2007年12月 のアーカイブ

二日酔い?

2007年12月29日 土曜日

二日酔い、なーんて書くと飲めそうである。でも昨日の酔い残っているみたいに、何時もより眩暈がする。もともと眩暈の薬をずーっと飲んでいるのだが、今日は何時もよりその度合いが強い。私は下戸なのでビールを一口飲んだだけで、顔だけでなく全身が真っ赤になる。そんな具合だから、ビールのグラスが3分の1くらい空いた頃には、まるで、みんなより先に、2杯目のグラスが置かれているかのような印象である。

でも、赤くなるときはいい。真っ青になるときは大変!。急性の脳貧血寸前の状態になるのである。ビールが血管を広げて、下にみんな血が下がってしまうのである。止まり木みたいな椅子はことに下がりやすい。何だか視野がせまくなって、吐き気もしてくれば、そのあとは、棒のように倒れるしかない。何回かの経験で、そんなときには横になればいいのだが生憎そうなれないときには、路上でもどこでも蹲っているのが一番安全なのだ。

そうしているうちに、頭にも血液が戻ってくるのだが、その貧血状態のときの風景には色彩がない。それなのに、白はいやに眩しい白色なのである。これは夢の中の風景に似ている。そんな見え方のうちに歩きだしたら、また脳から血が下がったしまうので、動けない。こんなときには、誰かが冷たいおしぼりを首筋に当ててくれれば、回復が早い。句会の帰りに途中下車して、自販機で買った罐のお茶を首に当てながら次の電車を待ったこともある。ようやく風景に色彩が戻って視野も広がってきたことを確認して歩き出す。

昨日は、寒いせいか、脳の中が空っぽになることはなかったが、隣の店でコーヒーで落ち着かせている間中、頭が動くと、それ以上に風景が揺れる。多分、歩いたら肩をゆらゆらさせながら歩いているのではないかと思う。
「そうそう、わたしなんか後ろから来る人に背中が揺れているわよ」
なんて言われたことがある、と一緒に飲んだ友人はいう。その友人は酒豪だから、飲むといったら、それは空のグラスがテーブル一面に林立するぐらい飲むときだ。勝手なことを言いまくって、翌日は全く覚えていない。

でも、私の場合は体が揺れても頭までは酔わない。なんたって飲んだと言ってもジョッキ一杯のビールがせいぜなのだから。たまには自分でない人間になるくらい酔ってみたいものだ。そうして、「手を上げたら車は止まるもんなのだ!!」などと街中に聞えるように叫んでみたい。「人の目の前をうろうろ歩くな!!}なんて怒鳴れたら気持ちがいいだろう。カミユ・クローレルのように恋人ロダンの家の窓に石礫を投げられたら、どんなにスカーットするだろう。それなのにただただ、体の自由が失われるだけなのが、ほんとうに理不尽で、情けない。  ににん  

「ににん」発送準備

2007年12月27日 木曜日

昨日の夜と今日一日を発送準備にあてた。機械的にシールを貼って、封をしてというだけならもっと早く終るのだが、名前を見ると、何か一言書いたメモなどを挟んだりしてしまう。だから、結構時間がかかるのだ。

しかし、創刊当時からずーっと購読をしている方々がたくさんいるので、やはり、ひとりでコツコツやるほうが、メモを入れたり、忘れていた本を一緒に返したりと、細かな作業がもれなく出来るのである。

創刊からずっとということは,もう8年間も購読費を払っていてくれるということである。ほんとに感謝を何回言っても言い足りない。まれには、高齢の方に、どうぞ、今回でご放念くださるように、と書き込むこともある。こんな仕事もあるから、大勢でわさわさ片付けてしまうわけにはいかないのである。

作業の途中で、散歩もかねて郵便局へ出かけた。黒目川の橋の上に百合かもめがたくさん日向ぼっこをしているみたいに並んでいた。土手では餌付けをしている人もいる。そのためか、人が寄ると餌を期待して、近寄らず遠ざからずに、群れている。ほかにも鳩の群がいて、水面には鴨が悠然と浮いている。百合かもめに比べると、なんだか気位の高そうな鴨に見えてくる。 ににん 

