『氷室』年4月号  主宰・金久美智子

2010年3月31日

新・現代俳句鑑賞     評者 長野眞久

  寒禽や匙はカップの向かう側
                             「俳句」二月号        
 
 庭に面したホテルのレストランであろうか。しゃれたティーカップで午後の紅茶を楽しむ。正式なマナーに疎くてよく分らないのだが、スプーンがカップの向こう側にあるのをいつも不思議に思っていた。それがずばり句にされた。カップ取手を向こうに半回転させて左手にもってくるのが正式と聞いたことがある。
作者は十分作法をご承知なのであろう。ゆっくりと冬の日を楽しんでおられるようだ。

『澤』4月号  主宰・小澤實

2010年3月30日

岩淵喜代子句集『嘘のやう影のやう』 評     相子智恵

 岩淵喜代子氏は昭和十一年東京都生まれ。昭和五十一年「鹿火屋」入会、原裕に師事。昭和五十四年「詔」創刊に参加、川崎展宏に師事。平成十二年同人誌「ににん」創刊代表。平成十三年、句集『螢袋に灯をともす』で第一回俳句四季大賞受賞。

    箒また柱に戻り山笑ふ
    多喜二忌の樹影つぎつぎぶつかり来
    薔薇園を去れと音楽鳴りわたる
    嘘のやう影のやうなる黒揚羽

 一句目、もちろん自分で帯を柱の定位置に戻したのだ。けれど「山笑ふ」という山の擬人化の季語と相まって、箒それ自身が「やれやれ掃除がすみました。私は戻って休みます」と歩いて柱に戻ったように思える。そんな小さな箒を、大きな春の山が笑っている。二句目、自ら木々の影の間を歩いていったのだろう。しかし多喜二忌の樹影たちは、その影のほうから痛いほど私にぶつかってくるようだ。
 
 三句目の薔薇園の閉園の音楽は、まるで薔薇たちのシュプレヒコールのように、薔薇をじろじろ眺めにきた私に「去れ」という。四句目、ふらふらと定まらない黒揚羽の飛翔。私か見ているこの黒揚羽は嘘ではないか、影ではないか。

 ‐‐-には「主体の確固たる自己」などIミリも妄信しない作者の姿がある。箒や薔薇や影こそが生き生きとした世界であり、書いている私はまぼろしではないかと思わせるまなざしがある。句柄の力強さのなかに、世界に対し、そして自身に対して、自嘲を帯びた距離感がある。それは詩的な距離感である。私はこういう句がしみじみ好きだ。

    三角は涼しき鶴の折りはじめ
    雫する水着絞れば小鳥ほど

 ハッとする把握である。驚きながらも、これらの句には作者の生活に沿ったたしかな実感がある。

    桐一葉百年待てば千年も
    百年は昨日にすぎし烏瓜

 小さな俳句に書きとめられた百年や千年は、桐一葉、烏瓜の静けさのうちに、一瞬にして過ぎ去る。第四句集。

『濃美』年4月号 主宰 太田博賀

2010年3月29日

現代俳句月評   筆者 中原けんじ

  一枚の熊の毛皮の大欠伸     岩淵喜代子
                          俳句二月号「枯野」より

 一読、男性の句だと思った。改めて女性句と知ったものの、この発見の大胆さに、少し後退りする?気持。とは云い過ぎであるものの、何と大らかな措辞であろうか。一刀両断の鞣し熊も本望かも?。俳句の楽しさをこの作者に改めて教えて頂いた気がする。
 
 〈目も鼻もありて平や福笑〉
 〈急行の速度になればみな枯野〉

 どんなメガネを掛ければこのような切り口が見えるのか。今後の不思議さに注目。

『狩』4月号 主宰・鷹羽狩行

2010年3月24日

秀句探訪

「俳句年鑑」2010年版より   筆者  中村龍徳

   尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯   岩淵喜代子

半仙戯はぶらんこの異名であり、半ば仙人になるような気分がすることからこう名付けられたという。ぶらんこの醍醐味は何と言っても風を切る爽快感、そして最高点に達し、落ち始める際の一瞬の無重力感覚であろう。重力から解放され、羽を得たように、あるいは大地に躍動する動物のように、半仙戯で人は人ではなくなる。それを掲句は「尾があれば尾も揺れをらむ」と表現した。仙人ならぬ、尾のある何かになる、と捉えたことで、風や揺れの感覚まで生き生きと表現できた。

