『麻』十月号 主宰・嶋田麻紀

~~ 句集散見 ~~ 句集『嘘のやう影のやう』   黒米満男 評

 あとがぎによると、集名は、〈嘘のやう影のやうなる黒揚羽〉の句からきめた、とある。師系は「鹿火屋」の原裕(はらゆたか)が初学時代。時を経て、創刊から参加していた「貂」の川崎展宏氏など。どこかで述べたが、基本はそうであっても、その他、多くの人々の影響下にあったことは確かだ。ちょっと脇道にそれるが、こうして出来上がった「俳人」がひとりふえ、ほかにも影響を与えていくということになる。
 〈嘘のやう影のやうなる黒揚羽〉は、もちろん文中にある句だか、黒揚羽は夏から初秋にかけて舞っている実際の生物である。それが、嘘のやうであり、影のようである、という。そこが俳句の面白いところで、言われてみれば、なるほどと納得させられるものがある。心象的に言えば、実体として、たしかに諾うことのできる何かがあるだろうかと、自問しているわけである。何もかもあやふや、それが実体である。

   草餅をたべるひそけさ生まれけり

冒頭に置かれた句。ひそけさの実体を草餅を配することによって得た。こう考えると、俳人は、逆にあやふやな現象をいかに実体にまで、射止めるかの実存的努力家でもある。

   雨だれのやうにも木魚あたたかし二句目。

木魚の本質を雨だれで示した。

  己が火はおのれを焼かず春一番
 
 これも面白い発見だ。たまたま自制心があるからいいようなものの、社会的な枠をはみだして事に及ぶ不心得者もいる。と、即物的に考えなくとも、心の炎を燃えたたせている俳人のことと思えばよい。

  白髪の婦人隣家に水温む
 
 毅然とした白髪の老婦人が目に見えるようだが、水温む、で、優しい老婦人に変貌。

  釦みな嵌めて東京空襲忌

 一九三六年生れの著者は、八、九歳の頃この空襲に合われたかもしれない。一九四五年三月一〇日の大空襲で約十万人の死者が出た。釦みな嵌めて、に慰霊の気持がこもる。

  スカソポを国津神より貰ひけり

 別名酸葉(すいば)。若い茎を吸った覚えがある。天孫降臨以前の神を国津神という。スカンポという素朴な植物に似つかわしい。

  三月のなゼか人佇つ歌舞伎町
 
 待ち合せ、という目的が無くとも、なぜか人が立っている。それが歌舞伎町だ。

   きれぎれの鎌倉街蝌蚪生まる

 小生の居住地のそばにも鎌倉街道と名づけられた道ある。鎌倉へ向かっているとは、思えないけれども。
  
    春眠のどこかに牙を置いてきし
  覗き込む花散る里の潦
  春窮の象に足音なかりけり
 
 食べ物が不足してくる晩春、却ってか知らずしてか、象の足音にも、その影が‥‥。
  
  城跡の日向真四角椎の花
  駆け足のはづみに蛇を飛び越えし
  陶枕や百年といふひとくくり
  孑孑のびつしり水面にぶらさがり
  何せむとニコライ堂に日傘閉づ
  魂になるまで痩せて解夏の憎
  芭蕉忌の愚直の手足あるばかり
  地芝居に集ひてみんな羅漢めく
  生きて知るにはかに寒き夕暮れよ
 
 人生の夕暮れまで生きて、はたと、その寒さを感じた。この寒さを知らずに死ぬ子供もいる。しかし、人生の哀歓は最後まで味わって死にたい、と小生は思う。そして俳句ができれば最高だ。俳句はただ事実を詠めばよいというものではない。うまく言えないが、この「嘘のやう影のやう」を読ませていただいて、岩淵氏の突出した感性、個性を思った。俳句を止められなくなるのは事実だ。(平成二十年二月、東京四季出版刊)

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