蛇の襲来

客と向かい合っている目に、ガラス戸の外側に張り付いているものが気になった。蛇である。
それが、ガラス戸の外枠をなぞるように微かな動きで上へ移動していた。
 蛇だとすぐに気がついたが、どうしようもないので、早くどこかに行ってくれないかと思いながら、目を離せなかった。
 蛇だけに注目していたので、蛇が何のために登ってきたのかを考えていなかった。
 そのうち、蛇は尻尾の部分を基軸に上体を空に泳がせるようになった。それで初めて、軒下に吊ってある文鳥の籠を狙っていることに気がついた。
一間の二枚戸の左端を蛇は伝い登っていて、小鳥籠は右端の外側に吊ってあった。そんな隔たりがあるのに、親指の太さもない蛇が、小鳥を狙おうとしているのである。
 その隔たりがあることに勇気を得て、蛇の張り付いている戸とは、反対側の戸を開けて、鳥籠を取り込んだ。蛇はまもなくU字形になって、引き返していった。
 そんなこともあるので、鳥籠は、留守の間は、家の中に入れておいたほうが安全なのである。
 ルリと同じ部屋で文鳥はいつも平穏だった。まったく、不思議な猫である。まさか、雀は美味しくて、文鳥は不味いというわけでもないだろうと思う。
 
このあたりには、武蔵野の雑木林がきりもなく続いていたところだったのが想像できる。古くから住んでいたひとたちは、その雑木林を開墾して畑にしたり、住居を構えたりしたようだ。
 丘陵というには大袈裟な、かすかな起伏の裾に、屋敷森の農家があって、その道を隔てて我が家があり、我が家の後には新興住宅地が広がっていた。
 だから、住居や畑や道として整地されていないところが、そのまま雑木林として残っていた。ことに、私の家から眺められるのは、起伏の斜面の裾だから、利用されずに雑木林になっていたのだろう。外出のルリにとっても絶好の環境が揃っていた。

  ルリの絶好の環境は蛇の話題も尽きることがない。 蛇は損な存在である。その姿を晒すだけで、被害意識を持たれてしまうのだ。
 道を隔てた農家の垣根に、ながながと蛇が日を浴びているのを、三十センチもない間近で見るなんてことは珍しくない。日を浴びていたのか、たまたま左右に伸びた枝のまたがって身を乗せていたというべきなのか。
 その姿は恐ろしげであるが、ことさらな被害はない。有ったと言えば、知り合いが夕方雨戸を引こうとして戸袋に手を入れたて、掴んだものが蛇だったとか。
「それでどうしたの」
「私、悲鳴を上げたあと気絶してしまったわよ」
 蛇はその間にどこかに行ってしまったという。その感触が直に感じられてこちらまで、鳥肌が立っていた。
 ーータイヘン、まだルリに蛇を捕ってくるなと言い聞かせていないーー。
 
 私は言霊を信じることにした。祈りだって言ってみれば言霊を発揮しているのである。
 ーールリちゃん、蛇なんて捕ってきてはダメよーー
 そう言ってみても、「蛇」たるものが通じたか。いやいや、言霊の力で通じていくものなのだ。文鳥が無事なのも、きっと言霊の力なのだ。胎教として、音楽や話しかけるということもある。言葉が何語だったとしても、言霊は一つである。
 ルリはといえば、聞えているのか居ないのか、前足をそろえた正座の姿で瞑目していた。まったく、そんなときには、こちらが、ますます必死になってしまう。
 蛇の屍骸が座敷の真中に置いてある場を想像すると、どんなことがあっても、分からせなければならない。

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