2006年11月 のアーカイブ

猫の恋

2006年11月27日 月曜日

暦の上では、立春をすぎても春にはほど遠い。それなのに猫の恋ははじまっていた。家の外でウオーン、ウオーンと鳴くのは雄猫。こんなときには風呂場の窓ガラスも閉め切ってしまった。しかし、我が家の猫はその声におちつかない。
外の鳴き声も、この家の雌猫を知っているのか、家の周りを廻って唸声をあげていた。それも、一匹ではない。
ルリも、どこか開くのではないかと家中の戸を開けようと試みる。それだけではない。外の声にあわせて、何時もは出さない音声、まさにそれはうめき声と言ったら、一番ふさわしいかもしれない声をあげるのだ。
動物というのは飽きること、諦めることを知らない。こんなときは言い聞かせても効果は全くない。ただひたすら、その饗宴にこちらが我慢するしかない。

ルリの声に誰が一番辛抱強いかといえば、それは、意外にも私であった。ルリの真情に関心がないから、物理的に処理ができたのかもしれない。
小学生の娘はそのその真情に添うだけの認識をまだ持っていない。
連れ合いがたまりかねて窓をあけてやった。
子供とは違うから、別に心配はしなかった。猫に門限はない。
帰ってこないなどという杞憂も持たないでさっさと寝てしまった。

翌朝になってもルリは帰宅していなかった。でも野良猫だった遍歴があったから、それほど心配している訳ではない。
我が家にいた月日より、野良猫だった月日のほうが長いのだから、身の処し方に迷うこともないからである。
そのうち、2日経ち、3日経った。食卓を囲むたびに、「ルリは帰ってこないねー」という会話が一回は上ったが、だからといって探す当ても無い。
「どうしたんでしょうねー」
「他の猫を追いかけて迷子になってしまったのかなー」
「争って、怪我でもして動けなくなったのかしら」
みんなが勝手な憶測でルリを思いやったのは、ルリが、わずかな日々の中で、完全に家族の一員に居座ったことになる。

ルリが家出をしてから、夜の饗宴はなくなった。
一匹が騒いでいたわけではないのに、みんないなくなったなんて!
もしかして、ルリに複数の猫がラブコールをおくっていたのだろうか。

 文鳥 2

2006年11月27日 月曜日

連れ合いの朝の仕事に文鳥の餌やりが加わった。その甲斐あって、文鳥や猫の家私への態度の差別は、尋常ではなかった。
ルリの連れ合いに寄せる信頼度は、連れ合いの身辺を片時も離れようとしないことで現れていた。
文鳥のそれもまた傍目を憚らない差別を見せた。なにしろ、連れ合いの歩くところどこまででもついてゆく。誰かが、自分の足元に引き寄せても、決して意のままにはならない。
「近くの煙草屋までついてきたよ」
そう言いながら、外出から戻った連れ合いの手に、文鳥は幸せそうに黒い目を見開いていた。

 文鳥

2006年11月27日 月曜日

散歩の途中で連れ合いが小鳥を拾ってきた。
真っ白な文鳥だった。まだヒナに近いかったのかもしれない。拾うなんていうことが出来るのは。
そのときまで、ルリの存在も忘れていたが、ふと気が付くとルリが居た。
「ダメ」という言葉はルリに一番はっきり聞え、理解できている言葉。その繰り返しが何回か繰り返さした。
またまた、手数のかかる家族が増えてしまったことは確かなのである。
千一夜猫物語(17)・・文鳥がやってきた‥
外出の時に鳥籠をどこに置こうかと思案に暮れた。
家に入れておかなくてはと思うのだが、しっかり鍵のかかる部屋が無かったのである。
ルリは戸を閉めることはできないのだが、開けることはできるのである。
窮余の一策は籠の出入り口を紐で縛って、とにかく中には侵入できないようにすることだった。
そんな苦労をしているとも知らないで、ルリはなにをやっているのかという風に、正座の姿で見守っていた。
「文鳥に触ってはいけませんよ」
そう言っても通じないからなー、と思いながら、「ダメ」を繰り返した。
帰宅した時の最悪の場合でも、鳥籠が倒れたり、逆さまになっているかもしれないくらいの覚悟はしていた。
だから、玄関のカギを開けると真っ先に確かめたのは小鳥籠だった。なんと、ルリが触れた気配も無い。置かれた場所に置かれたままになっていた。
我が家の一員になったと認識する事柄であった

