2006年11月 のアーカイブ

吹き溜まり

2006年11月29日 水曜日

75・・吹き溜まり・・
まさに吹き溜まりだなー、と感心した。
 このごろは、外出から帰ると、玄関の前が欅落葉の溜り場になっていた。家の構造が、玄関のところで、凹形になっているので、落葉が溜まりやすい。
 一日に何度掃いてもすぐに落ち葉が溜まるのである。12月に入ると、風が無くても落ち葉し続けた。
 昨日と今日の境は見分けられないのだが、日毎に木々が黄色くなって、世の中が明るくなってゆく。
 玄関をあけると、かならずルリが出迎える。でも、わたしだと「ナーンダ」と思っているのかもしれない。くるりと後を向いて奥へ入ってしまう。
(75)・・葱畑・・  
だんだん分かったことだが、昔、といっても100年ほど前までは追剥ぎも出没したというこの地はこのあたりは、古代から住民がいたようだ。
 葱畑などを気ををつけてみていれば土器も拾えた。葱畑は深く畑を耕すために、下の方にある土と一緒に土器が現れるのだろう。雨上がりの土が少し乾き始めたときには、土器だけがまだ濡れているので、すぐ目についた。
 よそ者同士で、そんな土地を珍しくて歩き回った。勿論成田空港反対運動をしているイルカちゃんも。

(76)・・新羅の民・・   
西から上陸してきた新羅の民は、関東平野に追いやられたのだから、このあたりの住民にしても、その流れを継いでいるものもたくさんいるのだろう。現にここから車で一時間足らずの高麗の血脈は 新羅なのである。日本の猫もそんな渡来人と一緒にきたのかもしれない。
 古代エジプトの壁画の中には、猫が描かれているという。当時のエジプトでは神聖な生物として猫 を祀った。飼い猫が死ぬと喪に服すという記録があるし、16、17世紀ヨーロッパでは、猫は魔女の手下とされて残酷な扱いもしたようだ。
 猫は犬のようには気持ちが分かりにくい。その分人間は勝手な印象で、勝手な想像をしたのだ。

(77)・・平穏・・   
ルリとわたしは昼間はあまり顔を合わせなかった。私が意識していなかったのか、ルリが私を避けているのか、とにかく、ルリはルリの空間で、私は私の空間で一日一日が過ぎるのだ。顔をあわせるときがあるとするなら、玄関に人の気配がするときである。来客やら、集金人やらが戸口にたつと、どうしてだかルリもかならず顔を見せる。
 猫好きの人は必ず子供を誉めるようにルリを撫ぜていく。
 とにかく平和が続くことはいいことだ。避妊手術も済んだので、箪笥の引き出しに子猫を生む心配もない。ましてや、子猫を食べたり、子猫を探しあぐねて頭から玄関の扉に体当たりする心配もない。

避妊手術

2006年11月29日 水曜日

(72)・・避妊手術・・    
 避妊手術のために三日間、動物病院に預けておいたルリを貰い受けてきた。
 手術費一万円也。
 ルリのお腹には真中に十五センチほどの傷が縦に走っていた。一週間くらいしたら抜糸にくるように、という事だったが、ルリはその傷口が気になるらしくて絶えず舐めていた。包帯を捲いてもそれを食いちぎろうとするので、無駄だった。
 文鳥を狙うことは禁じられたが、お腹の傷はどうしても気になるらしかった。病院では、どうやって傷口を防いでいたのだろうか。
 ルリは舐めているだけではない、傷口を縫っている糸を抜きはじめた。傷を縫い合わせている糸は一針ごとに独立しているようにも思えた。いや、そんなことはない筈だ。
 横に渡っている糸を一本ずつ食い千切っていくのだろう。ときどき、長さ三センチずつくらいの糸が床に落ちていた。一週間経ったときには、すっかり糸はなくなっていた。
 呆れ顔で家族が眺めている中で、欅落葉を前足で弄んでいた。十一月に入ると、農家の欅が部屋の中にまで舞い込んでくるのである。

