少しづつ脱ぎて薄暑の少年は
街角で我が子に会ひぬ風光る
をばさんが走つてゆけば夏蜜柑
三人に見つめられゐて西瓜切る
前足をしまひ直して猫の秋
ひと抱へほどなる蝌蚪の紐を見し
日あたればきれいな街よ秋日和
青嵐見てゐしがもう夕方に
団栗のたびたび箒逃れては
遠くから見ればハンサム百日紅
栞で深見氏が「日常の非凡さ」と評している。それが句集の随所で諾われる。大仰な比喩も大仰な観念語を使用することなく、きわめて日常的な言語で、
団栗のたびたび箒逃れては
のように、写実から導かれていくの世界が巻末にゆくほど自在である。