2009年9月 のアーカイブ

『上田五千石五百句』 2009年刊

2009年9月17日 木曜日

上田日差子主宰「ランブル」付録

    もがり笛風の又三郎やあーい       『田園』
    曼珠沙華わなわな蘂をほどきけり
    水増して代田ひしひし家かこむ
    渡り鳥みるみるわれの小さくなり
    かたつむり殻の内陣透けゐたり
    冬浜に浪のかけらの貝拾ふ        『森林』
    硝子戸に洗ひたてなる春の闇       『風景』
    雨空のあまり明るき仏生会
    堰といふ水の切口初紅葉          『琥珀』
    梟や出てはもどれぬ夢の村
    太郎次郎三郎そのほかみんな蝌蚪
    月の村川のごとくに道ながれ
    かげろひて記憶のごとく女来る       『天路』
    さびしさを涼しさとして倚る柱

有住洋子句集『残像』  2009年  ふらんす堂刊

2009年9月10日 木曜日

 心待ちにしていた句集である。もっともっと早く出版してもよかったと思うのだが、今回のあとがきには「還暦は、生れた年の干支に還ることだといいます。ということは、私は今、新たな0歳といってもいいのではないか。・・・」と、句集を編む動機を書いている。略歴も省かれている。
 わずかに橋本榮治氏の栞の中に、長い年月のアメリカ暮らしと美術を学んだことだけに触れている。だから、わたしも作品だけを鑑賞しようと思う。

   海底は音なきところ秋櫻
   手をかざす埋火のなく過去もなく
   春空に進み出て弓引きにけり
   昼と夜また昼と夜雛葛籠
   サーカスの一団白夜の街を発ち
   港湾の一番奥の誘蛾灯
   鰯雲いくつか橋を渡りをへ
   おもひ出せぬことなど牡蠣の殻重ね
   たれもゐぬ櫻蘂降るあかるさに
   魂祭まへもうしろもけむたかり
   覚めて霧ねむりて大河しろじろと

 気がついてみると、拾いだしたすべてが句集名『残像』につながる。残像をテーマに詠んだ句集と言ってもいいような作品群である。

   薄墨の祖母と木槿の道に遭ふ

 その冴えたるものが「薄墨の祖母」の句に言える。祖母を薄墨と捉えるところがすでに残像なのである。それはとりもなおさず、有住さんの視点がいつも残像へ行き着くことで言葉になるのではないかと思える。

   雪女地軸かたむく星に棲み
   いなびかり水中を母歩きをり
   綿虫や砂漠に水のありしころ
   白襖砂漠の音をとどめけり

 あえて「確かな残像」と言いたい句。雪女だけをこの世の存在感として、母の残像を稲光によってあぶり出し、砂漠の悠久の時を言葉に置き換えている。

トロイの木馬

2009年9月9日 水曜日

やっぱり電気やさんが運び込んだのはエアコンではなくトロイの木馬だった。
洗面所の石鹸に櫛で削ったような跡がある。その形は見知っている懐かしい歯形だ。夫に見せるとやはり「鼠みたいだ」というのである。確かめるためにまた新しい石鹸を置いた。

まもなく夫が「おいおいやはり、鼠が出るみたいだ」と言いにきた。先日エアコンを運び込んだガラス戸の内側にある障子の桟が削られていて、木屑も下に積もっていた。「いったい何処から入るんだ」とぶつぶつ言っていたが、水屋の流しの排水口しか考えられない、ということで、その排水口を塞いだらしい。

あれから確かに石鹸に歯形も付かないし、障子の桟が齧られている様子もない。廊下の端にある小さな水屋は、この頃全く使わないので、その存在も忘れていた。

鼠騒ぎが終ったら、こんどは蜥蜴だ。それも我家の内側で出合った。就寝前の窓を閉めてから、敷居に蜥蜴が張り付いているのが目についた。普段なら慌てて新聞紙などで払うのだが、窓には網戸があるのだ。網戸があってもなくても、蜥蜴をみたとたんに、足が竦んでしまってどうしていいか分からないのだ。蛇だけでなく蜥蜴も冬眠に入る筈。その穴を探せないで迷ってしまっているのだろうか。

どうしようかと、部屋を見回したがいい考えは浮ばない。ふたたびふり向いたときには姿はなかった。まさか、本棚の後で冬眠なんてことはないだろ。そんなことを志したら、きっと干乾びてしままうことを教えなければならない。閉めたガラス戸をまた少し開けた。蜥蜴さんに出て行ってもらうしかない。何十年も住んでいるのだが、こんなことは初めてである。庭ならよく見かけているのだが・・。