(73)・・初冬・・  
落葉が座敷の中で、風に立ち上がっては走り出す。走るたびに乾いた音をさせた。それをまたルリが追いかけていた。
ここに住みはじめたときは、昭和40年。秋には東京オリンピックが開催されて、朝霞自衛隊駐屯地の中で射撃種目が行なわれた。
 まだ道は舗装ではなく、乳母車が押しずらかった。
 引っ越してきたときに、なんと田舎なんだろうと思った。
 だが暫くして、家の前の雑然と残っている、雑木林と神社のような農家の畑の空間が楽しい眺めになった。
 たしか、東京オリンピックの後、まもなく道という道が、舗装路になったのだ。

獅子舞

2006年11月29日 水曜日

69・・獅子舞・・
朝から笛の音が響いた。人声も車の止まる音も頻繁で、騒がしい。
今日は、神社のような農家の庭で獅子舞があるのだ。春と秋に農家の庭先から氷川神社まで
練り歩いて、夕方帰ってくる。その農家の家が、獅子頭を保存をしているのである。入り口には町の文化財であるために、『獅子舞保存」の碑が立っている。
獅子舞の保存会の世話人達やら、踊る人、笛の吹き手などがぞくぞくはせ参じているようだ。 江戸時代初期のころから家内安全、疫病除けを祈願なのだという。
一日掛かりなので、今日はきっと夕方までざわざわと、人声やら足音やらが響くのだろう。
ルリの避妊手術をしなければならない。

70)・・赤ん坊・・   
 獅子舞の一行が氷川神社から戻ってきたらしい。笛の音が聞えはじめた。農家の庭でまた舞うのである。表に出てみると、もう近所の主婦も群れていた。その輪の中心に赤ちゃんがいた。赤ちゃんは次から次へと手が差し伸べられて、抱かれていた。機嫌がいいらしくて、両手を振りながらニコニコしていた。その笑顔につられて私も抱かしてもらった。
「似合わないわー」
 ところがである。私が抱いたとたんに、同じ隣組の主婦がそういったのである。
「そんなーなんで」
「だってなんだか似合わないわよ」
 そう言われてあわてて赤ちゃんの母親に返してしまった。赤ん坊を似合う似合わないえ抱くものだろうか。帽子や眼鏡を試してみたのなら、そんな批評もあるだろうけれど、子供は似合うとか似合わないとかで抱いたり抱かなかったりするものではないのに。猫だったら、そういう言い方があってもいいけれど。

(71)・・子育て・・   
夜になって、連れ合いに昼間の近所の奥さんに言われたことを告げると
 「半分以上は俺が子育てしたようなものだよなー」
 とその意見を容認するのだった。
 私は、ルリの尻尾を踏みつけてやった。
 「ニャーン」
 とルリは一声あげて連れ合いの膝に逃げていった。
 「産後の肥立ち」という言葉がある。娘の生れた当時、そんな言葉を意識したことはなかったが、今振り返ってみれば、その言葉が当てはまる状態だったのだ。産み落として体重が減るのは当たり前だが、わたしは、一年のあいだに、10キロ近くも減って、40キロを切ったのである。
 近所の主婦が「腰が折れそうよ」といったのだから、激痩せの状態だったのかもしれない。何が原因か分からなかった。別に子育てに悩んだ覚えもなかった。
 だが、体力の低下は、赤ん坊が夜泣きをしても、起きてはいられなかった。泣かしながら朦朧と眠りに誘われてしまう。ふと、気がつくと、連れ合いが娘を抱いていた、ということが幾夜もあった。
そんなに手潮にかければ可愛いにきまっている。
ーーこれからも、思い切り面倒をみさせてあげるわーー
 と心の中で呟いた。

