黄泉比良坂

2010年5月29日

名にし負う黄泉比良坂を見てこようと思っていたら、古事記にゆかりの地を全部歩いたという吟行友達が一緒に行ってくれるという。それにしても高天原を天上の神々の居るところとして、列島の端っこに黄泉の国の入口とするのも、中央集権的というか、現在にも通じる感覚だ。村のはずれに墓地を造るようなもの。

 黄泉を塞いだ岩は思ったよりも小さかった。岩の前には楊梅(やまもも)が植えられていた。醜女に最後に投げたのは楊梅だったとしたらちょっと小さいが色としてはふさわしい。お願いしたタクシーの運転手さんは詳しくて、揖屋神社→黄泉比良坂→阿太加夜神社→風土記の丘資料館 →神魂神社→熊野神社→須賀神社→八雲山裾巡り(・・夫婦石)→八重垣神社(鏡> 池)と効率よく巡ってくれた。

茶臼山は目に焼きつくほど何度も目の前に現れた。それにしても、巡ったあたりの人気のなさは、昔は浅篠原だっただろう。山裾を巡りながらときどき二つ三つの棚田が現れる。二か月ほど前に観た韓国映画「牛の鈴音」を思い出させるような山村の風景である。

夕方五時には松江の駅に到着した。2日掛かると思った旅が一日で済んでしまった。明日はどうしようか、ということになったが、松江の町を歩く気も起こらなかった。日向(高千穂)なら行きたいけどね、と話し合ったが、黄泉比良坂を見た興奮をそのまま持ち帰ることに意見が一致した。それから寝台特急の出る7時30分までゆっくり食事をすることにした。

落合水尾句集『日々』2010年5月    角川書店刊

2010年5月23日

   さざなみは暮れて光りぬ新松子
   足音の静かに混むは風の盆
   しのびあふごとくにふたり蕨とり
   昨日より今日の我好き赤とんぼ
  雑煮椀山々も無事海も無事

長谷川かな女、秋子に師事「浮野」を創刊主宰。非常に誠実な人柄がそのまま作品に反映されている。「さざなみ」などはその典型で、いずれも季語の本意を生かした句柄である。

加藤耕子句集『尾張圖繪』2010年5月    東京四季出版刊

2010年5月23日

1987年に出版した句集を文庫版として復刊。その師系「馬酔木」の抒情を引き継いだ句柄を、力まないで踏襲しているのが、好ましい。

   朴散つて天の高さのもどりけり
   火の帯を水にほもとき鵜松明
   青き踏む背骨一本立てとほし
   裸木となりたる空の深さかな
   麦秋や一つゆるびし貝釦

『小西昭夫句集』2010年4月   創風社出版

2010年5月23日

   改札を抜け木枯のまともなり
   枇杷の実の中の大きな枇杷の種
   枇杷を食うときのいつもの前屈み
   立春の妻を見ておりうしろから
   土曜日の浴衣が町にあふれけり

1954年生れ。それなりの年齢の落ち着きも感じられながら、現代の空気をしっかり読みとっている作家である。最近「子規百句」「虚子百句」の鑑賞著作がある船団会員。

訃報

2010年5月17日

若葉のころは若い方が逝くのだろうか、と思えてくる。先日突然の小澤克己さんの死にびっくりしていたが、今週の月曜日には脇祥一さんの亡くなったお知らせを受けた。古い俳壇の中でも、この名前を知っている人もいるかもしれない。鹿火屋の書き手として、当時の原裕主宰も期待をかけていた人物だった。

当時は若手のホープとして俳人協会訪中団などにも押し出して、就職も本阿弥に入れたりしたのだが、なぜか自堕落な部分があったのだろうか。私の印象の中では無口で細かい気遣いのできる人だった。ふと、石鼎とダブルような人柄がイメージされる。もう20年以上お目にかかっていないから、途中で出会ってもわかるかどうか。

