榮子さんとドイツを巡ったときだったか、イタリアを巡ったときだったか、古い建築物に見とれていると、「こんなの珍しくないわ。東京にたくさんあるもの」と言った。そう現在でも、日本橋の三越や、その向かい側にある勧銀などはゴシック建築の片鱗が残っている。
この句集を読みながら、東京っ子という言葉を思い出した。それは、歌舞伎を愛し、母を愛した生活が中心になっているからである。私が見損なった「高野聖」もしっかり観ていた。一集は、そうした日常を掬い上げて、自分史にしている。
春吉原助六に降る煙管の雨
東京はわがふる里よ都鳥
繭玉のひとつひとつが大事なり
三月十日その後の雛は買はぬなり
高野聖すすきの道を急ぎけり
母と子の母逝きひとり目刺焼く
秋袷母の一生わがために