29号への掲載句

2007年12月27日 木曜日

冬紅葉肩で息して斎場へ             たんぽぽ
柿熟れぬ肩の優しき阿修羅像        三千夫
烏賊干して猫は昼寝の鞆の浦          市丸裕
肩幅と歩幅で生きる老いの暮      なかしましん        
小包を開くとふわり肩布団         曇 遊
竹箒肩で支へて拾ふ栗          大木 雪香 
胸周り背丈肩幅毛糸編む         平田海苔子
肩借りて鼻緒きしきし後の月         遊起
知らぬくせに肩入れをして夜長かな     廣島屋
肩先で息ととのえる秋の蝶        荒池利治
肩寄せて微笑みかえす秋の風       半右衛門
花梨の実都電の肩のすれすれに       さわこ
秋蝶のロダンの肩にとまりけり      坂石佳音
ぶらんこに容るる秋思の肩の幅     猫じゃらし
地芝居や父の胸蹴る肩車         石田義風
なで肩のままの写真や暮の秋         廣島屋
肩凝りは星の引力星月夜           祥 子
肩たたきたき母さんの墓に菊       大木雪香
肩よりも高きを飛ばぬ秋の蝶       ミサゴン
肩の傷舐めて出て行く猫の恋       西方来人
羅漢像肩組み合いし良夜かな         華子
いかり肩なで肩秋の山の肩         しかの
肩に落つ夕日その後の一葉かな      大木雪香
生れしより肩書き持たず秋桜        華 子
肩越しの遠山白し星月夜         西方来人
敗北に肩落す白運動会          ミサゴン
肩の荷のおりていささか肌寒し     大木 雪香
豊年の肩抱きあふ道祖神         森岡忠志
古酒呑んで五十の果ての五十肩       ハジメ
肩だけが知っているなり女郎花       小兵衛
山男すすきを肩に戻りけり        たんぽぽ
秋の蝶髪から肩をつづれぬふ       隠岐灌木
肩車され名月に手を伸ばす        森岡忠志
肩越しに俺取ってやると敬老の日     たか楊枝
肩越の授業研究爽やかに         半右衛門
月涼し肩甲骨に触るる髪           戯れ子
肩幅をはかりてをれば夜の蝉         リズ
出湯小屋へ肩幅ほどの月の道     たかはし水生      
肩越しに風来る朝の深山蝉          リズ
肩書きを外して酌むや秋の暮れ      西方来人
肩ふれてより秋風の通い道          リズ
年毎に肩身の狭き夕端居         半右衛門
焼き芋の肩やふはふは力抜け         曇遊
肩上げの糸繰る母や七五三          佳子      ににん 

年末

2007年12月24日 月曜日

朝が遅いから、できる事なら午前中の来訪者はないほうがいい。だが、夕方届きます、と言ってきた「ににん」冬号の宅急便が寝起きに届いてしまった。ようやく一年が終るなーという感じだ。

数日前に句集の再校も渡し、表紙の絵も決まり、筆が遅いらしいSさんの栞の文章も届いた。さすが蘊蓄を傾けた知的な文章である。出版者に電話を入れると、編集長が出て、「ねー、陸沈ってなに?」と、いきなりの問いかけ。

そう、Sさんの栞の表題が「陸沈の佳人・〈嘘のやう 影のやう〉へのオード」なのだ。「今回の句集は社長がいやに張り切っていて、触らせてくれないんですよ」というのだった。だから多分、編集長も自分の目の前をよぎる原稿の表題の部分だけ、すばやく読み取ったのだろう。なんだか、笑えて、邪気のない社長の顔が目に浮ぶ。

「陸沈」の意味は句集が出てからのお楽しみということにして、とりあえず「ににん」の発送に取り掛からなねば。今年で「ににん」を去る人もいる。そうした人はたいがい、文章を書く意欲があって入会した人。そして書く意欲がなくなったときに去っていく。

これまでの殆どがそうだった。それもいいではないかと思う。一人が去って一人が入ってくる。そんなかすかな新陳代謝も必要である。頑張ってくれて有難う。また書くことがあったら「ににん」に来て書けばと言っておく。    ににん  

雁供養

2007年12月21日 金曜日

歳時記に雁風呂というのがある。一番新しい「角川大歳時記」の解説には、--東北の外が浜では雁が北へ帰ったあと海岸に落ちている木片を拾い集めて風呂を焚き、村人が入浴する風習があるという言い伝え。秋に雁が渡ってくるとき、海上に受かせてその上で羽を休めるために、小さな木片をくわえてくる。それを浜辺に落としておき、翌年帰る時にまた拾っていく。木片が残っていれば、それだけ雁が日本で死んだものとして供養のために風呂をたてたという。外が浜がどのあたりかは諸説がある。僻遠の地のあわれを誘う習俗として詠われてる。--とある。

