世界俳句協会  3

外国の俳句が三行詩という認識になっている印象を前日書いたが、当の外国の人達は俳句をどう受け止めているのか。2日目の午後は、明治大学の講堂でそれぞれの国の俳人たちが講演を行なった。

みんな長いスピーチなのだが、私が関心を持った部分だけを抽出してみれば、大まかにはやはり三行詩という捉え方、短く圧縮された詩形ということに魅力を持って注目をしているように思えた。

オルランド・ゴンザレス・エステヴァ(キューバ)さんは自分の知っているスペイン語訳は、直訳で美しくない。とその翻訳に触れているところが印象に残った。

ジム・ケイシャン(米国)さんは現在の状況下では俳人が大手の市場で活躍する機会はないといってもいいし、自費出版が主流を占めている、というのが印象に残った。本家の日本だって、句集は自費出版が普通である。

ラトヴィアの俳句を紹介した人もいた。

おはよう、と言った。
お前の夕暮れが
私の朝

私たちは見たものを書く。
しかし言いたいのは
雑草のこと

夏の晩は
冬の昼ほどの暗さで
私はそれらに似てゆく

朝になれば湖は
真っ黒な牧場みたいだ
眠れない花々でいっぱいで

夏石番矢さんもこれらの三行詩という印象を意識した発言をしていた。自由形式の3行詩と自由形式の俳句との問題は、世界俳句にとって緊迫した問題。しかしたしかにその違いは存在するのだと締めくくっていた。

風土の違う国の人が日本人と同じ俳句を作れるはずが無い。 内側から見た俳句、外側から見える俳句、という捉え方でみればいいのではいだろうか。

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