それじゃー、鳥は襲わない猫なのかといえば、そうではない。なぜって、野生で育った猫だ。雀などをみつけると、顎を地面につけるまで近づけて、後ろ足を伸ばしきって、飛び掛る体制をつくる。それは、ジャングルの虎の雛形である。
そして、たまにはその雀を捕ってくるのである。雀ならまだいいが、或る日帰宅したら、鼠が部屋の真中に転がっていた。いつか、子猫が転がっていたときのようにように。
「ギャー」と声を挙げてみたが、わたしが片付けるしかなかった。
家族に獲物を見せるのだ、という人がいたが誉めてはあげられない。
「お願いだから、獲物は見せに来ないでね。まして、食べもしないのに何で捕ってこなくてはならないの!!!!」
しかし、ルリには聞える言葉と聞えない言葉があるようだ。
千一夜猫物語(19)・・文鳥がやってきた‥
ガス屋さんが来たついでに、部屋のガスストーブが使えるようにしてもらうことにした。
「そろそろ、寒くなるもんねー」
見知りのガスやさんにとっては、見慣れた部屋。そこに見慣れないものが文鳥だった。
「鳥なんて飼って大丈夫なの?」
「それが、留守にしても、平気なんですよ」
「じゃー鼠なんか捕らないね」
「いやー!それがよその小鳥は捕ってくるのよ。鼠だって」
「へーそれは利口な猫だね」
ガス屋が現れたときには、何するんだろう、という感じで、近くをうろうろしていたルリも、そのうち、納得したのか、元の居場所のテレビの上に戻っていった。
自分のことが話題になっているなんて知るよしもなく。

 ルリの独り言

2006年11月26日 日曜日

冬にはいると、ルリの昼間の居場所はテレビの上。行儀よく前足を揃えて、その上に長い尻尾を乗せて置物みたいに静かだった。人間ならさしずめ正座の形である。
そんな収まりかえった姿が目に入ると、無聊を持て余すわたしの遊び道具になる。
偶然食べていたものを欲しそうに見上げたので、クッキを持った手を高く差し上げてみた。ルリはやすやすと飛びついてくる。はじめは椅子に坐った腕を水平にした高さからクッキーを与えていたが、次第に高くなった。立った位置で思い切り高く伸ばした手までは飛びつくことが分かった。
−−しんどい食べ方だなーー
ルリはきっと、私の餌の与え方はこれなんだと信じているだろう。
紐でじゃらしたりしてみることもあった。どのことも、ルリが嫌になるという事はないので、いつもこちらが飽きてしまうのである。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「ルリメ」ノ私ニ言ワセレバ、ヒタスラ夜ヲ待チナガラ暮ラシテイルノダ。
ダッテ、昼間は恐怖バカリデ面白クナイ。コノ家ノ主婦ハ乱暴デ、トキドキ通リスガリニ、寝テイル背中ヲ踏ミツケテユク。踏ムトイッテモ、マサカ体重ハ乗ナイガ、ソレデモ、恐ロシイカラ、「ギャッ」トイウ声ヲ上ゲルト、ソレガ面白イラシクテ、何回モフミツケル。抱イタトキデモ、普通ジャーナイノダ。
両腕デ抱キシメルトイエバ格好ガイイノダガ、「ギャッ」トイウ声ヲ出サセタクッテ、抱キシメルノデアル。
ソウスルト、コノ家ノ主ガ何処カラカ目ヲ丸クシテ飛ンデクル。
「やめろよ」
ソノ言葉デヤット開放サレルノダ。
ソウ、コノ残酷ナ儀式ハ、コノ家ノ主婦ガ、「ルリメ」のワタシヲ使ッテ、ソノ連レ合イト遊ンデイルノデアル。コノ家ノ小学生ヨリモ性格ガワルイ。マッタク!!!
と、ルリめは言っているに違いない。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 座敷わらし

