岩淵喜代子句集『嘘のやう影のやう』 評 相子智恵
岩淵喜代子氏は昭和十一年東京都生まれ。昭和五十一年「鹿火屋」入会、原裕に師事。昭和五十四年「詔」創刊に参加、川崎展宏に師事。平成十二年同人誌「ににん」創刊代表。平成十三年、句集『螢袋に灯をともす』で第一回俳句四季大賞受賞。
箒また柱に戻り山笑ふ
多喜二忌の樹影つぎつぎぶつかり来
薔薇園を去れと音楽鳴りわたる
嘘のやう影のやうなる黒揚羽
一句目、もちろん自分で帯を柱の定位置に戻したのだ。けれど「山笑ふ」という山の擬人化の季語と相まって、箒それ自身が「やれやれ掃除がすみました。私は戻って休みます」と歩いて柱に戻ったように思える。そんな小さな箒を、大きな春の山が笑っている。二句目、自ら木々の影の間を歩いていったのだろう。しかし多喜二忌の樹影たちは、その影のほうから痛いほど私にぶつかってくるようだ。
三句目の薔薇園の閉園の音楽は、まるで薔薇たちのシュプレヒコールのように、薔薇をじろじろ眺めにきた私に「去れ」という。四句目、ふらふらと定まらない黒揚羽の飛翔。私か見ているこの黒揚羽は嘘ではないか、影ではないか。
‐‐-には「主体の確固たる自己」などIミリも妄信しない作者の姿がある。箒や薔薇や影こそが生き生きとした世界であり、書いている私はまぼろしではないかと思わせるまなざしがある。句柄の力強さのなかに、世界に対し、そして自身に対して、自嘲を帯びた距離感がある。それは詩的な距離感である。私はこういう句がしみじみ好きだ。
三角は涼しき鶴の折りはじめ
雫する水着絞れば小鳥ほど
ハッとする把握である。驚きながらも、これらの句には作者の生活に沿ったたしかな実感がある。
桐一葉百年待てば千年も
百年は昨日にすぎし烏瓜
小さな俳句に書きとめられた百年や千年は、桐一葉、烏瓜の静けさのうちに、一瞬にして過ぎ去る。第四句集。