年鑑をみたら昭和24年生まれと書いてあったから、還暦くらいの年齢にはなっているのだ。入会したてのころは、お嬢さんのお婿さんにと原主宰が考えていたのではないかという想像まで、周りでは口にしていた。そんな脇さんが、当時の鹿火屋編集長として活躍していた北澤瑞史氏と鹿火屋を除名された理由は未だに会員にはわからない。その北澤瑞史氏の全作品鑑賞集が藤沢紗智子著として出たばかりである。

先日も鈴木栄子さんと夜なかの電話になってしまった中で、俳人協会幹事としての北澤さんの人柄のさわやかさは評判だったという話題になり、協会の誰さんも誰さんもとても信頼していた、という話をなさったばかりだった。除名になった北澤さんを中心に立ち上げた雑誌「季(とき)」の命名は、たぶん原裕の評論「季の思想」へのオマージュだったと思う。

ふたたび脇祥一さんの話題に戻るのだが、彼は当時の鹿火屋に書いた評論からは書ける人だったはず。「季」でそれを発揮してこなかったのは残念である。(合掌)

柿の葉寿司

2010年5月14日

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この頃の柿の葉は一日ごとに大きくなる。てらてらと5月の光に薄緑の葉を茂らせて、今、いちばん生命力を感じさせる樹木である。その柿の葉を使って、毎年一回は柿の葉寿司なるものを作る。柿の葉は腐敗を防ぐ成分があるのだ。昔の人はそれを知って柿の葉寿司を作り始めたのだろう。

吉野で作られている柿の葉はもっと大きな葉になってから使われるのだが、私のは若葉のころの小さい葉である。ただ寿司飯と鯖やサーモンの酢に均したものを柿の葉に乗せて二つ折りにするだけである。そうして箱に詰めて、重しをしておくだけだから、いとも簡単である。写真の柿の葉寿司は出来たてで、葉が寿司飯になじんでいない。開いてみれば一口に入る大きさである。

この柿の葉寿司を教えてもらったのは、20年位前の連句を捲いていた頃。関口芭蕉庵で東明雅先生を中心に座が持たれていたが、皆さん風雅な食べ物を持っていらっしゃった。その中に、この柿の葉寿司があった。

『里』五月号

2010年5月14日

到着したばかりの「里」を読んでいたら、「吾亦庵記録」にーー俳人協会の姿勢が理解できないといふことについてーーと題して島田牙城氏の意見の書いてあるページに出会った。極めて簡単に言ってしまえば俳人協会の入会資格が結社の主宰推薦しかないと言うこと。だから「里」にも来ないということ。

このことを俳人は案外知らないのではないかと思う。だから、「ににん」には推薦枠が来ないのだと言うと、一様に意外だという表情をしていとも簡単に「言ってあげるよ」と一度ならず協会に口添えをして下さった方がいる。

そのたびに、棚山氏から「同人誌」って年鑑に書いてあるので推薦枠はあげられない」という丁寧なお電話を頂く。実は今年もまた頂いたのである。なんだか、私が働きかけていたみたいだが、私はもうとっくに諦めているのである。しかし、昨年陳情して下さった方がどうなっているのか結果を問い合わせたのだろう。それで、今年は協会推薦を促してくださった方に「どうぞご放念ください」という文書まで送った。

俳人協会入会資格の人選っていうものがほんとうに正しくできるのか言えば、主宰の質を掌握出来ないかぎり不可能である。だから、きわめて曖昧な基準なのである。入会資格を、これ以上曖昧にしないために、ということで現在の入会要項があるのだろうか。本来、俳人協会の設立目的は俳人の保険加入を確保するためだったと聞いている。

ネパールの写真

2010年5月12日

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写真はネパールの街中らしい。実は毎日新聞の「俳句あるふあ」から三十代の俳人を紹介してということだった。「ににん」に三十代は三人いるのだが、より若い人ということでシノミヤさんを紹介しておいた。その原稿締め切りが今日なのである。

