2009年10月 のアーカイブ

秘書役

2009年10月31日 土曜日

一昨日、句集の礼状を送ってから、物凄い失敗をしてしまったことに気がついた。あとから気が付いたのはパソコンで書いていたか、記録が残っていたからだ。多分、たくさん書いているうちに混乱してきたのかもしれない。だからと言って、それは間違いでこれが本物でーす、なんてまた手紙を書くわけにもいかない。それでも親しい人なら、あとで、言分けもする機会があるのだが、超有名な俳人だ。

メールで失敗したこともある。転送するべきものを返信で送ってしまって誤解されてしまった。それも、送信ボタンを押したとたんに気がつきながら、追いかけるわけにもいかないから口惜しい。もうこうなったら居直るしかない。忘れてしまうしかない。相手はきっと今頃は、言葉の使い方も知らない俳人がいるものだなんて、呆れているころだ。

このメール誤配信は逆に困ってしまうものもある。あきらかに私宛ではないのだ。それが気楽に間違っていますよ、と言えない内容。着信していることだけで、困ってしまうようなもの。急いで消しても、あちらには配信記録が残っているのだ。

手紙に限らず、自分の文章は校正が思うようには出来ない。もともとわたしは、校正が苦手である。依頼された原稿も、不都合やら間違いがあったら適宜に直していいから、と断りを入れておく。それでも校正が返ってくるのだ。

この自分の文章と向き合うのも、何故か面映くてならない。しばらくその辺に置いたまま忘れている。そうして時間ぎりぎりになって校正を始める。どうも、秘書役を見つけなければいけないようだ。このブログも誤字が多いけど、というお言葉を頂きながらの更新である。みつけたら、どんどん指摘くれていい。

稲畑廣太郎句集『八分の六』 2009年10月 角川21世紀俳句叢書

2009年10月28日 水曜日

著者の第二句集で八年間の集成のようだ。
先日、松田ひろむ主宰の「鷗」の八月号で虚子の系図を読んだばかりである。虚子の曾孫、すなわちホトトギスの直系として「ホトトギス」の編集長でもある。これを見るときにプレッシャーもあるだろうな、という思いしきりになる。

   初刷といふホトトギス二月号
   麗かや眼中は皆虚子のもの
   栗踏んで虚子の歩きし径を行く

稲畑廣太郎氏はそれを充分意識して、その上でそれを肯定する生き方を選んでいるように見受けられる。
 言い方を変えれば、居直って虚子の影を自ら踏んでゆく意思が感じられた。

   幾万の椿落ちねばならぬかな
   決断は炬燵を出でてよりのこと

 一句目には虚子の「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 」。二句目には「春風や闘志いだきて丘に立つ 」が甦ってくる。

   虫売の籠に子の顔はりつきし
   紫陽花の毬蹴つてゆく羽音かな
   鐘朧新法王はドイツ人
   風呂吹を吹けば海鳴り遠ざかる

のびやかに、ものの本意を差し出しているこれらの作品は、肯定したわが意思の延長上にあるように見受けられる。

オンデマント

2009年10月24日 土曜日

オンデマント方式という印刷技法は随分前から聞いていた。言えば必要な部数だけ作るという方式だ。「ににん」を創刊しようと思った頃、そのオンデマント方式のほうが安価だろうと思って調べたことがある。しかし、小数部では案外高くて諦めたのだ。

あれから10年になる。そのオンデマントの印刷機そのものが進歩しているらしい。最近、まだ日本には数台しか入っていないというオンデマント印刷機を導入した愛媛の印刷会社さんが、わたしの小さな文章を本にしてくれた。以前ブログで数ヶ月連載した孫への手紙だ。

これも本当は素材のままではなくて、皆川博子の『蝶』のような、村田喜代子の『鍋の中』のような子供の視点に置き換えたものを書きたかったので、ずっとあたためてきた文章だった。子供の目線で書く小説風にしたかったのだ。石鼎に取り付かれなければ、もう少し暖めてもいいと思ったが、その余裕もなくなったのですっかり空っぽにすることにした。

結局素材のまんまで原稿用紙にしたら何枚になるのか。とにかく本は148頁(税込み1500円)ある。以前ブログで読んでいた方は、内容を知っていると思う。違う分野なので、相原梓のペンネームにした。これでも書店にも出るらしい。「とりあえず10冊作ってきたから」とポンとテーブルの上に置いた本。わたしは必要なだけ8掛けで買えばいいのだという。

「これで何か誤植や直すところがあったら直しますから」、というのだった。やはりオンデンマントを実感した。28日が孫の誕生日。ちょうどいいプレゼントになった。ちなみに私は10月23日。今日は有楽町駅近くの「バー保志」を借りきりで、ささやかなお祝いだった。またバースデイケーキを用意していただいた。今年はケーキづいている。

