「俳句・あるふぁ」4・5月号より転載

「俳句の生まれる現場」の企画の最後のページの自作鑑賞

  逢ひたくて螢袋に灯をともす     (句集『螢袋に灯をともす』所収)   

 ふと思い出したのが、湖を隔てて愛し合う男女の物語である。男が火を焚き、女がその火を頼りに、毎夜泳いで逢いに行く話。最後は男が飽きて火を焚かなくなったのである。なぜ、体力の無い女が泳いでいくのだろうと、女の私には不条理な話に思えて仕方がないのである。
 螢袋はその名のとおりに袋状の花。垂れ下がった咲きようはランプシェードのようである。その連想から「ともる」ということばが生れた。そうは言っても虚構の火であることには違いないが、念じて眺めていればともっているかのようにも見える花である。否、想いを凝らせば灯がともりそうな花である。
 
  穂芒も父性も痒くてならぬなり     (句集『硝子の仲間』所収 )  

 男兄弟の中の唯一の女の子だった私を、父は異常に可愛がった。というよりも、他の兄弟を父がどんな接し方をしたのか全く覚えていない。ただひたすら父の記憶は私と父だけの場面で、他の兄弟が介在していることがなかった。
 父が私を幾つになっても、頑是無い童女のままのつもりで扱うことが、鬱陶しくなっていた。その視線さえ嫌になっていた最中の二十歳のときに、父は亡くなった。それもまた、この句の情感をいつまでも引き摺ることになってしまっていた。眺めていれば淡々とした穂芒の、花とも言えない感触が、身の置き所に困るような思いで重なるのである。

   薔薇園を去れと音楽鳴りわたる       (句集『嘘のやう影のやう』所収 ) 

 神代植物公園に六、七人で吟行にいったときの作。木立の下の木のテーブルと木の椅子を陣取っての句会だった。句の締め切りも迫っていたのは、もう閉園を告げるアナンスが流れ、音楽が鳴り渡っていた。その最後の句として、この句を短冊に書き込んだ。
 清記用紙が周っていたときに、仲間のひとりが「凄いわね。これって今直前の出来事よね」とびっくりした。というよりは呆気にとられている感じだった。 あまりにも、ありのままだったからである。
 しかし、このような計らいのない一瞬ごとを、一句に閉じ込めていければいいと思っている。

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