2007年5月 のアーカイブ

句集 

2007年5月22日 火曜日

柴田奈美句集『黒き帆』

中原道夫氏の帯に「物語性のある俳句」という一文がある。

  さびしさを黒に徹して揚羽飛ぶ
  揚雲雀天界の鍵落としけり
  日のぬくみ重し重しと冬の蝶
  風鈴を吊るす男を踏み台に

「さびしさ」「鍵」「重し」「男」などのことばが、虚と実の狭間が読者に様々な想像を呼ぶ。 


 杉良介句集『四神』

「狩」同人。四神とは、四方におく神獣のようである。

  水族館出でて緋鯉に餌を撒く
  秋蝶が過ぎ猫が過ぎ日曜日
  一杓の寒九の水を身に通す
  干し傘の仰向けとなる電波の日

調和のとれた本質を見ようとする眼を感じる作品。    


国井克彦句集『森の蝶』

手作りの句集『森の蝶』 A4判のコピー用紙をそのまま使った手書きの句集である。一ページに20句で36ページということは膨大な句数である。それを何度も納得するために、ページを繰ってみたりした。表紙から奥付けから、そしてまた俳句のページを読むよりも先に何度も繰った。それほど、みごとに丁寧に作っているのである。最後に限定30部の文字にまた、留まってしまった。貴重な句集である。
国井勝彦氏の詩集の表題は「丘の秋」「月明かり」など俳句的だなーと思っていたが、作品は、詩とは違って今度は誌的だなーと思った。
要するに詩と俳が融合しているのだろう。

   追憶の如くに群れる森の蝶   

扉に、色紙仕様で書かれた俳句である。中でも一番詩的な俳句である。

  
     大根をごろりと置きし机かな
  手の中の胡桃の位置を移しけり
  そうですよ六十三です秋刀魚焼く
  古雛や灯かげに笑っているごとし
  千年の昔見ている沢桔梗
  梔子の実が抱いている海の色
  朔太郎余寒の隅に置いている
  早春や名の無き草は無かりけり
  冬董咲いて病気の百貨店
  独り食うサトウの御飯鑑真忌
  薫風や六十年という時間
  教祖様机叩いて汗かいて
   

八重桜

2007年5月17日 木曜日

172

ルリが死んだころ、まだ八重桜が咲いていたのだ。

それは荼毘にするために、かかりつけの医者に連れていったときに、柩の中に八重桜を入れてくれたからである。その経緯は、季節のエッセイ八重桜と光文社刊「わたし猫語がわかるのよ」に書いたので省こう。

荼毘に付したルリの骨は、マグカップくらいの小さな陶器の骨壷になって戻ってきた。
埋葬の場所もすぐ見つかった。越生である。一年間はそのまま、祀ってくれて、そのあと共同墓地に収めてくれるのである。

お骨を預けた年の秋に、家族で骨壷のなかに納まってしまったルリをお参りした。梅の里にも近い畑の中に、その霊園はあった。

新築しなければルリはまだ長生きしていたかもしれない。
ルリの匂いのついていない新しい家が、かえってルリの辛い想い出になってしまった。

だが我が家の三人は、内田百?のように「ルリやルリや」泣き喚くこともなく、狂うこともなく、日を過ごした。そして、猫も犬も飼うこともないまま、もう十数年が流れていた。

千一夜猫物語 完



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