲間意識が生まれる。

俳人協会総会

2009年2月24日 火曜日

俳人協会の会員数は約15000人だそうである。その中で男性は5500人女性が9500人、平均年齢が74、5歳。男女差にこれだけの比率があるのを知れば、ひそかに囁かれている、男尊女卑ということばも頷ける。 受賞者の数にしても男性の方が多い。役員などは圧倒的に男性が占めている。

そんなに顔が広くもないので、そろそろ帰ろうかな、と思っていたら、対馬康子さんとばったり出会って、これから天為の評論賞受賞者と新人賞受賞者のお祝い会があるからと、ご案内を頂いたので帰り道だから、ちょっと寄ることにした。

早めに会場に辿りついたので「春塘」の清水さんと、次々に入ってくる人を眺めていたら、ときどき句会や吟行でご一緒する寺澤一雄さんと目があった。多分、私の表情が意外なところでお目にかかりましたね、という感じだったのだろう。たしかに、ことばにすればそんな言い方をしたかもしれない。それを察した寺澤さんが「ぼく天為ですから」といった。

岸本尚毅さんは改めて背の高い方なのだと実感した。「僕は仕事が好きなんです」と言ったが、その夫人は俳句が好きなんだなーと実感すると言っていた。物語を俳句で詠むのどうですか、と伺ったら、苦手だけれど興味はあるというので、夏号に是非、と声をかけておいた。依頼はいつも、顔を見てお願いするのが私の流儀。

ほんとうは、こういうことの得意な筑紫磐井さんに、一度お願いしようと思っていたが、なかなかお目に掛らなかった。その筑紫磐井さんと帰りかけた会場の入口でばったり出会った。彼はこれから会場に向かうのだという。 夏号に岸本さんをお願いしたばかりなので、まだ秋号には日がありすぎる。まー次の機会でいいかー、と思って帰ってきた。

雑誌編集者集合

2009年2月21日 土曜日

20日の「俳句界」の座談会は対馬康子・山崎十生・横澤放川各氏と私。偶然にも四人とも雑誌の編集の中心になっているひとたちなので、二次会はそれで盛り上がった。私はいつでもぼんやり生きてきているらしくて、この方たちの存在を認識したのもごくごく数年のことなのである。

そんなお付き合いなのに、2009年の『俳句研究年鑑』の今年の句集ベスト五に対馬さんは「嘘のやう影のやう」を選んでくれていた。四人の中で大規模な「天為」は、主婦のパート代くらいは出ます、というのだから健全財政なのである。

「万緑」の編集を長い間関っていたという横澤さんのことは、「件の会」ではお顔は遠く拝見したことはあるが、全く知らなかった。「万緑」は活版印刷で、それを落としてまで草田男の「万緑」を続ける必要はない、という。横澤さんも全くのボランテア編集長として20年近く関わっているようだ。

山崎さんのところは、全くのアナログ編集で、すべてを印刷所に入れるという。横澤さんが、会員に出来る人が居るんじゃないの、と発言したが、そういう方向に意識を寄せない人にはそうしたことも見えないし、必要を感じないのである。

みなさん、雑誌の経営には苦慮しているらしい。「やっぱし寄付はありがたい」という言葉には実感がある。「ににん」は寄付募集はしたことがない。そのために寄付はあっても発表はしない。会計係りと私の間での処理で、ただ寄付の金額だけ発表する。

しかし、その寄付があってはじめて雑誌の経費がマイナスを免れているのも実情で、余分な企画は出来ない。今回、ににんで「座談会」を企画したが、それは、一般購読者の会費を、何年も別途会計で蓄積してきているからである。

高橋英夫

2009年2月20日 金曜日

18日の「ににん」座談会収録後の齋藤愼爾氏を地下鉄まで送った。彼だけが唯一地下鉄で帰る人だったからである。途中にちいさな古書店があった。古書店と言っても、いまはやりのブックオフに準じるもので、漫画やら雑誌やDVDなどが主である。

そんな本屋だったので、この道は「ににん」の句会のたびに前を通りながら一度も振り返ったことがない。ところが、齋藤氏はそこの前でぴたりと足を止めてしまった。そして「僕ここに寄るから」というのだった。えっ、こんなところと思うほど意外だった。

間口二間ほど奥行きもその程度のちいさな本屋で、なんの役にも立たないようにも思えた。それじゃーと一緒にお付き合いしたが、文学書の類の棚は、半間ほどしかない。あとは二間ほどの文庫本の棚だけ。何を探すというのでもなく、本屋とみれば吸い寄せられるのが習性になっているかもしれない。

