2010年6月 のアーカイブ

逢ひたくて螢袋に灯をともす

2010年6月27日 日曜日

NHK深夜便の今日の花の一句は拙句「逢ひたくて螢袋に灯をともす」が放送された筈である。筈というのは、その時間は私にとっての一番の熟睡時間である。だから、この一句が放送される時間帯を一回も聞いたことがない。

だから冒頭の句が六月二十七日に放送されるという知らせを戴いても、最初から諦めていた。ところが、けっこう早朝型人間はいるものである。俳句に全く関係のない友人から、「聞きました」という電話がいくたびも入った。メカに強い人は、こうした放送を録音してあとで聞いているのだろう。       
          NHK深夜便http://radio.nhk-sc.or.jp/

ところで、この一句の解説は昨年の「俳句あるふぁ」4、5月号に以下のように書いた。

      ~~~~~★~~~~~

逢ひたくて螢袋に灯をともす
 
 ふと思い出したのが、湖を隔てて愛し合う男女の物語である。男が火を焚き、女がその火を頼りに、毎夜泳いで逢いに行く話。最後は男が飽きて火を焚かなくなったのである。なぜ、体力の無い女が泳いでいくのだろうと、女の私には不条理な話に思えて仕方がないのである。
 螢袋はその名のとおりに袋状の花。垂れ下がった咲きようはランプシェードのようである。その連想から「ともる」ということばが生れた。そうは言っても虚構の火であることには違いないが、念じて眺めていれば点っているかのようにも見える花である。否、想いを凝らせば灯がともりそうな花である。 
 「螢袋に灯をともす」が出来ていから、初語「逢ひたくて」を見つけるのに数カ月を要した。この言葉を見つけたことで、ようやく「螢袋に灯をともす」のフレーズが生きたと思えたからである。

            句集『螢袋に灯をともす』所収   平成2年

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夏の朧月

2010年6月19日 土曜日

娘の同級生の父兄から六年生の担任だったS先生が定年になるので、みんなで集まらないか、という電話があった。と言ってもその六年生のときというのは三十年前なのである。それから一度も会ったこともなく、S先生の噂話をしたこともなかった。だいたい、私に至ってはその先生の顔も名前も思いだせない。

「でもー、仙台にいる娘は来られないって言っているけれど」と伝えたが「いーじゃない一人でも」ということで、近くのイタリアンレストランにはせ参じた。会場についても、なかなか当時の記憶が戻ってこないし、集まった生徒の名前も父兄の名前も思い出せない人が多い。

そのうち「水泳が得意だったですよね」と娘の同級生が言う。「なかなか父兄の役員が決まらなくて、やっと岩淵さんが引き受けて助かりました」と先生がいう。新任で初めて受け持った学級だったようだ。それから、突然「岩淵さん町会長さんをやっていましたよね」と先生がいう。一度くらいは学校にお見えになるかな、と思っていたのですが」とまたまたとんでもない発展をしていった。たしかに数年前二期ほど、町内会長をしていたのだ。

「そのとき僕、十小に勤めていましてね、いつも学校便りを町内会長さんには送っておりました。」という。「ひえー」と私としては飛び上がらんばかりの驚きなのだ。たしかにそういう案内が来ていた。そうして運動会の時の案内もきていた。あちらは、あの時の生徒の父兄という認識をしながら送っていたのだ。

そのお知らせには、先生の名前もきっと入っていたのだ。その名前で思い出す筈だとS先生は信じていたのだろう。実はその「十小だより」は町内会長を引退したあとも何回も送られてきた。それで、わざわざ、新しい会長の住所を一度ならず、学校へ知らせたのだ。何度めかのときには、まったくこの学校はなんという事務処理の手鈍いところなんだ、と思ったくらい苛ついたものだ。

会が終わって、外に出たら朧な三日月がでていた。 あちらこちらで、今夜は螢が出ているに違いない。

44回蛇笏賞・超空賞贈呈式

2010年6月18日 金曜日

今回の受賞は真鍋呉夫氏の『月魄』。大正九年生れである。現在NHK朝ドラの「ゲゲゲの女房」に登場する水木しげるが大正十一年・八十八歳。私には考えられない長寿である。ところで、超空賞は昭和三十三年生れの坂井修一氏である。この年齢の開きは、俳句という文芸を特徴付けている。

俳句を老齢化させないためにという配慮がありすぎる昨今、若書きの作品をいくら持て囃しても、『月魄』の前には雲散霧消してしまうだろう。俳句が認識の文学だからである。 到達した精神が筆を動かすのである。今季受賞した真鍋氏は、以前の句集『雪女」』も話題になった。そうして、この『月魄』も魅力にあふれている。それは言語の収斂された世界が加わるのだ。

  象のごとこの世の露を振りかへり
  秋風に蹠を見せて歩む象
  青き夜の猫がころがす蝸牛
  姿見にはいつてゆきし螢かな
  蛤の舌だす闇の深さかな

俳句の写生論だけでは、これらの句は生れない。魂でつかみ取る風景と言いたい。おかしみもまたそういう視線があってこそ生きるのである。「軽い句」と「軽味」はまったく別物なのである。

紫陽花

2010年6月11日 金曜日

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一昨日の夕方のほんのひとときの雨だったが、まさに驟雨という降り方だった。その雨で枝折れした紫陽花。まだ色が出ないでクリーム色っぽい。でも青よりもさわやかでいい感じ。ずーっと紫陽花は白から青、そうして赤紫に変化するものと思い込んでいた。思い込んでいた、と言うには訳がある。今でも解決しない不思議な体験である。

紫陽花の花は白が青になることはないのだろうか。ずいぶん昔、もう俳句を始めていたころで、一人で熱心に鎌倉を歩いたことがあった。というよりは、方向音痴の私の唯一ひとりで安心して歩ける土地だったのだ。

ある日明月院に出かけたら、紫陽花が咲き誇っていた。それも真っ白に。そのときはあまりその白であることに意識を寄せていなかったが、それから10日ほど経ってからまた同じ明月院を訪れたのだ。そのとき明月院の紫陽花はみんな青だったのだ。

「あー色が変わったんだ」と思っていた。ところが翌年は咲き始めから青くて、白い紫陽花は一つもなかったのである。それからも紫陽花の明月院を訪れるたびに、その色に意識を寄せてしまうのだが、寺全体が白なんていう出会いはなかった。

ところが、もっと驚いたのは、白紫陽花は白のままで、種類が違うのだと言う。たしかに、我が家の紫陽花が青から赤紫に変化はするが白色に咲いたことはない。そうだとすると、明月院の紫陽花が真っ白だったのは夢の出来ごと???。

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