2006年11月26日 日曜日

あんな細い足でも、階段を降りるときにはそれなりのかすかな響が感じられて、ルリはとんとんと木造の階を踏む音を響かせた。
或る日、その足音を横になりながら聞いていた。家族が出かけた後の蒲団の上で、もう少し寝ていたい気分だったのだ。しかし、聴いているといつもの階段を下りるときよりも強く響いて
、椅子か、それ以上の高いところから、飛び降りような強さがあった。
何しているんだろう、と思ったのは、その音がいつまでも続くからである。私は、仕方なく寝室を出て音にする洋間へ入った。
なんと、どこから湧いたのか三人の座敷わらしが跳ねていた。その跳ねる音だったのである。
「やだー、あなたたち、どこから入ったの。人に家に黙って入っちゃダメでしょう」
すぐ掃除をするつもりだったので、家中の戸を開けておいたのである。
それにしてもこんなことは初めてだし、しかも、見知らぬ顔の子供達だった。我が家は当時、L字形の家で、開け放してあっても、その洋間から、寝室は見通せなかった。
私に叱られて、子供たちはしぶしぶ跳ねるのを止めた。
それから、仕方無しに入った縁側から靴を履いた。見つかって慌てて出ていく、という風ではなく、何で出なくてはいけないの、というような怪訝な顔だった。最後に出て行く子供が靴を履きながら、おもむろに
「おばさん、どこから来たの」
と訊くのだった。ほんとに、なんだか、朝の夢がまだ覚めていないような気分だった。
ルリは何処にいるのか、姿がなかった。

 クレゾール

2006年11月25日 土曜日

 異様な声がした。喉の奥がねじって声を出していると言ったらいいのか、出ない声を無理して出そうとしていると言ったらいいのか。
声のする戸を開けてみると、ルリが嘔吐を繰り返していた。嘔吐の声は大袈裟なのだが、口から出されるものは、ほとんど無い。よく見ると、横腹を舐めては嘔吐を繰り返しているのである。その舐めている横っ腹の毛が無くなってつるつるだった。
クレゾールの匂いがした。ルリはそのクレゾールを舐めては嘔吐していたのである。どこかで浴びたのか、浴びせられたのか。毛が全く溶けたのだから、きっと原液がかかったのだろう。
連れ合いが、洗ってあげようとしたが、うなり声をあげて拒んでいた。しかし、それを、押さえつけて水洗いをしたことで、やっと嘔吐も収まった。クレゾールを家庭に置く家の見当もついたが、ルリが庭に入るのを嫌がった果ての行動なのだろうから、泣き寝入りするしかない。猫の縞模様はその皮膚にも及んでいることを発見した。つるつるの皮膚の色も縞模様だった。毛はどのくらいの月日のうちに生えたのか、とにかく跡形もなくはえ揃った。

 クレゾールを家庭に置く家の見当がついたのは、そこの主婦が看護婦さんだったからである。その主婦が、下着姿で向かい側の家に走りこむのを目にしたのは、ルリの毛がまだ生え揃わないころである。
郵便物を持って玄関の戸を閉めようとした視野に、向かい側の家へ走りこんでいく白いものが見えた。白く見えたのは、下着姿だった。
下着のまま、表に飛び出すのは、余程緊急の事態なのだろう。わたしは、暫く戸を半開きにしたまま突っ立っていた。なにが起ったのか見当が付かなかった。
飛び込まれた家からの、騒ぎも起らなかったし、人も出てこなかった。
しかし、それから、数分経ってから救急車の音が近づいて、救急隊員が主婦の飛び込んだ家に入っていった。
クレゾールの原液を飲んで自殺を図ったらしいが、飲んでみたら苦しくてたえられなかったのだろう。
暫くして、退院した主婦の喉のあたりには、梅干大の傷があった。そして、夫婦が別々に引っ越していった。

 無表情

2006年11月25日 土曜日

 一家の猫の分担は、餌をあげる人と、迷惑を蒙る人に分かれてしまう。
ルリに嫌われながら、苦情はみんな受けなければならないなんて、ほんとに不条理である。他の家族はただただ可愛がるだけでよくて、しかも、ルリからの高い評価を得ているのである。
「ほんとに、どこかへ捨ててきちゃうわよ」
とルリに言ってみた。猫ってまったく無表情なのである。感情はすべてその動作に表れるのだが、顔には出ないのである。何を言っても聞えていなのように涼しい顔をしている。これが犬なら、顔にも声にも動作にも表すのである。犬は媚を売り、猫はその反対のようにも、解釈されるのである。
それでも、こちらの感情は受け取れるらしくて、
・・なんだか機嫌が悪そうだ・・
とばかりに、抜き足差し足遠ざかっていった。

