映画『禪』

近くのワーナー・マイカル・シネマズで『禪』を観た。この映画の封切り前に、書店で三笠書房文庫の「道元『禪』の言葉」を手にとったからかもしれない。いや、それよりは、ここ数年の間、倉橋羊村さんから「道元」の講話を伺っていたせいだ。

それともうひとつは、倉橋さんが宝物にしている酒井得元師の講話を録音したものを聞かせて貰っているからでもある。これは正法眼藏を説くもので、独特なべらんめー口調で「死んだ後に、地獄も極楽もないのだ」と説く話は面白い。基本的にはこれが道元の道議である。だから、迫害されたのだ。

酒井得元の話は、直に聞いたらもっと面白かっただろうなー、とおもうのは、解いている「正法眼藏」の数行について一時間語るのである。テープの中には、カツカツという音がする。黒板に白墨を使っている音。この酒井得元の話は、ある時期は鹿火屋主宰の原裕先生も聴いていた。

映画は道元の生い立ちが主になった分かりやすい映画だが、本意は伝わるのかどうか。 道元を中村勘太郎。映画は母親の死からはじまる。ここで、死んで極楽に行っても仕方がない、という会話が挿入される。

次が23歳のときに宋に入るが下船が手間取っているときに出会った老展座。すなわち調理の賄いの僧へもっと偉い役職にいてもいい年齢なのに、どうして賄いをしているのかを問う場面は、今までの道元の常識にはなかったのだ。

映画は「只管打坐(しかんたざ)」、すなわちひたすら座禅をすればいいのだという教えが繰り返される。

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