心待ちにしていた句集である。もっともっと早く出版してもよかったと思うのだが、今回のあとがきには「還暦は、生れた年の干支に還ることだといいます。ということは、私は今、新たな0歳といってもいいのではないか。・・・」と、句集を編む動機を書いている。略歴も省かれている。
わずかに橋本榮治氏の栞の中に、長い年月のアメリカ暮らしと美術を学んだことだけに触れている。だから、わたしも作品だけを鑑賞しようと思う。
海底は音なきところ秋櫻
手をかざす埋火のなく過去もなく
春空に進み出て弓引きにけり
昼と夜また昼と夜雛葛籠
サーカスの一団白夜の街を発ち
港湾の一番奥の誘蛾灯
鰯雲いくつか橋を渡りをへ
おもひ出せぬことなど牡蠣の殻重ね
たれもゐぬ櫻蘂降るあかるさに
魂祭まへもうしろもけむたかり
覚めて霧ねむりて大河しろじろと
気がついてみると、拾いだしたすべてが句集名『残像』につながる。残像をテーマに詠んだ句集と言ってもいいような作品群である。
薄墨の祖母と木槿の道に遭ふ
その冴えたるものが「薄墨の祖母」の句に言える。祖母を薄墨と捉えるところがすでに残像なのである。それはとりもなおさず、有住さんの視点がいつも残像へ行き着くことで言葉になるのではないかと思える。
雪女地軸かたむく星に棲み
いなびかり水中を母歩きをり
綿虫や砂漠に水のありしころ
白襖砂漠の音をとどめけり
あえて「確かな残像」と言いたい句。雪女だけをこの世の存在感として、母の残像を稲光によってあぶり出し、砂漠の悠久の時を言葉に置き換えている。