そういえば、齋藤氏の近くでお目にかかるときにも、駅まで送ってくださる途中にある本屋さんには必ず寄る。そこの、雑誌のコーナーでつぎつぎ雑誌を繰りながら、その目次を開いて、凄いよね、このメンバーがこんなに書いていて500円だよ、なんていたりする。ほんとうに活字の中に埋れていないと居られないようにも感じた印象を持っていた。

勿論新刊の書店である。そこの本屋さんは小さいながらも、雑誌の種類が揃っているのだ。個人書店のよさは見渡せる中に密度濃く本が置かれていることだ。今では大型店でも置かないような雑誌があって、店主の見識を感じる書店。多分、そこは齋藤さんの気に入っている書店なのだ。

しかし、立ち寄った高田馬場の古書店は、ほとんどが漫画らしくて、鮮やか背表紙が並んで賑やかだ。 漫画やDVD以外の半間の棚の前に立つと、齋藤氏は岩波新書版、高橋英夫著「友情の文学誌」を手にとった。目次には、漱石と子規・鴎外と若き友・鴎外と賀古鶴所・白樺派の人々・白州正子、そして吉田健一、等々の目次がある。「これが250円だよ」とその値段にも齋藤氏は感歎の声をあげた。

高橋英夫の名で私は買う気になった。実は私はこの著者の「時空蒼茫」をいつからか、傍らにおいて「石鼎」を書いてきた。なんで、この「時空蒼茫」を買ったのか今になると思い出せないが、目次に「「砂の上の植物群はどこに」という一章がある。たぶんこのあたりに惹かれて買ったのだろう。

ときどき「石鼎評論」に躓くと、この「時空蒼茫」を開いた。論考を築構するだけの評論はあまり好きでない。そのあたりにも、高橋英夫の本を拠り所にしていたような気がする。

座談会

2009年2月18日 水曜日

『小島信夫の「原石鼎」を読んで』というテーマで、座談会をした。どういうふうになるのかは、お楽しみに。

本来は、その後の二次会の自由な発言も、別章仕立で面白くなるはずだったが、どうも、怪しい雰囲気になったので、早々に切り上げた。本来はこのメンバーだと、終電に間に合う直前がお開きというのが定番なのである。

昨年もそうだったし、ついこの間のテープ起しの編集者を交えた呑み会もそうだった。だから、それぞれの終電の時間も調べてきたが、今回はそういった事情で早めに切り上げた。清水さんたちはやはりそれでは済まなくて吉祥寺で呑んだようだ。

さて、明日からぼつぼつ届いている「ににん」の原稿編集をしなければならない。みなさん、締め切りを守ってください。

現代を詠む

2009年2月16日 月曜日

 留守電を消してしまったが「新しい俳句」についての座談会を、という伝言が入っていたつもりで居たが、正式な依頼書を読むと「現代を詠む」だった。全く方向が違うというのではないが、もう一度詰め直さなければいけない。

新しいといえば、方法論も含めて今迄にアプローチしなかった詠み方なども含まれるが、「現代を詠む」というのは、時事や事象をいうのだろう。そうしたものを、意識して詠んでいるのか、ということになる。ほんとうは、今生きていることが伝わる句を詠まなければ意味がないのだが。

それが短歌になら詠めるのは形式の違いもある。最近話題になっているホームレス歌人の以下の句はまさに現代なのである。

  (柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
  鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか(12月22日)
  水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し(1月5日)
  パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる(1月5日)
  日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る(1月19日)

終戦前後の「京大俳句」 なども、思想的であると同時にその時の現代だった。

   戦争が廊下の奥に立ってゐた   渡辺白泉
   戦争と畳の上の団扇かな    三橋敏雄

しかし、今現代という中で、現代的な句があるのだろうか、と見渡してもなかなか見付らない。

   鵺(ぬえ)鳴くやオウム教徒の白頭巾     三浦勲
   地球今温暖化して牡蠣ぶつぶつ      赤尾恵以
   曼珠沙華ふところに咲くテロの街      岸本マチ子
   ホームレスつっ立つ 正月の通り雨     岡崎淳子

完成した作品はない。その違いは表現方法である。白泉と敏雄の句は象徴詩である。そこまで煮詰めなくては完成しないということは、自然諷詠で切り込んでも無理なのである。だから、これまで「角川50句応募」の作品などは、風土を詠んだ作品群が賞賛されてきたが、現代を詠むというアプローチで受賞した人はいないのではないだろうか。