実はこの原稿の締め切りが迫っている10日ほど前に「連休にネパールに行ってきます」と言われて、すぐにはエベレストまでに想像出来なかったが、それを見越したように「エベレストに登ってきます」、と言われた。そんな話を一度も聞いたことがなかったが、それでもエベレストならそれ相応の準備もあるだろうに。

「原稿は帰って来てから出します」ということで、ちょっと心配していたが、無事に予定通り帰宅したらしく、メールに何枚かのネパールの写真が添付されていた。あちらはストライキに遭遇して、麓から駅まで一日かけて歩いたという。なんと凄いこと、と思うのだがさわやかなメールだった。やれやれ。

俳人協会埼玉支部大会

2010年5月5日

2010年の埼玉支部の俳句大会.会場は武蔵嵐山にある「国立女性会館」である。この建物は鎌倉武士の史跡畑山重忠館跡の地続きで、新緑に囲まれた広大な土地に研修棟、ホール、宿泊棟などが点在している。他に茶室などもあるので、研修会には是非おすすめしたい。国立などというと、野暮ったいビジネスホテル以下におもいがちだが、そんなことはない。今の季節はどの部屋からも新緑が見えて、山中にいるような感じである。

大会の準備は、それぞれのお仕事柄を生かしたハイテク機能で準備されてきて、一メートル以上あるボードに貼る採点表が拡大コピーしたものであることにもびっくり。一応わたしは今年度の実行委員長だったのだが、見物人の一人のような感覚であれよあれよという間に会は進んで、予定通りの時間に終わった。

大会会場で落合水尾さんが薄羽白蝶を見てきた話をなさった。カメラマンがたくさん集まっていて、二日間しか見られないと言っていたという。懇親会の席で、二日間しか見られないのは何故かという話題になった。

① 他に移動する
② 羽化したばかりの姿とは違ってくる。
③ 生殖機能を果たせば死んでしまう。  などなど。

しかし、帰ってきてから調べてみると、どうも二日で死んでしまうというほど短命ではない。②があるいは理由になるかもしれないと思ったがそれも違う。ウスバシロチョウは蝶の中でも氷河期から生息していることで有名らしい。そんな珍しい蝶なら是非見たかったが、係として場を離れるわけにはいかなかった。高山の低温地域に住んでいて、「生きた化石」と呼ばれている珍しい蝶だったのだ。

 名前の通り翅が白く、翅の向こう側が透けて見えるほど薄い優雅な雰囲気を持つ蝶で、「春の女神」をギフチョウと呼び、薄羽白蝶は「春の妖精」と呼ばれているという。もともと、畑山重忠の館跡にはオオムラサキの森がある。蝶の生息に適した環境があるのだろう。来年はゆっくり見に行きたい。

国立女性会館は仕分けによってかなり減額されるらしい。しかし、国に一つしかない施設である。この施設の縮小は縮小にとどまらない。この広大な土地の中の配置があるからすばらしいのであって、これが縮小されてしまったら、街の中の福祉センターなどと変わらない景観になりそうだ。会館は今年の十一月頃から改装をすることになっているが、きっと縮小のための工事なのだろう。

仕分け事業の会議が一時間のうちに三箇所も行われるのは乱暴だと、会館の館長がコメントしているが、同感である。縮小にお金をかけるよりも、建物を生かすべきである。

『四葩』5月号  主宰・松村多美

2010年5月4日

俳句展望     筆者 室生寛太

   目も鼻もありて平らや福笑ひ      岩淵喜代子
                                   (「俳句」2月号より)

正月の遊びではまだ人気の高い福笑い。この句を読むと、どうせ目隠しをしての遊びなのだから目や鼻が立体的でもよいではないかと思えてくる。作者が真面目にそう考えたのかと思うだけで楽しくなってくるめでたい一句である。

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