蚊取線香

2009年9月6日 日曜日

このごろよく蚊取線香を焚く羽目になる。こと起りは八月のお盆前に、帰省の娘一家が使う部屋のクーラーが壊れてしまったことに始まる。工事にきた電気やさんが「奥さん、蚊取り線香貰えませんか」と庭から呼ぶのだった。

蚊取線香なんて我家で、もう十年くらいは見かけていない。ときどき、窓から見える藪を眺めながら、このごろ蚊というものも少なくなったんだなーと感心してからも、随分久しい。辛うじて肌に噴霧する虫除けがあったので、それを使って貰っているうちに、スーパーへ走った。

それにしても、あの蚊取り線香の緑色の渦巻きは古典的だ。この形は物心ついたころから同じである。匂いも色も大きさも変わっていない。それはパッケージにしてもだ。一目でわかるあの箱を一ヶ月ほど前のまつもと・かずやさんの家で見つけたときには、思わず「懐かしいわ」なんて言ったばかりなのである。あの箱は、なんだかひどく昔を感じさせるのだ。

工事の日は、さすがに庭に面している硝子戸を全開していたせいもあって、二階の私の部屋にいても蚊に襲われた。それでも全開にしておいたのはその日一日だけなのだから、2,3日すれば何時もの平穏な日々に戻る筈だった。

ところがあれから、一ヶ月以上過ぎているのだが、昼間でも蚊に刺されて慌てて香取線香を焚く羽目になり、一箱の蚊取り線香が尽きてしまった。こうなってみると、なぜ今まで使わないで居られたのが不思議だった。まるでトロイの木馬の中に居た兵士がどこかに隠れているみたいな感じだ。そういえば十年とはトロイ戦争の続いた年月くらいかもしれない。

見たことがないカレンダー

2009年9月5日 土曜日

以下のようなブログがあったのだが、私は自分の俳句が掲載されているカレンダーを外では見たことがない。JTのカレンダーだから煙草屋さんにはあるのかな、と思ったり、して見回したこともあるのだが。

でもどこかでは掲げてあるらしくて、以下のようなブログを見つけた。でもコメントを入れるには、ややこしい手続きが必要みたいなので、ここに転載した。若い方らしい。どうぞ頑張ってください。

~~~~~~~~~★~以下転載~~~~~~~~~~★~~~~~

 *http://plaza.rakuten.co.jp/mikuotome/diary/20090706/***

緑陰を大きな部屋として使う
[ 今日がんばったこと ]    

これは俳句です  

なんか私 変わる変わると言いながら
全然 すごくないし変化ないやん雫

焦りまして

昼休みにブックオフノート
英語教材DVDを仕入れて

隣の中華料理屋さんで
「赤い食べ物食べよ」
と思ってトマト肉丼を食べて食事
御会計のときに レジの後ろに
かかってたカレンダーに
この俳句が書かれていました

 緑陰を大きな部屋として使ふ
           岩淵 喜代子

この方、俳句雑誌『ににん』の代表だそうですが
素敵ですよね

使ふ

が いいんだな きっと

過ごす とか 休む

じゃなくて

使ふ

この素っ気ない言葉だから
いき なんだよねひらめき

突然 俳句を愛でましたが

私 文学部出身で 長く短歌を作ったりしてましたので
俳句も好きなんです

よくよく考えると
このポテンシャル は 活かせるんじゃないの?

英語もいいけど

かつて、短歌の道は途中で諦めてしまいましたが
もいちど どう?
英検よりできそうじゃない?

無理せず自分を磨くきらきら
これは今月本当に頑張ろう

~~~~~~~~~★~~~以上転載~~~~~~~~★~~~~~~

『終の住処』

2009年9月4日 金曜日

芥川賞受賞作品『終の住処』磯崎憲一郎著は久し振りに面白かった。内容はよくある家庭生活・妻との不和・女性関係・職場生活の積み重ねだが、読ませる文章である。いつでもいつでも、自分が不本意な状況に置かれてしまうことへの不安や探求する心が、スリラーのように先へ先へと読み手を誘う。

原稿用紙にして何枚くらいなのか。とにかく短編であるが、結婚から子供を育てて中年になるまでの年月が、実にゆるやかに過ぎてゆくのだ。その月日の中で自分の存在感の不条理に立ち向かうことに終始している。

人は自分が自分の思うようには相手に映らないものである。それが自分の枷のようにも感じられるものだが、その誤解をひとりひとりへ弁明したり解説したりするわけにもいかない。そのために、ますます生きていることへの居心地の悪さが募るのである。書く原動力はそこにあるのではないかとさえ思うことがある。

