クレゾール

 異様な声がした。喉の奥がねじって声を出していると言ったらいいのか、出ない声を無理して出そうとしていると言ったらいいのか。
声のする戸を開けてみると、ルリが嘔吐を繰り返していた。嘔吐の声は大袈裟なのだが、口から出されるものは、ほとんど無い。よく見ると、横腹を舐めては嘔吐を繰り返しているのである。その舐めている横っ腹の毛が無くなってつるつるだった。
クレゾールの匂いがした。ルリはそのクレゾールを舐めては嘔吐していたのである。どこかで浴びたのか、浴びせられたのか。毛が全く溶けたのだから、きっと原液がかかったのだろう。
連れ合いが、洗ってあげようとしたが、うなり声をあげて拒んでいた。しかし、それを、押さえつけて水洗いをしたことで、やっと嘔吐も収まった。クレゾールを家庭に置く家の見当もついたが、ルリが庭に入るのを嫌がった果ての行動なのだろうから、泣き寝入りするしかない。猫の縞模様はその皮膚にも及んでいることを発見した。つるつるの皮膚の色も縞模様だった。毛はどのくらいの月日のうちに生えたのか、とにかく跡形もなくはえ揃った。

 クレゾールを家庭に置く家の見当がついたのは、そこの主婦が看護婦さんだったからである。その主婦が、下着姿で向かい側の家に走りこむのを目にしたのは、ルリの毛がまだ生え揃わないころである。
郵便物を持って玄関の戸を閉めようとした視野に、向かい側の家へ走りこんでいく白いものが見えた。白く見えたのは、下着姿だった。
下着のまま、表に飛び出すのは、余程緊急の事態なのだろう。わたしは、暫く戸を半開きにしたまま突っ立っていた。なにが起ったのか見当が付かなかった。
飛び込まれた家からの、騒ぎも起らなかったし、人も出てこなかった。
しかし、それから、数分経ってから救急車の音が近づいて、救急隊員が主婦の飛び込んだ家に入っていった。
クレゾールの原液を飲んで自殺を図ったらしいが、飲んでみたら苦しくてたえられなかったのだろう。
暫くして、退院した主婦の喉のあたりには、梅干大の傷があった。そして、夫婦が別々に引っ越していった。

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