吹き溜まり

75・・吹き溜まり・・
まさに吹き溜まりだなー、と感心した。
 このごろは、外出から帰ると、玄関の前が欅落葉の溜り場になっていた。家の構造が、玄関のところで、凹形になっているので、落葉が溜まりやすい。
 一日に何度掃いてもすぐに落ち葉が溜まるのである。12月に入ると、風が無くても落ち葉し続けた。
 昨日と今日の境は見分けられないのだが、日毎に木々が黄色くなって、世の中が明るくなってゆく。
 玄関をあけると、かならずルリが出迎える。でも、わたしだと「ナーンダ」と思っているのかもしれない。くるりと後を向いて奥へ入ってしまう。
(75)・・葱畑・・  
だんだん分かったことだが、昔、といっても100年ほど前までは追剥ぎも出没したというこの地はこのあたりは、古代から住民がいたようだ。
 葱畑などを気ををつけてみていれば土器も拾えた。葱畑は深く畑を耕すために、下の方にある土と一緒に土器が現れるのだろう。雨上がりの土が少し乾き始めたときには、土器だけがまだ濡れているので、すぐ目についた。
 よそ者同士で、そんな土地を珍しくて歩き回った。勿論成田空港反対運動をしているイルカちゃんも。

(76)・・新羅の民・・   
西から上陸してきた新羅の民は、関東平野に追いやられたのだから、このあたりの住民にしても、その流れを継いでいるものもたくさんいるのだろう。現にここから車で一時間足らずの高麗の血脈は 新羅なのである。日本の猫もそんな渡来人と一緒にきたのかもしれない。
 古代エジプトの壁画の中には、猫が描かれているという。当時のエジプトでは神聖な生物として猫 を祀った。飼い猫が死ぬと喪に服すという記録があるし、16、17世紀ヨーロッパでは、猫は魔女の手下とされて残酷な扱いもしたようだ。
 猫は犬のようには気持ちが分かりにくい。その分人間は勝手な印象で、勝手な想像をしたのだ。

(77)・・平穏・・   
ルリとわたしは昼間はあまり顔を合わせなかった。私が意識していなかったのか、ルリが私を避けているのか、とにかく、ルリはルリの空間で、私は私の空間で一日一日が過ぎるのだ。顔をあわせるときがあるとするなら、玄関に人の気配がするときである。来客やら、集金人やらが戸口にたつと、どうしてだかルリもかならず顔を見せる。
 猫好きの人は必ず子供を誉めるようにルリを撫ぜていく。
 とにかく平和が続くことはいいことだ。避妊手術も済んだので、箪笥の引き出しに子猫を生む心配もない。ましてや、子猫を食べたり、子猫を探しあぐねて頭から玄関の扉に体当たりする心配もない。

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