‘千一夜猫物語’ カテゴリーのアーカイブ

辛夷

2006年11月30日 木曜日

95)・・辛夷・・
辛夷は欅と並ぶような大木だった。ここに住むまで知らなかった花だ。
辛夷という文字にしても、突然つきつけられたら読めなかっただろう。
花が咲き始めるのは、沈丁花ガ咲いて、その匂いに馴れたころである。
ある日突然、晴天の中の白い光となって開花するのだった。
それからは、毎朝歯を磨くたびに辛夷の樹へ目をやった。一片の白い光は日毎に増えて、一樹に花を盛り上げていった。
その大木が満開の状態になるのには一週間か、それ以上の日にちがかかる。もうこれが最後かなと思うほど花を盛り上げてから、まだ咲いていない枝があったとばかりに、隅々の枝の開花を促すのだった。
東向きの我が家から見る辛夷は、太陽を背負って、油絵を思わせる重厚な色合いを見せた。その花の重なりは、飛び立つ寸前の蝶の大群のような生々しさを感じさせた。花期が特別長いのは、寒暖を繰り返す季節に戸惑いながら咲くせいかもしれない。

(96)・・辛夷・・
辛夷は散るのにも、日にちを費やす花なのである。
散りながら、芽吹いてゆくらしくて、白い花の少なくなった分、緑が一樹に纏うようになる。そのうち、大方の枝々に緑色が纏う頃には、ところどころに残った辛夷の花の白さが、余計に目だってくる。それも、次第に少なくって、一つぐらいしか残らなくなる。一つといっても、それは私のほうから見える位置の樹相だから、裏側の花の付き具合はわからない。窓から見える位置の花がひとつだけ残っているのが、妙に気になって、その頃になると、毎日一度は眺めていた。
(97)・・辛夷・・
辛夷の花に気をと取られているうちに、毎年、周りの木々も、煙のような緑を漂わせているのである。
それは、おもいおもいの衣装を纏って、今舞台に立ったかのような佇まいであった。
雑木林の一番美しい時期である。
その中で一際濃い緑色が、辛夷の木である。
その煙のような淡い緑色に見とれているうちに、最後の辛夷も消えていた。
そのときになって、その数日が、実に穏やかな日和であったことに思い至るのである。

(98)・・辛夷・・
2,3分でゆけるバス停まで二通りの行きかたがある。
その一つが、神社のような農家の私道を使わせてもらって、雑木林の下を潜っていく道である。
どちらが近いというのでもなかったが、私は、或る日その農家の私道を抜けてバス停へ向った。
バス道路へゆく曲がり角に、冬の夜になると灯りを見せる家があって、その裏手に、何時もみている辛夷の大木がある。
辛夷が散りつくした或る日、ふと其処を見るとも目がいった。白いはずの辛夷の花びらは、赤みを帯て地面いっぱいに散っていた。
咲いているときには見えない花びらの付け根の赤さが、木から離れて現れるのである。
その赤さがなんだか異様な痛々しさに見えた。

(99)・・辛夷・・
散っている辛夷の花びらの赤さに気がついてみると、急に林の中の小路に一人で居ることが心細くなった。あたりの黒土の暗さにのせた花びらだけが、浮き上がるように白く赤く、周りの暗さを押し広げていた。
そのとき、その花びらの敷き詰められた空間に、のそりと動くものがあった。猫が入ってきたのである。痛々しい辛夷の花びらの敷き詰めれられている空間には犬では似合わない。そのことを、天地をつかさどる神が知っていたかのようである。
猫は、自分のために敷き詰められているかのように、ゆったりとその場所に留まっていた。
縞柄がよく見るとルリに似ていた。いや、そこにいるのはルリだった。
なんのために居るのか分からなかった。「ルリ!」と呼んでみたが、聞えない振りをした。
私たちには聞えない車の音を、遥かなところから聞き取る猫に聞えないはずはないのである。
二度ほど呼んでみたが、私の方を一瞥もしなかった。
まるで、辛夷の下がこの世の外側であるかのように。
「なによ!」と私は呟きながらバス停へ走った。

冬日和

2006年11月30日 木曜日

93・・冬日和・・
朝は窓から見える欅の影が、家の中に倒れこんだ。その枝影の中に動きまわるのは、小鳥たちの影だ。外は枯れ枯れの風景だが、部屋の中に敷かれた欅の影は賑やかだった。
ルリはその欅の網目模様の真中に座り込んで、時々、動く鳥影を前足で押さえようとしていた。
そんなルリに留守番をまかせて外出した。
カモメちゃんが古墳見学に付き合えというのだ。お弁当は作ってあげるから、という。
なんだか不思議な人だ。結婚は悔いているのに、家事は手を抜かない。

94(94)・・春・・
去年の春は、あれほど家を雄猫が取り巻いて異様な声をあげたのに、今年は、いくら季節が過ぎても雄猫が寄ってこない。寄ってこないから、ルリも外に出たがらない。あの騒ぎはなんだったのか。子宮を取ってしまったことが、雄猫に分かったとしか思えない。
家の内外で、雌と雄の気配が分かり合うとすれば、嗅覚なのだろう。間違って、一匹くらい寄ってくる雄猫はいないものだろうか。猫、いや動物の世界にはプラトニックラブなどという感情はないようだ。
ルリもまた、子宮がないことで、発情期が訪れない。極めて平穏な春がやってきた。
この季節の私をわくわくさせるのは、欅より遠いところにある辛夷の大木が花をつけ始めることだった。

