‘千一夜猫物語’ カテゴリーのアーカイブ

太陽と月と

2006年11月29日 水曜日

(63)・・鬼子母神・・  
 友人が帰ってしまうまで家の中に閉じこめていたルリが、「ウオーン、ウオーン」と妙な鳴き方をしていた。この鳴き方は苦手である。 恨みのこもったような、地の底から湧き出しような声。春の盛りの時のあの気持ちの悪い声よりもっと不気味な声をあげた。
 わたしが中に入るのと入れ替えに外へ出たルリは、家の周りを探しているらしいのが、その声でわかった。動物というのは諦めることを知らないのか、声はいつまでたっても止まなかった。鬼子母神が子を探す図はかくやと思わせる凄まじいものだった。
 あまりに激しい泣き方なので、家の中に入れようと、外へ出てみれば、ルリはただただ家の周りを回っているのだ。何処にも探しようがないというふうに。 抱き上げてみると一時鳴き止むのだった。
 ーー仕方がないじゃないの。この家に置けるのルリちゃんだけなのよ。分かってくれなきゃ、こまるじゃないのーー
 腕の中にいるルリは、ひとりで置くときよりも、声は静かになった。しかし、気になることがある、という風に身をよじって落ち着かない。腕の中から出ようとしているのだ。それからが、また大変だった。  
 外なら隔たりがあるが、家の中では直にルリのうめき声を聞かなければならなかった。一部屋一部屋、そして窓という窓を確かめて、開けられる戸口を探していた。同じ部屋を何回も確かめ、同じ窓を何回も開けようと試みた。そのうち、鳴き声が収まったような気がして諦めたのかと思った。
 だが、なんだか鈍い響がする。
 なんと玄関の扉に小さな体を、頭から体当りしているのだ。そんな勢いでは扉はゆらぎもしないのに。そこが開けられる、ということ、しかも、外へ扉が開くことを知っているのだ。大方の窓は鍵が掛けていないかぎり前足で器用にあけるのだが、かって扉を開けたことはない。開けられるわけもないのである。その扉に体当たりしているのだ。私は慌てて扉を開けた。やはり凄まじい鬼子母神だった。

(65)・・太陽と月と・・
連れ合いが帰宅すると、いつの間にかルリは玄関に出迎えていた。それからは、何時ものように流し元に座って餌を待っていた。そこに居ればいつも、連れ合いが餌をくれるからである。これで忘れてくれるのかなーとほっとした。
食べ終わると、また呻くような鳴き声を上げ始めた。連れ合いは膝にのせでも、何時ものようにそこに収まってはいなかった。
それから、家中を巡り、それが飽きると外へ出ていいった。連れ合いも外での異様な鳴き声には少々辟易したらしくて、外から連れ戻してきた。
そんなるりも、朝になったらケロッと忘れているみたいだった。太陽と月が一周すると、なんでも物事が収まるのかもしれない。

(66)・・欅の中の空・・    
欅がだんだん色付いてきた。それだけで、欅の葉群れの中の空が多くなったような気がする。知らず知らずのうちに、葉を落としているのだろう。
 朝のルリは、連れ合いの足元から離れない。トイレに入れば戸口で待っている。朝の食事が貰えないうちに出勤してしまっては一大事なのである。
 そんなルリにこのごろ、連れ合いは私に言いたいことを託すのである。
 今朝も玄関に見送りに出たルリへ、
 「ヘアートニックを買っておくように言っておいてくれ」
と言っていた。そう、私は昨日その買い物を忘れてしまったのである。
 「全くしょうがないなー」
とぶつぶつ言いうのを黙って聞いていた。連れ合いは、壜の内側に残っているヘアートニックを指で撫でては掬い取って、とりあえず事足りる量を確保したらしい。買わなかったことは、厳然とした事実だから、認めないわけにはいかない。