太陽と月と

2006年11月29日 水曜日

(63)・・鬼子母神・・  
 友人が帰ってしまうまで家の中に閉じこめていたルリが、「ウオーン、ウオーン」と妙な鳴き方をしていた。この鳴き方は苦手である。 恨みのこもったような、地の底から湧き出しような声。春の盛りの時のあの気持ちの悪い声よりもっと不気味な声をあげた。
 わたしが中に入るのと入れ替えに外へ出たルリは、家の周りを探しているらしいのが、その声でわかった。動物というのは諦めることを知らないのか、声はいつまでたっても止まなかった。鬼子母神が子を探す図はかくやと思わせる凄まじいものだった。
 あまりに激しい泣き方なので、家の中に入れようと、外へ出てみれば、ルリはただただ家の周りを回っているのだ。何処にも探しようがないというふうに。 抱き上げてみると一時鳴き止むのだった。
 ーー仕方がないじゃないの。この家に置けるのルリちゃんだけなのよ。分かってくれなきゃ、こまるじゃないのーー
 腕の中にいるルリは、ひとりで置くときよりも、声は静かになった。しかし、気になることがある、という風に身をよじって落ち着かない。腕の中から出ようとしているのだ。それからが、また大変だった。  
 外なら隔たりがあるが、家の中では直にルリのうめき声を聞かなければならなかった。一部屋一部屋、そして窓という窓を確かめて、開けられる戸口を探していた。同じ部屋を何回も確かめ、同じ窓を何回も開けようと試みた。そのうち、鳴き声が収まったような気がして諦めたのかと思った。
 だが、なんだか鈍い響がする。
 なんと玄関の扉に小さな体を、頭から体当りしているのだ。そんな勢いでは扉はゆらぎもしないのに。そこが開けられる、ということ、しかも、外へ扉が開くことを知っているのだ。大方の窓は鍵が掛けていないかぎり前足で器用にあけるのだが、かって扉を開けたことはない。開けられるわけもないのである。その扉に体当たりしているのだ。私は慌てて扉を開けた。やはり凄まじい鬼子母神だった。

(65)・・太陽と月と・・
連れ合いが帰宅すると、いつの間にかルリは玄関に出迎えていた。それからは、何時ものように流し元に座って餌を待っていた。そこに居ればいつも、連れ合いが餌をくれるからである。これで忘れてくれるのかなーとほっとした。
食べ終わると、また呻くような鳴き声を上げ始めた。連れ合いは膝にのせでも、何時ものようにそこに収まってはいなかった。
それから、家中を巡り、それが飽きると外へ出ていいった。連れ合いも外での異様な鳴き声には少々辟易したらしくて、外から連れ戻してきた。
そんなるりも、朝になったらケロッと忘れているみたいだった。太陽と月が一周すると、なんでも物事が収まるのかもしれない。

(66)・・欅の中の空・・    
欅がだんだん色付いてきた。それだけで、欅の葉群れの中の空が多くなったような気がする。知らず知らずのうちに、葉を落としているのだろう。
 朝のルリは、連れ合いの足元から離れない。トイレに入れば戸口で待っている。朝の食事が貰えないうちに出勤してしまっては一大事なのである。
 そんなルリにこのごろ、連れ合いは私に言いたいことを託すのである。
 今朝も玄関に見送りに出たルリへ、
 「ヘアートニックを買っておくように言っておいてくれ」
と言っていた。そう、私は昨日その買い物を忘れてしまったのである。
 「全くしょうがないなー」
とぶつぶつ言いうのを黙って聞いていた。連れ合いは、壜の内側に残っているヘアートニックを指で撫でては掬い取って、とりあえず事足りる量を確保したらしい。買わなかったことは、厳然とした事実だから、認めないわけにはいかない。

養子に出す

2006年11月28日 火曜日

61)・・夏目漱石・・   [千夜一夜猫物語]  
夏目漱石の「我輩は猫である」の中の猫は雄だったのか。初めて出会った人間が書生というものであったという。
 この書生の印象は、猫と違ってつるつるでまるで薬缶のようだと述べる。しかし、人間が初めてなら薬缶も始めて見るものだと思うから、その形容は不自然ではなかろうか。
 ルリは最初に出会ったのは、どんな人間だったのか。初めての飼い主である我が家の人間をどんな風な印象で捉えたのだろう。
 とりあえず感情論で言えば、慈悲の父親と非道な母親、その夫婦の女の子、これは歯牙にも掛けなくていいと判断しているのは、ルリの態度でわかるのだった。
 ルリが歯牙にもかけなくていい娘には、子猫に近づかないように言い聞かした。情を持ってしまっては困るからだ。貰い手も見つかっているのだし、なるべく、子猫をそっと他所へ移してしまいたいのだ。

