夏の朧月

娘の同級生の父兄から六年生の担任だったS先生が定年になるので、みんなで集まらないか、という電話があった。と言ってもその六年生のときというのは三十年前なのである。それから一度も会ったこともなく、S先生の噂話をしたこともなかった。だいたい、私に至ってはその先生の顔も名前も思いだせない。

「でもー、仙台にいる娘は来られないって言っているけれど」と伝えたが「いーじゃない一人でも」ということで、近くのイタリアンレストランにはせ参じた。会場についても、なかなか当時の記憶が戻ってこないし、集まった生徒の名前も父兄の名前も思い出せない人が多い。

そのうち「水泳が得意だったですよね」と娘の同級生が言う。「なかなか父兄の役員が決まらなくて、やっと岩淵さんが引き受けて助かりました」と先生がいう。新任で初めて受け持った学級だったようだ。それから、突然「岩淵さん町会長さんをやっていましたよね」と先生がいう。一度くらいは学校にお見えになるかな、と思っていたのですが」とまたまたとんでもない発展をしていった。たしかに数年前二期ほど、町内会長をしていたのだ。

「そのとき僕、十小に勤めていましてね、いつも学校便りを町内会長さんには送っておりました。」という。「ひえー」と私としては飛び上がらんばかりの驚きなのだ。たしかにそういう案内が来ていた。そうして運動会の時の案内もきていた。あちらは、あの時の生徒の父兄という認識をしながら送っていたのだ。

そのお知らせには、先生の名前もきっと入っていたのだ。その名前で思い出す筈だとS先生は信じていたのだろう。実はその「十小だより」は町内会長を引退したあとも何回も送られてきた。それで、わざわざ、新しい会長の住所を一度ならず、学校へ知らせたのだ。何度めかのときには、まったくこの学校はなんという事務処理の手鈍いところなんだ、と思ったくらい苛ついたものだ。

会が終わって、外に出たら朧な三日月がでていた。 あちらこちらで、今夜は螢が出ているに違いない。

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