鷹羽狩行句集『十五峯』 ふらんす堂
帯に著者自身のことばで、昭和二十一年から俳句をはじめていたことが書き記されていることは私に取っての新しい認識。二十一年といえば、中学生である。そんなに若いときから始めたのだと、改めて感嘆した。句集名『十五峯』とは、十五句集目であることも意味している。
遠景ににはとり一羽ころもがへ
北窓を塞ぐや書架に赤き浮子
寒灯のかたまるところ門司といふ
はじまりは煙くさくて花篝
目も鼻も化粧のなかや祭稚児
ゆるがない表現方法を得た作家なのだろう。五句を抽出してみて感じたのは、どこかに滋味をうかがわせるものが、私の好みだということだ。
ちなみに、鷹羽狩行自選のものとは一句も重ならなかった。
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吉田汀史句集『海市』 航標叢書
節分ののちのおもひに海の音
はじまりの終りの野菊ひとにぎり
空蝉のこはれゆく日に立会ひし
以前読んだ作品から思い出して並べてみた。ことばを自在に編み上げる作家という印象があった。
一舜や鶴のまなこに血をみたり
雪に咲く椿を寝物語かな
野遊びの歩幅をもて杜甫草堂へ
火がひとつ雪ふる山を下りてくる
真桑瓜抱くみなし子を抱くやうに
今回もう一つ発見したのは、物語の重層性。例えば「鶴と血」の組み合わせによって、鶴の白さの奥深さが見える。ことに面白かったのが、「真桑瓜とみなし子」の組み合わせ。その二物から真桑瓜の感触が大きく見えて、またみなし子の体温がやさしく伝わってきておもしろい。
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対馬康子句集『天之』 富士見書房
白鳥の地下より柩運び出す
ひきちぎるように着替えて虹に立つ
春風の広場に集うだけの役
からだごとぶつかる愛と人参と
胎の子の火事をみつめていた記憶
虚無ともちがう、放下ともちがう。しかし、その両方の匂いをかすかにひきずりながら、魅力的な表現法方を得た作家と言えるだろう。それは、ことにリズムに現れている。唐突な二物のぶつけ方に現れている。「天為」編集長。
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鞠絵由布子句集『銀兎』 富士見書
昭和36年生。俳句は現在の「ランブル」主宰上田日差子氏の父君五千石から学びはじめて、現在は「ランブル」の編集長。
日だまりの落ちてゐさうな噴井かな
夏木立いつしか声をひそめあひ
山霧といへど破船のあるごとし
さびしさも旅荷のひとつ火恋し
枝先に紙のはためく涅槃かな
発想の面白さがある。昭和36年生