『終の住処』

芥川賞受賞作品『終の住処』磯崎憲一郎著は久し振りに面白かった。内容はよくある家庭生活・妻との不和・女性関係・職場生活の積み重ねだが、読ませる文章である。いつでもいつでも、自分が不本意な状況に置かれてしまうことへの不安や探求する心が、スリラーのように先へ先へと読み手を誘う。

原稿用紙にして何枚くらいなのか。とにかく短編であるが、結婚から子供を育てて中年になるまでの年月が、実にゆるやかに過ぎてゆくのだ。その月日の中で自分の存在感の不条理に立ち向かうことに終始している。

人は自分が自分の思うようには相手に映らないものである。それが自分の枷のようにも感じられるものだが、その誤解をひとりひとりへ弁明したり解説したりするわけにもいかない。そのために、ますます生きていることへの居心地の悪さが募るのである。書く原動力はそこにあるのではないかとさえ思うことがある。

この小説では、そのいちばんの居心地の悪さは妻へ向いている。それが、この小説の大きなウエイトを占めているのだ。妻の存在とは、その素っ気無さ、その冷たさ、その無表情さに、あれこれと想念を描く作者がいる。書くという事は、他人に不本意に投影をしている自分の心を落ち着かせるために書くのではないかと思うときがある。それは、この小説にもいえるのだ。

俳句もそうだが、同じ場面も角度によっていろいろな表情になる。そのかすかなずれを見せる描写が魅力的だ。この小説の直後に直木賞の「鷺と雪」を読み始めているが、はじめから味の抜けたスルメを噛んでいるみたいな気がするのは、その表現方法の違いかもしれない。

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