矢島康吉著「古本茶話」 文学の森刊

矢島康吉さんの文章を読むときには心しなければならない。いままでは、同人誌の中の文章だからよかったけど、今回は「朴の花」「湖心」に書いた文章を一冊にしたもの。以前「僕の内田百閒」が届いたときには、封を開けて、その位置から動かないまま、一冊を読みきった。動かせないまま、というのは意識的なのではない。引き込まれてしまって、本から目を離せないと言うのが正確。

その引き込まれる感覚というのは、例えばピーナッツが食べ始めたらやめられないような、後を引くような感じでページを繰っていくのである。だから、とは思いながら届いた本の封を切ってしまった。矢島さんの本に引きこまれる理由のひとつに世代が同じ、育った土地が同じというのもある。彼の育った土地が中野で、中学が第6中だという。わたしは同じ区の第7中学校だった。だから、自伝風な文書の中には、きりもなく、懐かしい場所が現れる。

今回の『古本茶話』はその題名のとおり、古書渉猟。趣味といってもその蘊蓄は矢島さんのロシア文学専攻も手伝って多岐にわたる。もう半端な蘊蓄ではない。それに加えて、競輪、競馬通いも加わるという広さ。

競輪談義の項目には、昭和37年頃まで女子の競輪もあったらしい記入がある。それが消えた理由にーー男が出来ると、男の世話に忙しく練習しなかったり、男の言いなりにゆっくり走ったりして駄目になったらしいーーと、なんだか、チエホフの「可愛い女」を思い出させるような歴史がさりげなく挿入されている。そうして、競輪、競馬通いをする作家たちにまでは話が及ぶ。それに関する本が見開きのページに10冊くらい登場する。矢島さんの睥睨の仕方が半端でないことも、読むものを圧倒するのである。

東京駅八重洲地下街の「八重洲古書館」で買った「つげ義春日記」(1983年)の拾い読みが書いてあったが、なんとーー6月16日「ポエム」の正津勉来訪。連載で旅をしてくれとのこと、気がすすまないが結局承諾する。8月18日、題は桃源行としゃれている。しかし正津さんの文章が芸術的すぎるので、私の旅ととけ合わない。ーーという件うを挿入してあった。来週、正津さんに会ったら見せなくては。

「古本茶話」は矢島さんというよりも、全身で趣味に生きるということを実践している人間の理想郷が本になったものと言っていい。こんど「俳句界」で無期限の連載をするらしい。矢島さんは編集長の清水哲男さんとも同世代。しかも、この内容は清水さんの垂涎の内容。世の中の片隅にこんな凄いひとがいるんだなーと実感させる一書である。

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