著者の第二句集で八年間の集成のようだ。
先日、松田ひろむ主宰の「鷗」の八月号で虚子の系図を読んだばかりである。虚子の曾孫、すなわちホトトギスの直系として「ホトトギス」の編集長でもある。これを見るときにプレッシャーもあるだろうな、という思いしきりになる。
初刷といふホトトギス二月号
麗かや眼中は皆虚子のもの
栗踏んで虚子の歩きし径を行く
稲畑廣太郎氏はそれを充分意識して、その上でそれを肯定する生き方を選んでいるように見受けられる。
言い方を変えれば、居直って虚子の影を自ら踏んでゆく意思が感じられた。
幾万の椿落ちねばならぬかな
決断は炬燵を出でてよりのこと
一句目には虚子の「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 」。二句目には「春風や闘志いだきて丘に立つ 」が甦ってくる。
虫売の籠に子の顔はりつきし
紫陽花の毬蹴つてゆく羽音かな
鐘朧新法王はドイツ人
風呂吹を吹けば海鳴り遠ざかる
のびやかに、ものの本意を差し出しているこれらの作品は、肯定したわが意思の延長上にあるように見受けられる。