訃報

若葉のころは若い方が逝くのだろうか、と思えてくる。先日突然の小澤克己さんの死にびっくりしていたが、今週の月曜日には脇祥一さんの亡くなったお知らせを受けた。古い俳壇の中でも、この名前を知っている人もいるかもしれない。鹿火屋の書き手として、当時の原裕主宰も期待をかけていた人物だった。

当時は若手のホープとして俳人協会訪中団などにも押し出して、就職も本阿弥に入れたりしたのだが、なぜか自堕落な部分があったのだろうか。私の印象の中では無口で細かい気遣いのできる人だった。ふと、石鼎とダブルような人柄がイメージされる。もう20年以上お目にかかっていないから、途中で出会ってもわかるかどうか。

年鑑をみたら昭和24年生まれと書いてあったから、還暦くらいの年齢にはなっているのだ。入会したてのころは、お嬢さんのお婿さんにと原主宰が考えていたのではないかという想像まで、周りでは口にしていた。そんな脇さんが、当時の鹿火屋編集長として活躍していた北澤瑞史氏と鹿火屋を除名された理由は未だに会員にはわからない。その北澤瑞史氏の全作品鑑賞集が藤沢紗智子著として出たばかりである。

先日も鈴木栄子さんと夜なかの電話になってしまった中で、俳人協会幹事としての北澤さんの人柄のさわやかさは評判だったという話題になり、協会の誰さんも誰さんもとても信頼していた、という話をなさったばかりだった。除名になった北澤さんを中心に立ち上げた雑誌「季(とき)」の命名は、たぶん原裕の評論「季の思想」へのオマージュだったと思う。

ふたたび脇祥一さんの話題に戻るのだが、彼は当時の鹿火屋に書いた評論からは書ける人だったはず。「季」でそれを発揮してこなかったのは残念である。(合掌)

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