『ふたりの女の子  - ことばのアルバム』  

  futarino.jpg        mizuho.jpg

流星群

2009年10月23日 金曜日

木曜日に友人のお見舞いに行ったら、今日は流星群が見えるらしいわよ、と言った。いつもいつも見たいと思うのだが、それが真夜中から未明にかけてなので、見損なっている。海に近い宿にでも泊まるという本格的な覚悟を持たないと、見えないだろう。

友人は帰りがけに、でも真夜中に外に出るのは危ないから、と見たがっているわたしを制した。それが、今日テレビを見ていたら「今日がオリオン座流星群の見える最後の日です」というのだった。やっぱり、今回も見ないでおわりそうだ。

こんなことなら仙台にでも出かけるのだった。夕方、夫を伴って買い物に出かけた。新月と金星が向かい合って南の空に出ていた。月がだんだん遠のいているらしい、と夫が呟いた。その後、見えなくなってしまうかもしれないなどと、とんでもないことを言うのだった。

それでも月は大きいんだ、と思った。なにしろいつもいつも夜空の存在感は月なのだから。でも、また夫は金星は月の何倍とかで火星はそれより大きいと、またとでもないことを言うので、そんな大きいのに、何故ロケットは月ばかり目指すのよと言うと、月が近いからだ、といとも簡単な答えが返ってきた。

遠い、近いといっても、とてつもない距離なので見当もつかない。どうも私の天文学は幼稚園並なことに気がついた。 今夜は曇で星は見えそうもない。

10月桜

2009年10月17日 土曜日

sakura1.jpg

日比谷公園の近くの地下鉄の入口の街路樹だが、桜が咲いていた。今の季節なら10月桜という種類なのかもしれなが、特別な表示もなく、この時期の桜はかなり地味である。写真に撮ろうとおもっても、いい角度がなく、色彩も出ない。かろうじて一枚が花をはっきり捉えていた。真昼間なのだが、夕暮のように墨色になった。まー携帯カメラのせいもある。

今日も辛うじて無事だと思うのは、決して人事ではない。身近に病人がいて、そうのうえに親しい友人が昨夜の真夜中に家の中で躓いて動けなった。救急車で入院という騒ぎを起したが「どうやって知らせたの」と聞いたら、辛うじて電話のところまで這って行ったのだという。やはり身近に携帯電話を置かなくていけないかもしれない。私が眩暈を起したときもそうだった。

家に帰ってくればメール整理と農園管理。と言っても農園はパソコンの中なのだが、このごろはポイントが上がって牧場も経営している。鶏の生む卵の採集もしなくてはならない。このソフトの絵はかなり稚拙で、ちょっと夢を壊すという感じだが、とりあえず緬羊を飼って、毛を刈る作業までは体験するつもり。

『運河』2009年10月号・主宰茨木和生

2009年10月11日 日曜日

俳誌逍遥     筆者 山 内 節 子
 
「ににん」  二〇〇九年 夏号
 創刊=平成十二年十月・朝霞市  創刊・代表=岩淵喜代子
 同人誌 季刊 通巻第三五号 
 
 岩淵代表は学生時代から詩を書き、俳句は「鹿火屋」で原裕に、「貂」創刊同人として川崎展宏に学ぶ。連句にも造詣が深いと聞く。
 「ににん」創刊にあたって、「俳句を諧謔とか滑稽などと狭く解釈しないで、写実だとか切れ字だとか細かいことに終わらないで、もっと俳句の醸し出す香りを楽しんでいきたい」と語る。
 評論や句評にも力を注ぐ。代表自身も創刊以来、連載評論【石鼎評伝「花影婆娑と」』を重ねて来た。綿密な調査と貴重かつ膨大な資料に基づいたこの連載評論は、筑紫磐井氏が新聞誌上コラムで取り上げたほど。
 残念ながら、これは「ににん」前号の三四回で打ち切り。最終章を附けて、深夜叢書・評伝『頂上の石鼎』として近刊予定という。
 本号ではその予告も兼ねて、『特別企画「石鼎を語る」』と題した座談会を誌上掲載する。出席者はその刊行に当たった深夜叢書代表の斎藤愼爾氏、「大」「なんぢや」の土岐光一氏、文芸ジャーナリストの酒井佐忠氏、「ににん」から清水哲男氏、正雄勉氏と代表。
 普羅と並べて「二人の新人を得たり」と虚子に言わしめた俳人石鼎。彼の人生観、自然観に迫る討論に、この近刊書への期待がふくらむ。
 
 『物語を詠む』は、古今東西の小説や児童書などをテーマに同人諸氏が二十四句を詠む。原典にとらわれない自由な詠み方に、却って俳人の個性や興味の対象が如実に出て面白い。