養子に出す

2006年11月28日 火曜日

61)・・夏目漱石・・   [千夜一夜猫物語]  
夏目漱石の「我輩は猫である」の中の猫は雄だったのか。初めて出会った人間が書生というものであったという。
 この書生の印象は、猫と違ってつるつるでまるで薬缶のようだと述べる。しかし、人間が初めてなら薬缶も始めて見るものだと思うから、その形容は不自然ではなかろうか。
 ルリは最初に出会ったのは、どんな人間だったのか。初めての飼い主である我が家の人間をどんな風な印象で捉えたのだろう。
 とりあえず感情論で言えば、慈悲の父親と非道な母親、その夫婦の女の子、これは歯牙にも掛けなくていいと判断しているのは、ルリの態度でわかるのだった。
 ルリが歯牙にもかけなくていい娘には、子猫に近づかないように言い聞かした。情を持ってしまっては困るからだ。貰い手も見つかっているのだし、なるべく、子猫をそっと他所へ移してしまいたいのだ。

(62)・・養子・・
娘が子猫に愛着を持ってしまうのは困るので、早めに養子に出すことにした。
 幸い、一匹の貰い手は、生まれて直ぐの子猫を育てた経験があるので、早くても一向にかまわないと言ったが、一匹残っているのなら同じことなのである。
 わたしの苦衷を察したのか、友人はーーいいわよ、二匹とも見てあげるーーと言った。多分、貰うつもりだった以前の子猫が、死んでしまったから、随分待たされたことにも、引き取る弾みがついたようだった。私にとっては、こんな都合のいい話はない。それに、間もなく連れ合いの実家の法事も控えていた。
 友人は、それぞれの違う毛並みのどちらも気にいったようで、縞柄にしようか、黒の斑柄にしようか迷っているようだ。
 「安寿と厨子王は別れ別れに舟に乗せられらんだったかしら」
 「母親と別になったんじゃないの」
 助手席に置かれた子猫は、藁仕上げの籠にいれられたが、友人は体を半分に折って中を覗きこんでいた。
 私はどういう結果になっても、一向に影響しないので、黙って彼女の迷いを眺めていた。

子猫出産

2006年11月28日 火曜日

 ルリが出産した。
 いつの間にか二匹の子猫をが箱の中に蠢いていて、覗いても、生れた報告するわけでもなく、無心に子猫を舐め尽くしていた。
 黒のブチとモノクロの縞猫、前回の毛並に似ていたから、相手は同じ猫かもしれない。
 以前の経験から、あまり覗いてはいけないし、子猫に触ってもいけないと娘にも言い聞かせていた。今回は最初から自分の居場所があったせいか、与えてあった箱から運び出すことはなかった。
 食事時になると自分だけが箱から出てきて、餌を食べていた。
「ルリちゃん、生れたんだねー」と言っても応えるわけでもなかった。
 
 ときどき、箱の中をさり気なく覗いた。二匹は一つの塊になって声も出さずに、もくもくと動いていた。目も開いていないように見えた。
 絶えず子猫を舐めているルリは母親そのもの、すべて母親の仕草であった。子猫を食べてしまうのも母親であり、弱った猫を見捨ててしまうのも動物の母親なのかもしれない。最初に我が家に咥えてきた子猫は、きっともう育たないと本能で察知していたのだろう。
 私が子を生んだときは、看護婦さんが「女の子」ですよ、と見せてくれたときに、満足な体なのだろうかという意識を持ちながら対面したものだ。ルリも舐めながら、子猫が五体満足なことを確認しているのだろうか。
 五体満足に子猫を生んだルリだが、一度も子育てを完成させていないだ。

 盗み食い

2006年11月28日 火曜日

(58)・・盗み食い・・   [千夜一夜猫物語]  
 客を送り出して戻るまでの時間にルリが食べ残した魚をテーブルから引きずりおろして食べていた。骨をテーブルから引き摺り下ろす弾みに、魚の身が畳に散乱したのだろう。それを舐めるような格好で拾い食いしていた。
 私たちが戻っても、悪びれもしないで、
ーー文鳥は食べてはいけないが、食べ残されたものはどうせ自分の食事なのでしょーー
と言っているのだろう。
 「それは、確かに明日の朝食にまわるのだけれど、むやみにそんな食べ方されては困るのですよ。ルリちゃん」
 そう言っても、こぼれた魚の身を、食べるのを辞める気配はない。奪われそうに思ったのか、
 「フー」
 と威喝さえしていた。
 「だめでしょ」などと言っても聞えない振りをきめていた。そう、ルリはいつも都合の悪いことは聞えない振りをするのだ。骨を遠くへ骨を引きずっていって、なおさら汚れを広げていた。
やっぱりネコだった。

