倉橋氏の表現姿勢は文中の以下の箇所に集約されている。
「秋櫻子については「波」創刊号から書きつづけて、30年を経た通算60回(一回2000字)の今日も、まだ書き切れていない。ちょうど1800枚を超えたところだが、私としては生涯書き続けるつもりでいる。」こうしたコメントが途中にあり、さらに「一気に読み切れる秋櫻子の文章を、何回にも分けて丹念に読んでいるのは、私自身改めて秋櫻子から学びたいからで、活字となって残っている文章から、ゆっくりいろいろな示唆を引き出したいからにほかならない。」の一文がある。
秋櫻子についての一書は、30年くらい前に「水原秋櫻子」というタイトルで上梓している。そのあと虚子についての一書があり、道元についての著書が続いている。もちろん道元についての著書も二冊ある。とにかく、こつこつと倦まず弛まず、書くことが好きな俳人。直接出会った印象からも、誠実な学級肌の人柄がにじみ出ている。
一書によると秋櫻子は古稀になってから、文章会を始めている。その初期のメンバーの一人に、倉橋氏もえらばれたようだ。書くというきっかけの原点をみたような気がした。 ににん