 岸本尚毅氏特別寄稿コ石森延男の『千軒岳』を詠む」より
   猿曳や猿の義経栗を喰ふ
   黒き海に白き波ある絵踏かな
 
 伊丹竹野子氏「夏目漱石の『草枕』(その二)を詠む」より
   落ち椿地虫に吸はれゐたりけり
   芹薺ほろりと苦き水の角
  
 「ににん集」はテーマ詠。アプローチは各氏各様、ひとり五句ずつ詠む。今回のテーマは「赤」。「赤とは大すなわち人の正面形。これに火を加えることは禍を祓う意がある。」と。この会意文字「赤」の意味も踏まえ、句を拝見。
   赤い糸切って静かや芙美子の忌    四宮 あきこ
   赤牛の乳はとばしる夏木立       武井 伸子
  
「さざん集」同人自選五句より
   膝埋めて合掌の屋根葺き替へる    宇陀 草子
   茄子一生食ふ夢を見し寝汗かな    木津 直人
 
 木佐梨乃氏の【英語版奥の細道を読む】は、ドナルド・キーンの訳文と原文を比較解説。他、充実の連載評論や句評エッセイなど、同人一人ひとりの俳句意識が高い俳誌である。

平林寺ひとり吟行

2009年10月10日 土曜日

karasu.jpg * heirinnzi3.jpg * hatozi9.jpg

久し振りに平林寺まで足をのばした。いつものおきまりのコースで、バスで山門前で下車。土曜日でも平林寺は静かだ。2日前の台風禍もまったく後を留めていないのは、さすが禅寺である。箒目が際立っていた。しかし、裏の雑木林に入ったら、夥しい団栗の散乱。なんだか絵巻物のような感じだ。

庫裏のあたりから手押し車を押してきた作務の人に「こんにちは」と声を掛けられてあわてて挨拶。鐘楼のあたりに初紅葉。これから、この禅寺はみごとになる。

帰途はまた、バスで朝霞台に到着したら電線に鳥が整列。「つばくらめ斯くまで並ぶことのあり    中村草田男」を思い出す風景だ。しかし写真の鳥は椋鳥のようだった。

永島靖子第三句集『袖のあはれ』  2009年9月  ふらんす堂

2009年10月9日 金曜日

 あとがきを「俳句は象徴詩である」ということばから書き始めている。20年の年月を凝縮した一集である。今回の句集は、どこを切り取ってもかまわないような静謐な作品が並ぶのは、その二十年という年月の中から整理されたものであるからかもしれない。

   さらはれるなら春雪の畦をこそ
   薔薇の字を百たび書きぬ薔薇の季
   蜘蛛の囲の向う団地の正午なり
   戦争があり大甕に八重桜
   白昼はさびし砂場の雀の子
   廃駅あり冬の落暉を見るために

柴田千晶句集『赤き毛皮』  2009年9月 金雀枝舎刊

2009年10月9日 金曜日

「街」所属だが、その前に詩集を数冊発刊している。

  夜の梅鋏のごとくひらく足
   雪の夜や体重計という孤島
   月の部屋抱き合ふ影は蜘蛛のごと
  独りの夜耕牛に踏みしだかれてゐる
  昼蛙乳房さびしき熱を帯ぶ

二句目の「孤島」の比喩は独創的。四句目はまさに象徴詩というべき類に属する。 今井聖氏が序文で書かかなくても、数ページ繰れば性をテーマにしている作品群であることがわかる。上記の句は目次「軀」の章からの抽出だが、一句目の情景などは開高健の小説の一場面にある。鋏とは言っていなかったが、特異な場面の描写で印象で覚えている。今題名は思い出せないが。
 目次はさらに「横須賀」・「煙の父」・「死霊」・「派遣OL東京漂流」・「赤き毛皮」となる。作者が意識的に作句していることが、内容をわかりやすくしてしまっているかもしれない。

前倒しの誕生日

2009年10月3日 土曜日

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今日は「頂上の石鼎」出版第一号の乾杯を数人でして貰った。明日の朝日新聞には深夜叢書の広告として、「頂上の石鼎」の書名も出るらしい。その前祝いにもなった。楽しいことは何度でもいい。

 イタリアンのお店は満員だったが、実に静かだったのは、お行儀のいいグループばかりだったのだ。一テーブルは赤ちゃん連れのご夫婦が占めていた。お父さんも若い。そんな若い人が赤ちゃんを抱いている風景はなぜか熱くなるのもがある。帰り際に何ヶ月か聞いたら「もうじき5ヶ月になる赤ちゃんということだった。

あっと、まだ終わりではない。一日のわたしのブログを読んでいた方がひそかに仕掛けたサプライズ。写真のような可愛らしいバースデイのデザート。何年ぶりかの誕生日だ。それも、前倒しで。

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