『増殖する俳句歳時記』7月11日 今井肖子評

 駆け足のはづみに蛇を飛び越えし      岩淵喜代子

 手元の『台湾歳時記』(2003・黄霊之著)。「蛇」は、「長い物」という季語として立っている。傍題は「長い奴」。その解説曰く「蛇の噂をする時、『長い物』と呼び『蛇』とはよばない。蛇が呼ばれたと思い、のこのこ出てくるからだ」。どこの国でも、あまり好かれてはいないらしい。最近蛇を見たのは、とある公園の池、悠々と泳いでいた。それは青白い細めの蛇だったが、子供の頃はしょっちゅう青大将に出くわした。まさに、出くわす、という表現がピッタリで、歩いていると、がさがさと出てきてくねくねっと眼前を横切るが、けっこう素速い。掲出句、走っているのは少女の頃の作者なのか。のんびり歩いていたら、ただ立ちすくむところだが、こちらもそうとうなスピードで走っていて、出会い頭の瞬間、もう少しで踏みそうになりながら勢いで飛び越える。説明とならず一瞬のできごとを鮮やかに切り取っている。子供はそのまま走り去り、蛇は再び草むらへ。あとにはただ炎天下の一本道が白く続く。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(今井肖子)

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東京育ちではあったが、小学校の2年生ころは埼玉の山奥に戦争を逃れて暮らしていたので、蛇が石垣を這うのを見たりしていた。その後東京に帰ったので蛇などを目にすることはなかった。出会うとすれば、蛇屋のショウウインドウの薬漬けの蛇だった。

それが、東京オリンピックの年に現在の地に移り住んで、蛇が極めて日常的になってしまった。垣根に大きな蛇が枝から枝に全身を乗せて、日を浴びてるような姿は、まじまじと眺められる位置だった。軒先の鳥籠を狙うために窓ガラスを這う蛇を見つけたこともある。あんなに小さな蛇が鳥を食べるのかと思えるほどに細いものだった。

近所の人は雨戸を閉めようとして戸を引いたら蛇をつかみ出してしまって気絶してしまったそうである。蛇の話題は近所にたくさん生れた。しかし、人間が怖がって居るだけで、蛇の被害があったわけではない。蛇に襲われた話も皆無だった。

鑑賞して貰った句も当時の経験である。2分ほどのバス停への近道が、林の中の細道だった。バスの時間に間に合わせようとして走っている次の足が宙にあるときに蛇が目に入った。もう飛び越すしかなかった。文章仲間が発表したエッセイに、藏の天井裏で孵化した蛇が、つぎつぎ地上へ落下してゆく光景は、錦絵のようだった。 蛇は案外人間に親しんでいるのである。

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