この小説では、そのいちばんの居心地の悪さは妻へ向いている。それが、この小説の大きなウエイトを占めているのだ。妻の存在とは、その素っ気無さ、その冷たさ、その無表情さに、あれこれと想念を描く作者がいる。書くという事は、他人に不本意に投影をしている自分の心を落ち着かせるために書くのではないかと思うときがある。それは、この小説にもいえるのだ。

俳句もそうだが、同じ場面も角度によっていろいろな表情になる。そのかすかなずれを見せる描写が魅力的だ。この小説の直後に直木賞の「鷺と雪」を読み始めているが、はじめから味の抜けたスルメを噛んでいるみたいな気がするのは、その表現方法の違いかもしれない。

秋彼岸が来る

2009年9月3日 木曜日

何時頃から死というものが、身近になったのだったか。このごろは、それが顕著になった。私ぐらいの年齢になれば当りまえのことではあるが、それでも、親しい人の訃報のたびに、死と隣り合わせの感覚は増してくる。

夕べは、わが夫婦ともに知り合いで、一週間に一度くらいは我家を訪れ、夫に至っては週に二回ぐらいは呑みあっていた友人の訃報の知らせが入った。娘さんからだった。「ご迷惑をおかけしましたが・・」と電話の声は、あー、娘さんも年齢を重ねてきた声だなー、と感じた。

その友人が定年近い頃に会社の倒産の羽目に追いやられ、疎遠になっていた。我家も保証人ということで、かなりな返済の肩代わりもしなけらばならなかったが、友人は無一物になったのだから、もう諦めるしかなかった。

あの保証人というものにならなければ、きっと死の間際まで、夫は呑み合っていただろうと思うと、友人というものの法則を認識する事項だった。夫は「いいから時には遊びに来いよ」と言ったが、訪れることは無かった。負い目を感じてしまったらもう友人関係は成立しないのだ。

この秋の彼岸には墓参をしようと思っている人がいる。つい2ケ月ほど前に出会った人で、しかもそれから半月後には東京でも出会う筈の人だった。その東京行きの為に島を渡って酒田で交通事故に出合ってしまった。

カルチャーの受講生が「庄内は故郷で、墓参りにもいかなくてはならないから、庄内の案内をしますよ」と言ってくれたが、なにしろ、私の予定に加えて天候も見張っていなければならないのだ。酒田から飛島への船は天候が悪ければ直ぐに欠航になる。

わたしには、もうひとり墓参をしたい友人がいる。いろいろな事情で葬儀も出られなかったので、墓参は是非しなければ思っているのだが、まだ果たしていない。巡礼という言葉が浮かび上がってきた。多分巡礼というのは自分の心を落ち着かせるために行うのではないかと思えてきた。

遠藤千鶴羽・第二句集『暁』   2009年  ふらんす堂刊

2009年9月2日 水曜日

「草藏」「大」所属の1964年生れ・1990年から俳句に関ったようである。

後書きにーー指の間から零れてしまうような日々の、それでもいくらかは、575という形に溜めてこられたのではないかと思っていますーーと言い添えている。

魚は氷に上りて君とゐる不思議
てつぺんはまだ竹の子や今年竹
三月の雪より現れし雀かな
牡丹の見ゆる障子の破れ目かな
人生のほぼ真ん中や鉄砲鍋
暗がりへ続く階段雛かざり
春の雨駅の名前を誉めにけり
一枚は空を写して卒業す
手を振るは青水無月の歩道橋

「椅子」の章、すなわち最後の章が一句の世が輪郭鮮明に描き出されている。これは、俳句という形式への熟成度がさせているのだと思う。

室生幸太郎句集『昭和』  2009年 角川書店刊

2009年9月2日 水曜日

句集名『昭和』に対する想いを濃くする以下の作品がある。
 
  飛花落花昭和を忘れたい人へ
  昭和ヒトケタ前へ進めず花の中
  芒原昭和の波の音ばかり

硬質な作品集のようであり、色彩豊かな叙情を感じる面もある。変化のある一集だった。

  梅雨茫々鏡のなかのさびしいけもの
  いつもの席に老女と薔薇と黒猫と
  紫陽花の荒れ放題に猫病んで
  霧の夜の村を捨てたい床柱

山西雅子句集『沙鴎』  2009年  ふらんす堂刊

2009年9月2日 水曜日

  花びらのごとくつめたくなめくぢり
  小満のみるみる涙湧く子かな

こうした句を懐かしい人に出会ったように味わったのは随分前からインプットされている句だったからである。詩情の濃い作家である。

  大岩に石を供えて草の花
  宵闇や手を泳がせて子が走り
  チョコレート折れば冷たき夜更けかな
  船小屋に油のひほひつばくらめ

作品から醸しだされる無音な空気が不思議さを伝えてる。

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