なぜ供養が雁だけなのか、白鳥や鴨にはそうした俗信が生まれなかったのか。そのことが、気になっていたのだが、今月15日に「雁のねぐら入り」を見に入ったとき理解出来たのである。案内人が、蕪栗沼が「雁のねぐら」として相応しいのは、その水の浅さにあるのである。雁は足が届くほどの浅瀬でないと眠れないのだという。それなら陸で眠ればいいではないかと思えるのだが、陸では外敵に襲われやすいのだ。外敵に襲われにくく、身も沈まない程度の水深の場を選ぶという必死な選択なのである。

雁が木片を海上に落としては、体を休めるという想像はこのあたりからの発想であろう。水深のあるところでも眠れる鴨や白鳥は木片を咥えて渡っていく必要はないのである。しかし、実際には雁だって木片など咥えて帰ってもいかなし、木片を咥えながら渡ってくるわけでもない。そんなことは充分わかっていても、春の浜辺に打ち上げた小さな木片を死んだ雁の残したものと言い伝え、雁供養という言葉を生み出した背景には、貧しい極貧の辺地では雁が食料にもなったからであろう。森鴎外の「雁」の中では、不忍池の雁を、学生が食べるために持ち運ぶシーンがある。

もう一つ雁にまつわる言葉で、「落雁」というのがある。お菓子の名前である。これも、偶然雁の名が選ばれたわけではない。白鳥や鴨は水面に降りるときには、暫く水上を滑走するのだが、雁だけは、水面から1メートルほどのところから垂直に着水する。さらに、集団で飛んでいるときにも、なぜか、一羽だけ、群の中を垂直に落下する雁を見ることがある。昔の人は、そうした生態を見るともなく見て来ていたことが、忍ばれた。 

ににん

雁の空

2007年12月17日 月曜日

今日は階段を下りる度に何故か太ももが痛い。昨日の東京タワーを階段からおりたのが祟ったようだ。20年ぶりに東京タワーに登った。一行の中には上りも下りも階段を使った人がいる。逞しい女性だ。穏やかな透明な空で、遠くまで見通せた。なんで吟行が東京タワーになったのだったか。

太ももの痛さは、土曜日の雁を見にいったときの沼の淵をあるいたことから始まっているのかもしれない。その日も天気に恵まれた。ネットで見つけた雁を見るツアーは、東北線の田尻に3時に集合する、というごくシンプルなツアーである。野鳥の会のような方が待っていてくれて、マイクロバスに誘導してくれた。雁は日の暮れを察知して、田圃から帰ってくるので、曇っている日は早く帰るらしい。

他の鳥と違って、雁だけはなぜか文学的な匂いを醸し出す。動物園でみたこともあるが、だからと言って、鴨の少し大振な鳥という認識しか持っていなかった。多分雁の本意は文学作品の中から蓄積されてきたのであろう。

       坐りゐて蹠をみせる雁の空
       透けるまでビルは灯ともす冬の雁

いままでいくつも雁の句を作っているが、雁を見に行った今回は雁の句はまだできない。

当日は晴天だったから、雁は予定通りの4時30分ごろから,四方から帰ってきた。それが蕪栗沼の一遇にみんな固まるので、そこだけ黒い島のようになっていく。一時間くらい居たのだが、まだ帰ってくる雁がいる。気がついたら、田圃のほうへまっしぐらに飛んでいく2羽の鳥がいる。もしかしたら、親鳥が、先に帰ってきてしまったのかもしれない。

帰ってきてみたら子供がまだ見当たらない。それでまたもとの田圃に探しにいったのだろうか。みんなと逆の方向へ飛んでいるので、まぎれないで、いつまでも見えている。きっと、「まったく何をしているの、うちの子は」などと言い合いながら飛んでいる雁の夫婦なのではないだろうか。

土曜日は雁を見に行き、昨日は東京タワーに登ってきて、書くことは一杯あるのだが、とりあえず、今日は俳人協会の図書室になにがなんでもいかなければならない。俳人協会が明日から年末休み入ってしまうのである。しかも、来年も10日か、もっと先でないと開館しないのである。それでは一月十日までの締め切り原稿に間に合わない。しかし、頭の中は、ずーっと雁が飛んでいる。もう一度今年のうちに行こうかなー、などと考えているのだが・・・。

