短歌誌『新彗星』・加藤治郎

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わが句集を長い日にちを掛けてぶろぐ「水無瀬へいこう」で鑑賞してくださった小川静弥さんが、ご自分の参加している短歌誌『新彗星・発行加藤治郎』を送ってきてくださった。まだ創刊二号である。静弥さんはそこで、加藤治郎歌集の批評を書いている。短歌を作りながらいろいろな俳句を鑑賞しているエネルギーに改めて感心した。

以前にも、希には短歌集を頂くことがあるのだが、句集とは比較にならない時間を費やす。勿論、その文字数から言っても17文字と32文字の差があるのだから、時間がかかるのは当りまえかもしれない

それだけではない。俳句はページの上に視線を落としただけで、一句が丸ごと目に収まって、一度読めばあと咀嚼するのは心の中だけである。ところが短歌は上の句から下の句に移るあいだに一呼吸が入って、しかも、下の句を読んでから、もう一度読み返す。どうかすると何度も一首を反芻することになる。

物理的な手順からでも時間が2倍では済まないのである。短歌と俳句の違いがこのあたりにありそうである。俳句はイメージを頭の中に広げることから鑑賞が始まるが、短歌は盛られた事柄を飲み込んでから、作者の内面に入ってゆく。

 雨だから迎えに来てって言ったのに傘もささず裸足で来やがって   盛田志保子

さりげない日常歌だと思いながら読み下していくと、下句の「傘もささず裸足で来やがって」にゆきついてもう一度、上句から読み直し、何度もその象徴詩をぞくぞくしながらなぞることになる。俳句にもこの反転がほしいものである。今回の特集は「修辞」について。総合誌のような重厚な内容が盛り込まれている。

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