 美猫

2006年11月28日 火曜日

  散歩から帰ってきた連れ合いが
 「ルリはこの辺の何処の猫より美人だな」
 と言った。私も、珈琲を口に含みながら、当然というようにうんうんと頷いていた。
グレーと黒の縞柄は上品さを醸し出し、首のまわり、鼻の先、お腹の白さが,モノクロの縞柄の上品さをさらに際立たせていた。
 顔も鼻筋が通って、賢そうだった。とは言っても、芸をするわけではない。ただただ、ダメといったことを守ってくれるだけだった。蛇を獲ってくることもなく、秋になっていた。
 
るりの写真が見つからないまま、どこかに似た猫がいないかなーと思っていた。ルリは雑種のどこにでも居そうな猫ではあるが、その色合い、模様のありようが微妙にいいセンスをしていた。
 ところが、思わぬところにルリそっくりな猫がいた。古い雑誌の写真,俳人長谷川かな女の傍らに納まっていた。
 1887年生れのかな女だとすれば、さしずめ1907年くらい。今から百年ほど前に映されたものである。窓辺に置いた文机の前に若いかな女が坐って、傍らにルリにそっくりの猫が侍っていた。モノクロ写真だから、その猫の毛並みの色は本当はモノクロではないかもしれない。しかし、ルリは写真の色合いそのものであり、写真そのものの端正な顔であり、スタイルであった。

 なわばり

2006年11月28日 火曜日

 ルリはあいかわらず、我が家の前を、というより我が家のまわりをうろつく犬も猫も許さなかった。人間が引っぱっている散歩の犬に襲いかかった。まるで、その犬を連れている人間の存在など無視しているのである。多分、経験した人は、我が家の前を通らなくなっているのだろう。犬なら最初に吠えるから、相手も身構えるのだが、猫の場合は何処からともなく、風のように襲いかかるので、散歩の人も、犬も、ふいをつかれて吃驚するのだろう。
 でも、あのころ、そんな繰り返しは何回もあった筈だが、誰も苦情を言ってくる人はいなかったのが不思議である。もっとも、わたしも、自分の家の猫ではないような顔をしていた。ルリのテリトリーの守り方はまるでオイハギのようだった。
 
追剥ぎとは追って行って、身ぐるみ剥いで奪いとること。もうそんな言葉はあまり使われなくなった。その懐かしい言葉を地元の人から聞いたのは、ルリが家にきてからのこと。
 「子供のころ洗い場のあたりは、オイハギが出たのよ」
 その子供の頃とは、当時からでも40年以上、今からなら60年以上前のことなのだろう。
 家の前の道を300メートルくらい右へ行くと道が突き当たる。そこに洗い場がある。地名が「瀧の根」という、そのあたりから、流れ出す清水が、コンクリートの貯水曹に溜められて、農家が野菜を洗っていた。
 庭に引き込んで、野菜の洗い場を作っている農家もあった。我が家の前の側溝には、絶えず野菜の屑が流れていた。私も子供の泥靴をそこで洗っていた。
 「瀧の根」とはよく付けたものである。『武蔵野夫人』に出てくるハケの類だろう。今は跡形もないが、「瀧の根」由来の湧水は今もあって、公園になっている。

 蛇

2006年11月28日 火曜日

  反応が無いばかりか、私が真剣になればなるほど、るりは部屋から出て行く算段をしていた。もうそろそろ退散してもいいかな、とばかりに、畳にお腹がつくほど身を低くして、前足の一歩を出来るだけ遠くへのばす。そして次の一歩も同じように遠くへ伸ばす。暗闇の泥棒のような身のこなし方だった。
 「おまちなせえ」とばかりに、その片足を私は引き寄せた。
 歌舞伎なら、「待てと御止めなさりしは・・・」と鈴ヶ森の場になる。
ルリはと見れば、 ーかなわないよー、とばかりに、手を離したら逃げようと身構えていた。
 
