「草藏」「大」所属の1964年生れ・1990年から俳句に関ったようである。
後書きにーー指の間から零れてしまうような日々の、それでもいくらかは、575という形に溜めてこられたのではないかと思っていますーーと言い添えている。
魚は氷に上りて君とゐる不思議
てつぺんはまだ竹の子や今年竹
三月の雪より現れし雀かな
牡丹の見ゆる障子の破れ目かな
人生のほぼ真ん中や鉄砲鍋
暗がりへ続く階段雛かざり
春の雨駅の名前を誉めにけり
一枚は空を写して卒業す
手を振るは青水無月の歩道橋
「椅子」の章、すなわち最後の章が一句の世が輪郭鮮明に描き出されている。これは、俳句という形式への熟成度がさせているのだと思う。