 困り者

2006年11月25日 土曜日

 始めは「飼いたい」とねだった娘が世話係のはずだったが、すぐに父親の仕事になってしまった。それも、想定内のことではあったが。
 この餌を与える人の存在感は、生き物の血肉につながるものなのだ。全世界の中のただ一人の重要な存在なのである。
 だから、連れ合いが帰宅すれば、誰も迎えに出なくてもルリが必ず玄関に出迎える。ルリが「にゃーん」と声を挙げて見上げてくれるのだから、動物好きの醍醐味かもしれない。これは、わたしにとっても、きわめて重宝な役目を引き受けてくれたことになる。深夜の足元が危なくなっているような帰宅でも、ルリが待っていてくれる。
 玄関で「にゃーん」と言われれば、餌を与えなければいられない。
 その出迎え儀式は、姿の見えないころから始まるのである。。車通勤だったから、その車の音を聞き分けるらしい。寝そべっていたルリがやおら起き上がって玄関に向うと、私たちは、この家の主がそろそろ帰宅なのだと知るのである。それから一分ほどの間があるらろうか。エンジンの音が届く。私たちは、家の前に止まったから、この家の主の帰宅なのだとおもうけれど。
 人間の方は、車の音の聞き分けはそんなに明瞭ではない。ルリは家の前に止まるエンジン音が完全に聞き分けられるようで、車の音がしたかといってむやみに玄関に出て行くわけではない。
餌やりというものの威力は凄い。

 長い年月、というよりも昨日まで、ルリが遥かからの車の音を聞き分けて玄関に迎えに行くものと思っていたが、もしかしたら匂いかもしれないとふと思った。特別な車に乗っていたわけではないから、同じ車種はいくらでも走っている。車の車種だけでなく、車知識も全くないのだが、それほど一台ごとの音が違うものだろうか。運転者の操作で微妙にちがうのだと言われれば、それは、猫の聴覚が優れていたことになるのだが。もちろん、車中の人間の匂いを四00メートも五00メートルも先からかぎ分ける能力も凄いではないか。

通りの方から、犬の吠える声が届いた。それと同時に
「 ダメよー・・・どこの猫なのー・・」という悲鳴のような声もしていた。
ルリの出入りしている風呂場から外を覗くと、ルリが散歩の途中の、それも自分の何倍もある犬にうなり声を挙げているのだ。何か気に触ったことでもあったのかなー、と思っているうちに騒ぎは静まった。飼い主がそそくさと遠ざかっていったからである。
しかし、騒ぎはまもなくまた起った。多分、我が家の前は自分の縄張りだと思っているのかもしれない。
「ソンナー」 
今迄、野良猫として身を小さくしていたのに、急に態度が大きくなったと、他の猫は思うだろうに。わたしだって、苦情を持ってこられたら困ってしまう、と言っても、ルリに納得させるすべは無かった。これでは、また近所に肩身が狭くなる。
なにしろ、わが娘は、幼稚園に行く前から近所の男の児を端から泣かしてしまうツワモノだったから、年中近所の主婦たちに頭を下げっぱなしだった。
内心は、「そんなくらいことで泣かなくったってー」と思わないでもなかったが、男の子の方がたしかに泣き虫なのである。
通りがかりに、遊び相手の近所の児が、下にべったり坐ったまま泣いているのに出くわした。
「家の子が何かしたのかしら」
不覚にも、そこに娘がいたわけでもないのに思わずそう言ってしまった。
「そうでしょ。うちの子は自分で転んだなら自分で起きるんですもの」
ここぞとばかりに、近所の主婦に言われたこともある。
植木の水をあげていた近所のご主人と声を交わしていると、そのご主人が私の肩越しに 
「おーサムライ」と声をかけた。
振り返ってみれば、わが娘が、数人の男児の後について通り過ぎて行くところだった。なんのつもりか、男の子と同じように腰に荒縄を巻きつけていた。
三歳の娘は「サムライ」の何たるかも知らない。ましてやそれが悪名だとも知るよしもない。おじさんがにこにこしながら呼びかけるのだから、きっと賞賛なのだろうと信じて、同じようににこにこを返しながら手を振って走り去った。
それはまことに贔屓目でもなく愛らしい被写体だったが。
そんな月日も、幼稚園年長組の頃からようやく平和をとり戻して、数年が経っているのである