『若竹』 3月号 主宰・加古宗也  

2010年3月24日

17文字の世界       筆者  田口茉於

『俳句』2月号「枯野」より

     数え日の街の起伏を蕎麦屋まで     岩淵喜代子

「町の起伏」という措辞が効果的。蕎麦屋まで歩く心の弾みも、数え日の忙しい町の様子も見事に表現している。その起伏を頭でたどるとき、道沿いに並ぶ店、一つ一つの賑わいまで目に浮かぶ。

『梟』3月号   主宰・矢島渚男

2010年3月24日

現代俳句を読む・『俳句』2月号「枯野」より    金子光利

   決闘の足取りで来る鷹匠は    岩淵喜代子

当然鷹を連れてであろう。決闘に向かうように思わせたのは、鷹が一つの武器のように見えたからかかもしれない。私は鷹を間近で見たことさえ無いが、単なるペットとしてでなく猟銃のような狩猟の道具としてみれば、それを携えた者の足取りが違って見えたというのも納得がゆく。

『港』2月号 主宰・大牧広

2010年3月24日

味わいたい俳句(37)   大牧広 

梅の咲くふしぎ吾の居る不思議   俳句年鑑09年

あたらしい感覚の季感がある。梅はふっと気がつくと咲いている花。そこに、ぽっと自分が佇んでいる不思議な感覚、それがあたらしい。いかにも梅が咲きだしたという感覚が生きている。

『曲水』3月号・主宰 渡辺恭子

2010年3月24日

 現代俳句鑑賞       筆者 洲浜 ゆき

 『俳句』2月号 作品16句より

  一枚の熊の毛皮の大欠伸
  急行の速度になればみな枯野   岩淵喜代子

 一枚の熊の毛皮が敷いてあるのは民宿か旅館であろうか、熊が四つんばいになって、大欠伸をしているように見えるのは、旅館が閑散として活気がないからと。熊の大欠伸に世相を反映させたひらめきと俳味に感銘する。
二句目、鈍行の旅のよろしさ、急ぎすぎれば見えるものも見えなくすると世相へ警鐘をこめた作品。慣れの恐ろしさを鋭い詩眼によって指摘された思いがする。

鳥井保和第二句集『吃水』    2010年二月  角川書店刊

2010年3月24日

  参道は波の飛沫の初詣
  橋の裏まで菜の花の水明り
  どの鳥のこゑとは知らず百千鳥
  吃水に昆布躍らせ船戻る
  厠より婆の一喝稲雀
  愚直にも誓子一筋曼珠沙華
  水底に腹をあづけて寒の鯉
  葉裏までひかりの透ける柿若葉

誓子門下生であることを知れば、その揺るがない風景の据え方に大きく頷いてしまう。
昭和27年生まれ。現在俳誌「星雲」創刊主宰。

氷柱

2010年3月18日

 5-60002.JPG

 

手にとどく大内宿の軒氷柱

なにしろ見事な氷柱だった。もぎ取ると全長が子供の背丈くらいあって、まさしく槍として刀として振り回せるような大きさだ。酷寒ということばを証明するような長い氷柱に囲まれた家は大変だなー、とその生活を思いやってしまった。しかし、お菓子屋さんに入ると大きな囲炉裏に炭が熾きていて、店だから出口は開いているのに、店の中はほっとする暖かさが漲っていた。

宿場のポストに入れると、大内宿のスタンプが押されるというので、みんなハガキを買って自分に友達に、筆を走らせた。わたしは、自分に俳句を書いた。孫たちは友達に出しているみたいだった。このふたりの孫が、『ふたりの女の子』のモデル。

思いついて、春休みにはいった娘一家と出かけた会津。郡山で娘一家の車に乗り込んだが、どこもかしこもまだまだ雪がいっぱいで、ぬきんでている会津磐梯山も真っ白だった。夕食までにはまだ間のある夕がたの温泉にひたり、そのあと指圧にかかった。中年の男性の力加減もつぼの押え方もなかなかだった。

終わると、「息子さんがさきに部屋に帰っていますから」と、言っていました」という伝言だった。内心えー息子さん?と思ったが、あー娘の連れ合いも指圧に掛かっていたのだなー、と察した。夕食のときに、なかなか上手い指圧師だったことで意見が合った。

写真の氷柱は、翌朝、宿から車で40分くらいでいける大内宿のもの。山間の宿場はそこだけに人が固まって棲みついている土地である。たぶんそこへ宿泊する旅人は宿を囲むどこかの山を越えながら、ひたすら大内宿を目指して歩いてきたのだろう。どこを向いても高い山が聳えていた。その山々の落ち合う谷底のような土地に宿場はある。

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