 訪れた友人はいつも真っ先にルリへ声をかける。
 「ルリちゃん、お利巧ね、迎えに出てくれるの」
 「誰でも、人がくれば真っ先にとびだすの」
 「なーによ、人が喜んでいるのに」
 友人は動物好き。躊躇わずルリに頬ずりをするばかりに引き寄せて、撫でまわしたが、私の言葉に白けていて、部屋を入るなり土産に持ってきたケーキの箱を解きはじめた。
 「ルリちゃんにも買ってきたからねー」
 見ればルリは、頭を床につけるようにして獲物を狙う姿勢になっていた。
 狙っていたのはケーキの包みを解いた紐である。その端がテーブルから垂れ下がりながら揺れていたのである。
 「蛇と紐の区別はするでしょ」
 「でも、何でも動くものに反応するから」私は、紐遊びはやめようと思った。

 蛇の襲来

2006年11月28日 火曜日

客と向かい合っている目に、ガラス戸の外側に張り付いているものが気になった。蛇である。
それが、ガラス戸の外枠をなぞるように微かな動きで上へ移動していた。
 蛇だとすぐに気がついたが、どうしようもないので、早くどこかに行ってくれないかと思いながら、目を離せなかった。
 蛇だけに注目していたので、蛇が何のために登ってきたのかを考えていなかった。
 そのうち、蛇は尻尾の部分を基軸に上体を空に泳がせるようになった。それで初めて、軒下に吊ってある文鳥の籠を狙っていることに気がついた。
一間の二枚戸の左端を蛇は伝い登っていて、小鳥籠は右端の外側に吊ってあった。そんな隔たりがあるのに、親指の太さもない蛇が、小鳥を狙おうとしているのである。
 その隔たりがあることに勇気を得て、蛇の張り付いている戸とは、反対側の戸を開けて、鳥籠を取り込んだ。蛇はまもなくU字形になって、引き返していった。
 そんなこともあるので、鳥籠は、留守の間は、家の中に入れておいたほうが安全なのである。
 ルリと同じ部屋で文鳥はいつも平穏だった。まったく、不思議な猫である。まさか、雀は美味しくて、文鳥は不味いというわけでもないだろうと思う。
 
このあたりには、武蔵野の雑木林がきりもなく続いていたところだったのが想像できる。古くから住んでいたひとたちは、その雑木林を開墾して畑にしたり、住居を構えたりしたようだ。
 丘陵というには大袈裟な、かすかな起伏の裾に、屋敷森の農家があって、その道を隔てて我が家があり、我が家の後には新興住宅地が広がっていた。
 だから、住居や畑や道として整地されていないところが、そのまま雑木林として残っていた。ことに、私の家から眺められるのは、起伏の斜面の裾だから、利用されずに雑木林になっていたのだろう。外出のルリにとっても絶好の環境が揃っていた。

  ルリの絶好の環境は蛇の話題も尽きることがない。 蛇は損な存在である。その姿を晒すだけで、被害意識を持たれてしまうのだ。
 道を隔てた農家の垣根に、ながながと蛇が日を浴びているのを、三十センチもない間近で見るなんてことは珍しくない。日を浴びていたのか、たまたま左右に伸びた枝のまたがって身を乗せていたというべきなのか。
 その姿は恐ろしげであるが、ことさらな被害はない。有ったと言えば、知り合いが夕方雨戸を引こうとして戸袋に手を入れたて、掴んだものが蛇だったとか。
「それでどうしたの」
「私、悲鳴を上げたあと気絶してしまったわよ」
 蛇はその間にどこかに行ってしまったという。その感触が直に感じられてこちらまで、鳥肌が立っていた。
 ーータイヘン、まだルリに蛇を捕ってくるなと言い聞かせていないーー。
 
 私は言霊を信じることにした。祈りだって言ってみれば言霊を発揮しているのである。
 ーールリちゃん、蛇なんて捕ってきてはダメよーー
 そう言ってみても、「蛇」たるものが通じたか。いやいや、言霊の力で通じていくものなのだ。文鳥が無事なのも、きっと言霊の力なのだ。胎教として、音楽や話しかけるということもある。言葉が何語だったとしても、言霊は一つである。
 ルリはといえば、聞えているのか居ないのか、前足をそろえた正座の姿で瞑目していた。まったく、そんなときには、こちらが、ますます必死になってしまう。
 蛇の屍骸が座敷の真中に置いてある場を想像すると、どんなことがあっても、分からせなければならない。