ににん

國井克彦詩集『東京物語』 思潮社 刊

2007年12月12日 水曜日

國井氏の11年ぶりの詩集。「東京物語」という題名が示すように、また、その目次の・幻視の海・・蔵前橋通り・・東京に雪が降る・・浅草幻想・・などが示すように都会派の詩である。しかし、一冊を読みとおすと、國井氏の生涯の凝縮したものが伝わってくる。そうして、その生涯を肯定も否定もしないで、叙述しているのが俳句的である。そう、國井氏は余白句会で俳句も作っていて、2年ほどまえに「森の蝶」という句集を手作りで限定30部発行している。

詩は一編ごとの一行の文字数が揃っているのが多く、何気なく読んでいると、その意味を見過ごしてしまうかもしれない。たとえば「啼く鳥」で一行が14文字に揃っているが、これもある種の呼吸を表し、視覚的表現も込めているのではないかと思う。

     あの鳴き声は鵙か仏法僧か梟か
         夜毎隣家から聞こ えて来るのは
     不満げな孤独な鳥の く ぐも り声
     ついつぶや かずにはいられない
         鳥を養う な かれ又飼うなかれと

「夢の楽器」もおなじような表記のしかた。「啼く鳥」14文字で一行だが、これは16字。16音ではない。漢字も一文字に数えて上下揃いを意識している。 ににん 
 

正津勉著『小説 尾形亀之助』 窮死詩人伝  河出書房新社 刊

2007年12月12日 水曜日

正津さんの好きな作家はいつも破滅形のような気がする。しかも、この亀之助は東北の大きな造り酒屋の生まれ。そんなところの家庭背景も自分に似ていて魅かれる要素になっているのだと思う。もう一つの好きな理由は、亀之助が放蕩無頼であるからだ。どちらも、正津さんの憧れなのである。破滅型と放蕩無頼に憧れながら詩を鑑賞し、詩人の生涯を小説化していて面白い。

      から壜の中は
          曇天のやうな陽気でいつぱいだ

     ま昼の掘る男のあくびだ

     昔ーー
     空びんの中に祭りがあつたのだ  「無題詩」(『色ガラスの街』)

紹介されている亀之助の詩から、もっと詩が読みたくなり、せつなくなる。        ににん 
 

 

秦 夕美著『赤黄男幻想』 富士見書房

2007年12月12日 水曜日

 個人誌『GA』に連載していた赤黄男の鑑賞を纏めたもの。一句を見開きで鑑賞している。もともと赤黄男をしっかり読んだことがなかったので、秦さんの雑誌で富澤赤黄男の俳句を味わってきていた。赤黄男の作品は一行詩と呼ぶのが相応しい。好きな作家である。その赤黄男を秦さんはいつも自分の内側に呼び込んで鑑賞している。
  
  切株のじんじんと ひびくなり
 ここでは、赤黄男の句はなぜこんなに哀しいのだろう、と問う。

  一本のマッチをすれば湖は霧
 このマッチを擦るという行為で何を思い、何を感じたのだろう、と問う。
 
  紫陽花は おもたからずや 水の上
 なぜ、自分が赤黄男の句に惹かれるのか、と問いながら鑑賞する。
こうした書き様が、秦さんの文学観を語っているのである。

 随分前に頂いたのに、読むのに時間がかかってしまって、紹介が遅くなってしまった。            ににん 
 

倉橋羊村著『水原秋櫻子に聞く』   本阿弥書店刊

2007年12月12日 水曜日

倉橋氏の表現姿勢は文中の以下の箇所に集約されている。

「秋櫻子については「波」創刊号から書きつづけて、30年を経た通算60回(一回2000字)の今日も、まだ書き切れていない。ちょうど1800枚を超えたところだが、私としては生涯書き続けるつもりでいる。」こうしたコメントが途中にあり、さらに「一気に読み切れる秋櫻子の文章を、何回にも分けて丹念に読んでいるのは、私自身改めて秋櫻子から学びたいからで、活字となって残っている文章から、ゆっくりいろいろな示唆を引き出したいからにほかならない。」の一文がある。

秋櫻子についての一書は、30年くらい前に「水原秋櫻子」というタイトルで上梓している。そのあと虚子についての一書があり、道元についての著書が続いている。もちろん道元についての著書も二冊ある。とにかく、こつこつと倦まず弛まず、書くことが好きな俳人。直接出会った印象からも、誠実な学級肌の人柄がにじみ出ている。

一書によると秋櫻子は古稀になってから、文章会を始めている。その初期のメンバーの一人に、倉橋氏もえらばれたようだ。書くというきっかけの原点をみたような気がした。 ににん 

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