肩身の狭い思いが復活した。
お向いの家の主婦がキッチンのテーブルに置いた煮干がなくなったという。
煮干が家から我が家に向って散らばっていたと報告してきた。
家の戸は閉めておいてくださいとも言えないし、いまさら野良猫を家で完全に閉じこめてしまうことができるのだろうか。
その前に、そんなことをしたら、わたしが日中の世話係りになってしまう。
餌を食べさせて、雨露のしのげる境遇になったのだ。お願いだから苦情の出ないように暮らしてよと、ルリに言い聞かせてみた。それが恩義っていうのなのだから

 抜き足さし足

2006年11月25日 土曜日

我が家は、飼いたい人が猫の世話をするという取り決めをしてあったので、私はルリの餌係りは引き受けない。とは言っても昼間はルリと私だけになる。
 飼い始めた最初から、私はルリに敬遠されていた。近所の商店や新聞販売員の人なら、主婦の存在感を十分承知しているのだが、ルリは餌をもらえる人だけが大切なのである。きわめて分かりやすい性格なのだ。
 私はと言えば、「駄目」という言葉をいうのが役目のようになっていた。テーブルには乗らない。膝に乗せない。ゴミ箱を漁らない。駄目、駄目と言いわなければならないことがたくさんあった。その上に、餌もあたあげないのだから慕われるはずはないのである。
 何かの都合で、わたしの傍らを通らなければならないときには、私から遠い部屋の端を、身を低くしながら一歩一歩ゆっくり脚を運ぶのである。抜き足差し足とはそうした動作をいうのである。そうすることが、私に目立たないで通り過ぎることが出来ると思っているらしい。しかし、何気なく通れば、気にならないことも、そんな歩き方をしたらかえって目立ってしまうのである。

 抜き足差し足で何処へ行くのかとおもったら、畳に新聞を広げている連れ合いの膝の上だった
そこは、昔から娘の居場所だった。さすがは、以前のように頻繁には乗らなかったが、猫を飼うようになってからは、ルリに完全に占領されてしまった。
 猫に目をとめた娘が「ルリちゃん」と父親の膝からルリを掬い取った。
 しかし、ルリは迷惑そうで、手を離すとすぐに、元の居場所に戻ってしまって、娘をがっかりさせるのである。
 連れ合いが居る限り、坐っていれば膝の上、腹ばいになっていれば背中にと、ただただ、そこが無上の居場所のように丸くなって静まっていた。
 絵にすれば三人家族の父親の膝に猫が坐っているという平和な構図になった。

 迷い猫

2006年11月25日 土曜日

買い物から帰ってきたら、家の空気の密度が濃くなっていた。当時小学一年の娘と夫が、とこどきニコッと目を見合わせているような気がした。その四つの目が、私を一点に誘い込むのだ。そう二人は早く見つけて、という信号を発していたのだ。部屋の隅の籠のなかに猫の親子が寝ていたのである。
 「どうしたの! この猫」
 「迷い猫なんだよ」
 「だって‥‥」
 迷い猫、と言われてもわけがわからない。親子で迷い猫なんて。情況を把握でききないまま、猫の親子を覗きこんでいた。
 そのうち、説明されて分かってきたのは、最初は親猫だけが家の入ってきたらしい。可愛くて牛乳をあげたら、子猫を連れてやってきたのだという。親猫も可愛かったが、それよりも子猫に惹かれて、家におく覚悟をしてしまったようだ。
 「最初は偵察に来たわけだ」
 「この家なら安全って思ったのかもしれないわね」
 わたしがいたら、子猫を連れてきたかどうかわからない。無類の動物好きの親子で留守番していたのが、猫にとっての幸運だった。

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