また新潟地震で、地元の人はお気の毒だ。
連れ合いの実家は六日町。今回も前回の中越地震にも少し離れている。まー、もし地震地域だったとしても無人の家だから、誰かの安否を気使うという問題は起きない。ほんとうはもう処分してしまってはという声も上がっているのだが、やはり、その決断が出来ないでいるようだ。 季節の折々、と言ってもことに春の雪解けのころは、雪囲いを取らなくてならないので、兄弟が集まるのである。ついでに山菜採りをする。というよりも、雪囲いを取る日を山菜採りにあわせている。 雪の間に顔を見せた蕗の薹、河原一面のこごみ、それから土筆。それだが取り放題なのである。
その上に、スキー場のリフトの下には片栗の花が一面に咲く。その花だけを摘んできて酢の物にしておく。紫色の花を湯にいれると濃い青色に変化する。その色が甘酢に漬けておいても変わらない。これは、私のオリジナルである。新潟に育った兄弟たちが、そんなの食べられるの?と驚いていた。
この片栗の花料理を発見したのは、デパートの山菜売り場で花が沢山混じっている片栗の葉を買ったことにある。食べるというより、そんなに沢山の花があるなら、水を吸わせれば花として花瓶に飾れるのではないかと考えたからである。山菜売り場で片栗のパックを手にすると売る場のおじさんが言うのだった。 「奥さん食べたことあるの」「無いけど」「食べたことの無いもの食べようなんてエライ」 そう言って一つの値段で二つのパックをくれた。
楤の芽や蕗の薹には手をだしても片栗を買う客は居なかったのかもしれない。 私は、六日町にいくと採りたての蕗の薹の天婦羅と蕎麦を作る係り、と自認している。とにかく摘みたての蕗の薹で作る天婦羅は美味しい。それから、みんなで町立の温泉にいく。 そんな楽しみがなければ、訪れる人も無くて家は壊滅してしまうのではないだろうか。雪国に家を持っているということは、維持費が大変なのである。特に六日町は豪雪地帯だから、雪下ろし費用は住んでいなくても、冬の大きな出費である。
いつも思うのだが、飛騨地方の合掌造りは豪雪対策でもあるのだろう。それなのに、この六日町では、あの方式が採用されないのはなぜなのだろう。少しちがうのは、土台を高くして雪に埋もれない対策を施しているくらいなものである。 この週末に法要のために、また兄弟で六日町に集まる。