詠まないのではなく、詠み難いのだ。ともすれば事柄の羅列に終ってしまうからである。実際に、俳句を育ててくれた環境も、現代を詠むという空気を作ってはいなかった。

映画『禪』2

2009年2月14日 土曜日

たしかに、この風は南風だーと思いながら、昨日はアルカディアの『俳壇』パーティに出かけた。会場で「今日春一番じゃーないのかしら」、と言ったら気象庁が発表していましたという。早い春の訪れだ。

その続きの今日は暖房も要らない。何だか心地よい気だるさに蛙さんと遊ぶ。この蛙は「ににん」五周年のとき、購読会員の平田徳子さんのプレゼント。箱にたくさん持ってきてくださった。手製の布造り。その中の親子の蛙を貰ってきたのが、未だに身辺で寝そべっている。
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わたしは、かなりわがままな性格で、しかも気紛れに生きている。他人の好き嫌いも理屈ではなく自ずと選り好みをしているのである。要するに、他人を受け止める感情は、論理を超えたところの許容であり否定なのである。だから、この怠惰で自在な蛙とは性があう。

そういう人間にとっては、宗教に帰依している人というのは馴染めない。どこが馴染めないかといえば、自分は間違いのない道を歩いている、という自負の看板を掲げているように見えるからである。すこしもおろおろしない生き方に見えるからである。そこが嫌なのである。もっと言えばたまらないのである。正しい人間の道などという捉え方で語るのがたまらなく嫌なのである。

もうこうなったら、頑是無い子供が地団駄踏んで我を通すようにしか、説得する言葉がないだろう。間違いない道を歩んでいる人が正しいに決っているのだから。道元が馴染みやすいのは、己の中に善も悪もあるのだという、人間のあるがままを受容するからである。

映画『禪』

2009年2月12日 木曜日

近くのワーナー・マイカル・シネマズで『禪』を観た。この映画の封切り前に、書店で三笠書房文庫の「道元『禪』の言葉」を手にとったからかもしれない。いや、それよりは、ここ数年の間、倉橋羊村さんから「道元」の講話を伺っていたせいだ。

それともうひとつは、倉橋さんが宝物にしている酒井得元師の講話を録音したものを聞かせて貰っているからでもある。これは正法眼藏を説くもので、独特なべらんめー口調で「死んだ後に、地獄も極楽もないのだ」と説く話は面白い。基本的にはこれが道元の道議である。だから、迫害されたのだ。

酒井得元の話は、直に聞いたらもっと面白かっただろうなー、とおもうのは、解いている「正法眼藏」の数行について一時間語るのである。テープの中には、カツカツという音がする。黒板に白墨を使っている音。この酒井得元の話は、ある時期は鹿火屋主宰の原裕先生も聴いていた。

映画は道元の生い立ちが主になった分かりやすい映画だが、本意は伝わるのかどうか。 道元を中村勘太郎。映画は母親の死からはじまる。ここで、死んで極楽に行っても仕方がない、という会話が挿入される。

次が23歳のときに宋に入るが下船が手間取っているときに出会った老展座。すなわち調理の賄いの僧へもっと偉い役職にいてもいい年齢なのに、どうして賄いをしているのかを問う場面は、今までの道元の常識にはなかったのだ。

映画は「只管打坐(しかんたざ)」、すなわちひたすら座禅をすればいいのだという教えが繰り返される。

田遊び

2009年2月11日 水曜日

一年前にも書いた板橋徳丸の北野神社で行なう「田遊び」に今年も出かけてみた。始まるのは六時だが、すでに神殿の中では、神主の祝詞が始まっていた。
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別棟には、これから「もがり」の中で使う鍬や鞍などが餅で出来て並んでいた。うーん、おいしそう。そのあとは、みんなで食べるのだろうか。

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六時ぴったりに「田遊び」は始まって、境内の真中にしつらえた 「もがり」の入り口に脱ぎ捨てられた田遊びを演じる人達の履物。「田遊び」とは、五穀豊穣を願う民族行事。

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演半ばに「もがり」へ通じる鳥居の下で清めの火が焚かれて、妊婦がとおる。「田遊び」を歳時記で引くと、板橋徳丸神社と赤塚諏訪神社という名が出てくる。中仙道の板橋宿にも近い場所。 皇女和宮も大井川を回避して中仙道を辿って板橋宿で一泊しているが、かなり荒涼とした風景が広がっていたのではないかな。田遊びの 詳しいことは「ににん」34号で。

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