『現代詩手帖』2009年11月号

詩書月評   田中庸介
    
岩淵喜代子『評伝 頂上の石鼎』(深夜叢書)

 俳句結社「鹿火屋」の創始者であるホトトギス派の俳人、原石鼎の波乱万丈の生涯を、豊富なリサーチをもとに描く好著。

   青天や白き五瓣の梨の花     石鼎

という句について著者は「俳句というもののの本意を見せて貰ったような気がする。造形的な構図が情緒を斬捨て、潔く青空に置かれた五瓣の花びらとその輪郭が真直ぐ心に届く」と評する。
  さらに藤村弘氏の「最高の句は無私性の中に生まれるのではないか。それは私にとって耐え難い恐怖だった。私は〈私〉を捨てたくないのだ。短歌なら、と私は考えた。〈私〉に執することのなかからも最高のものが生まれ得るのではないか」という文章を引き「俳句の分野に踏み込むという事は、非情な潔さを覚悟しなければいけないのではある」と告げる。
  いずれのご意見もよくわかるが、現代詩は無私の中に屹立すべきか、私性の中に屹立すべきか。実はそれは、まったく自由だと思う。むしろ、一編の長さが比較的長いことによって、意味性だけにとまらず、「ことばの音楽」として詩のなかの時間を活用できることが大きい。
  だが、あまりにも音楽性に依拠しすぎると、詩の内容が骨抜きになり詩形の凋落を招きかねないのだ。その危惧を覚える者にとって、いま短詩形の作家たちから学ぶべきことは多い。

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