(62)・・養子・・
娘が子猫に愛着を持ってしまうのは困るので、早めに養子に出すことにした。
 幸い、一匹の貰い手は、生まれて直ぐの子猫を育てた経験があるので、早くても一向にかまわないと言ったが、一匹残っているのなら同じことなのである。
 わたしの苦衷を察したのか、友人はーーいいわよ、二匹とも見てあげるーーと言った。多分、貰うつもりだった以前の子猫が、死んでしまったから、随分待たされたことにも、引き取る弾みがついたようだった。私にとっては、こんな都合のいい話はない。それに、間もなく連れ合いの実家の法事も控えていた。
 友人は、それぞれの違う毛並みのどちらも気にいったようで、縞柄にしようか、黒の斑柄にしようか迷っているようだ。
 「安寿と厨子王は別れ別れに舟に乗せられらんだったかしら」
 「母親と別になったんじゃないの」
 助手席に置かれた子猫は、藁仕上げの籠にいれられたが、友人は体を半分に折って中を覗きこんでいた。
 私はどういう結果になっても、一向に影響しないので、黙って彼女の迷いを眺めていた。

子猫出産

2006年11月28日 火曜日

 ルリが出産した。
 いつの間にか二匹の子猫をが箱の中に蠢いていて、覗いても、生れた報告するわけでもなく、無心に子猫を舐め尽くしていた。
 黒のブチとモノクロの縞猫、前回の毛並に似ていたから、相手は同じ猫かもしれない。
 以前の経験から、あまり覗いてはいけないし、子猫に触ってもいけないと娘にも言い聞かせていた。今回は最初から自分の居場所があったせいか、与えてあった箱から運び出すことはなかった。
 食事時になると自分だけが箱から出てきて、餌を食べていた。
「ルリちゃん、生れたんだねー」と言っても応えるわけでもなかった。
 
 ときどき、箱の中をさり気なく覗いた。二匹は一つの塊になって声も出さずに、もくもくと動いていた。目も開いていないように見えた。
 絶えず子猫を舐めているルリは母親そのもの、すべて母親の仕草であった。子猫を食べてしまうのも母親であり、弱った猫を見捨ててしまうのも動物の母親なのかもしれない。最初に我が家に咥えてきた子猫は、きっともう育たないと本能で察知していたのだろう。
 私が子を生んだときは、看護婦さんが「女の子」ですよ、と見せてくれたときに、満足な体なのだろうかという意識を持ちながら対面したものだ。ルリも舐めながら、子猫が五体満足なことを確認しているのだろうか。
 五体満足に子猫を生んだルリだが、一度も子育てを完成させていないだ。

 盗み食い

2006年11月28日 火曜日

(58)・・盗み食い・・   [千夜一夜猫物語]  
 客を送り出して戻るまでの時間にルリが食べ残した魚をテーブルから引きずりおろして食べていた。骨をテーブルから引き摺り下ろす弾みに、魚の身が畳に散乱したのだろう。それを舐めるような格好で拾い食いしていた。
 私たちが戻っても、悪びれもしないで、
ーー文鳥は食べてはいけないが、食べ残されたものはどうせ自分の食事なのでしょーー
と言っているのだろう。
 「それは、確かに明日の朝食にまわるのだけれど、むやみにそんな食べ方されては困るのですよ。ルリちゃん」
 そう言っても、こぼれた魚の身を、食べるのを辞める気配はない。奪われそうに思ったのか、
 「フー」
 と威喝さえしていた。
 「だめでしょ」などと言っても聞えない振りをきめていた。そう、ルリはいつも都合の悪いことは聞えない振りをするのだ。骨を遠くへ骨を引きずっていって、なおさら汚れを広げていた。
やっぱりネコだった。

 美猫

2006年11月28日 火曜日

  散歩から帰ってきた連れ合いが
 「ルリはこの辺の何処の猫より美人だな」
 と言った。私も、珈琲を口に含みながら、当然というようにうんうんと頷いていた。
グレーと黒の縞柄は上品さを醸し出し、首のまわり、鼻の先、お腹の白さが,モノクロの縞柄の上品さをさらに際立たせていた。
 顔も鼻筋が通って、賢そうだった。とは言っても、芸をするわけではない。ただただ、ダメといったことを守ってくれるだけだった。蛇を獲ってくることもなく、秋になっていた。
 