子猫

2006年11月28日 火曜日

子猫をどこかに隠してしまったルリは、それ気にかける素振りも見せなかった。そればかりか、風呂場からますます遠ざかって、いつもの居場所である二階に落ちついてしまった。ルリと同じ位置に坐ると、道の向い側の農家の欅が、腰高の窓からの視線を全部遮っていた。ルリの目線からは見えない高さだった。
 
連れ合いが、風呂場に入ったと思ったら、水を使っている音がした。
「どうしたの」
「子猫を食べちゃたんだ」
連れ合いは、小声でそういうと、風呂桶を洗っていた。
「なぜ分かるの」
「頭が一つあった」
私が便だと思った黒い塊は頭だったらしい。
「危険を感じると食べてしまうことがあるんだ」
連れ合いが帰ってきたので、食事にありつけると思っているルリも風呂場を覗き込んでいた。
ーーなにやっているの、はやく食事にしてくれよーーというかのように「ニャーン」と鳴いていた。みんな、お前のために一家中が大騒ぎになっているのに・・・。わたしは、なんだかどっと力が抜けた。そして同時に、なにやらひどい罪悪を犯したような重たい気分が押し寄せた。
頭は一つしかなかったようだから、もう一匹がどこかに居るのではないかとおもって、外に出てみた。
二階の窓から見えた欅が真っ黒になって覆いかぶさってきた。その隙間に夜空が明るかった。

危険を感じると食べるなんて・・・。調べてみると、そういう事はあるようだった。子猫がストレスの種になると、やはり食べてしまうらしい。
 動物、ことに猫の不気味さを感じる出来事だった。私は早く避妊手術をしなければ、と思った。
 やたらとあちらことらに隠すことに辟易して思いついた窮余の一策が、思いも寄らない展開になってしまった。その日から私は、ひとり密かに銭湯に通った。娘には、留守の間に子猫が居なくなってしまったことにしておいた。
 ルリはといえば、何も起らなかったかのように静かで、暇さえあれば眠っていた。

子猫さがし

2006年11月28日 火曜日

 まだ、生む場所も定まらないうちに箪笥の抽斗で生んでしまい、しかもそこから出されてしまったせいか、新しい産屋に馴染まなかった。
 油断をしていると、子猫をどこかに隠してしまうのである。それが人の手に届かないような箪笥の裏、ピアノの裏と、つぎつぎに場所を変えてしまう。押入れなど、うっかり開けておくと、それこそ、中を空にして探し出さなければならなかった。いちど、連れ出されると、次から次へと居場所を変えるので、どうしていいか分からなくなった。 
 外出から帰ってくると、子猫探しは始まるのである。何処に隠れていてもいいのだが、分からないところで排便されていても困るのである。こんなときには、子猫から家猫としての躾が出来ていたほうが世話がないのかもしれない。与えた箱も気に入らなかったのか、馴染まなかったのか。珍しくて覗いていたのもいけなかったのか。
 それとも私が、貰い手探しに奔走していることを察知したのだろうか。   

或る日、窮余の一策として思いついたのが、風呂場の湯桶の中だった。そこなら、外にも出られるし、隠れるべき家具もない。湯を抜いた湯船にタオルを敷いて、水と餌を入れておけば、子猫を連れ出す場所もない。
 そう思ったのは人間側の考えだった。帰宅して風呂場を覗くと、ルリだけが、のそりと部屋に入ってきた。風呂桶のそこには、餌が散らばっていたが、その中に、排便らしきものもあった。まさか、子猫を風呂桶の下にでも隠したのだろか。みんなが帰ってくるまで、風呂場も使えなまま夜を待った。
ルリは隠した子猫が気にならないのか、平然としていた。
 やはり母性本能のない猫なのだなと呆れていた。とんでもないところに置いてきて忘れてしまったのか。あるいは捨ててしまったのか。あの隠すという行為は誰に隠すのか。今は、何にもなかったように部屋の中に蹲っているのも不可解な行動だった。 
「ルリちゃん、子供はどうしたの」
 そう言ってみても、意固地なくらい気取った正座の姿を崩さなかった。

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