るりの写真が見つからないまま、どこかに似た猫がいないかなーと思っていた。ルリは雑種のどこにでも居そうな猫ではあるが、その色合い、模様のありようが微妙にいいセンスをしていた。
 ところが、思わぬところにルリそっくりな猫がいた。古い雑誌の写真,俳人長谷川かな女の傍らに納まっていた。
 1887年生れのかな女だとすれば、さしずめ1907年くらい。今から百年ほど前に映されたものである。窓辺に置いた文机の前に若いかな女が坐って、傍らにルリにそっくりの猫が侍っていた。モノクロ写真だから、その猫の毛並みの色は本当はモノクロではないかもしれない。しかし、ルリは写真の色合いそのものであり、写真そのものの端正な顔であり、スタイルであった。

 なわばり

2006年11月28日 火曜日

 ルリはあいかわらず、我が家の前を、というより我が家のまわりをうろつく犬も猫も許さなかった。人間が引っぱっている散歩の犬に襲いかかった。まるで、その犬を連れている人間の存在など無視しているのである。多分、経験した人は、我が家の前を通らなくなっているのだろう。犬なら最初に吠えるから、相手も身構えるのだが、猫の場合は何処からともなく、風のように襲いかかるので、散歩の人も、犬も、ふいをつかれて吃驚するのだろう。
 でも、あのころ、そんな繰り返しは何回もあった筈だが、誰も苦情を言ってくる人はいなかったのが不思議である。もっとも、わたしも、自分の家の猫ではないような顔をしていた。ルリのテリトリーの守り方はまるでオイハギのようだった。
 
追剥ぎとは追って行って、身ぐるみ剥いで奪いとること。もうそんな言葉はあまり使われなくなった。その懐かしい言葉を地元の人から聞いたのは、ルリが家にきてからのこと。
 「子供のころ洗い場のあたりは、オイハギが出たのよ」
 その子供の頃とは、当時からでも40年以上、今からなら60年以上前のことなのだろう。
 家の前の道を300メートルくらい右へ行くと道が突き当たる。そこに洗い場がある。地名が「瀧の根」という、そのあたりから、流れ出す清水が、コンクリートの貯水曹に溜められて、農家が野菜を洗っていた。
 庭に引き込んで、野菜の洗い場を作っている農家もあった。我が家の前の側溝には、絶えず野菜の屑が流れていた。私も子供の泥靴をそこで洗っていた。
 「瀧の根」とはよく付けたものである。『武蔵野夫人』に出てくるハケの類だろう。今は跡形もないが、「瀧の根」由来の湧水は今もあって、公園になっている。

 蛇

2006年11月28日 火曜日

  反応が無いばかりか、私が真剣になればなるほど、るりは部屋から出て行く算段をしていた。もうそろそろ退散してもいいかな、とばかりに、畳にお腹がつくほど身を低くして、前足の一歩を出来るだけ遠くへのばす。そして次の一歩も同じように遠くへ伸ばす。暗闇の泥棒のような身のこなし方だった。
 「おまちなせえ」とばかりに、その片足を私は引き寄せた。
 歌舞伎なら、「待てと御止めなさりしは・・・」と鈴ヶ森の場になる。
ルリはと見れば、 ーかなわないよー、とばかりに、手を離したら逃げようと身構えていた。
 
 訪れた友人はいつも真っ先にルリへ声をかける。
 「ルリちゃん、お利巧ね、迎えに出てくれるの」
 「誰でも、人がくれば真っ先にとびだすの」
 「なーによ、人が喜んでいるのに」
 友人は動物好き。躊躇わずルリに頬ずりをするばかりに引き寄せて、撫でまわしたが、私の言葉に白けていて、部屋を入るなり土産に持ってきたケーキの箱を解きはじめた。
 「ルリちゃんにも買ってきたからねー」
 見ればルリは、頭を床につけるようにして獲物を狙う姿勢になっていた。
 狙っていたのはケーキの包みを解いた紐である。その端がテーブルから垂れ下がりながら揺れていたのである。
 「蛇と紐の区別はするでしょ」
 「でも、何でも動くものに反応するから」私は、紐遊びはやめようと思った。

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