平林寺

2006年11月30日 木曜日

(89)・・平林寺・・    
巡らすに蝌蚪の水あり平林寺  作者失念

真冬の寒林が好きである。近くの平林寺の裏手には、武蔵野の雑木林が保護されていた。
越してきたのが、1964年ごろ。その平林寺の裏手の雑木林の真冬は、全く木の葉を落しつくして、向こうが見通せるのである。遥かを猫が歩いているのさえ見落とさない。その透明感が好きだった。
冒頭の句は私が俳句というものに、少し関わったときにはじめて覚えた句である。平林寺を知った頃でもある。なんだかすんなり入ってしまってわすれられない。好きな平林寺を詠んでいるからでもある。
こんな俳句を覚えたのは、やはりここに移り住んだ頃、友人が俳句でもやろうよ、と言って『馬酔木』という雑誌を見せてくれたからである。
当時(1967年ごろ)はその雑誌が我が家の町の書店にも売っていた。
冒頭の句は、その本で見たような気がしたが、作者は失念してしまった。だが、平林寺へ行くたびに思い出す。「蝌蚪の水」の水とは、多摩川から引かれてきている野火止用水の流れである。

90・・悪筆・・
馬酔木に投句していた、月日のあいだに、そこの通信制の添削指導を何度かうけたことがある。
中堅どころの今もまだ健在の俳人である。その俳人が、私の添削原稿に
ーーこんな乱暴な字で投句をしないようにーー
と添え書きがついてきた。
俳句を辞めてしまったのは、その添え書きのせいではない。乱暴に書いているつもりはないのであるが、あまりな度を越した悪筆だからなのだろう。
これに似たことが、高校生のころにもあった。答案用紙なんて、悪筆の上にも悪筆になったしまう。
ーーもっと丁寧に書かないと、大学受験のさいには不利ですよーー
という親切な添え書き付きで戻ってきた。
怠け者の私は、そんなに言われても、一念発起して、字がきれいになるようになどという努力もしなかった。

(91)・・入門書・・

季節を選ばずよく娘を連れて平林寺に出かけた。
別に俳句のために訪れていたわけでもない。
俳句を本気でやろうと思ったことはなかったから、投句に間に合う五句を作るのがやっとだった。当然、何時も1,2句欄だが気にもしなかった。
だが或る日、秋桜子の俳句入門を読んでみたら、毎月30句ぐらいは作らなくては勉強にならないというくだりが目に入った。それじゃ、ぜんぜん及ばないわ、と思ったら、さらに俳句から遠ざかった。あるときの締め切りになっても三句しかなかった。
当然そんなのが選ばれるわけもない。
俳句は直ぐに止めてしまったが、平林寺は飽きなかった。

モルモット

2006年11月29日 水曜日

(86)・・モルモット・・  
連れ合いが、兎のようなものを抱いてきた。夜道で目の前に飛び出してきたのだと言う。
「うさぎ?」
「耳の短い兎なんていないよ、モルモットだよ」
そう言われてみれば、兎ほどの大きさだが、顔は鼠に似ていた。
「どこかで飼っていたんでしょうね。ほっとけば帰るんじゃないの」
以前、文鳥を逃がしてしまったときに、鳥籠を軒下に吊っておいたら帰ってきたことがあるからである。
「どうかなー」
連れ合いばかりがよく小動物を拾ってくる。
ルリが覗きに来た。このくらい大きければ、ルリが襲うこともないだろうと思ったが、念のために、「ダメヨ、を繰り返した。
ーーわかっているよ、それよりまだ夕飯食べていないよーーとばかりにいつもの、いつも食器を置く位置に座っていた。
ひとまずは、笊でも被せておけばいい。明日は、「モルモットを預かっています」と書いて、屏に貼り付けておくことにした。

(86)・・母性・・    
何時もの場所、何時もの食器に夕食を入れた。
魚のフレークをご飯にまぶしたものなので、モルモットも食べるのかな、と思いながら、食器に近づけてみた。
空腹だったのか、「頂きます」の儀式もなしに、わき目も振らずに食べ始めるのだった。
ルリはと言えば、それを、後に控えて見守っているような、順番を待っているような、控えかただった。食欲が今日はないのよ、というわけでもないのだと思うが‥‥静かだった。
まさか子猫だと思っているわけではないだろう。
たまには意地悪をして、食べている最中のお皿を取り上げてみたことがあるけれど、
そんなときは、こんな風におとなしくはしていなかった。唸り声をあげて怒ることもある。
モルモットも他人の家、それも先住者を差し置いて、遠慮することもなく食べていた。動物同士の秩序も不思議である。

暫くルリにモルモットを預けておいた。というよりも、ルリがまるで吾子のように嘗め尽くすので、引き離すわけにはいかないのである。娘も抱きたいようだったが、あまりにルリが慈しむので、抱き取る隙がなかった。
ところが、モルモットのほうは、あっさりしたものである。そんなルリの体温が鬱陶しいとばかりに、ルリの下から這い出して、長椅子の間に潜り込んだり、反対から出てきたりして動き回った。もしかしたら、自分の居場所を探しているのか、見慣れぬ家の雰囲気を探っているのか、落ち着かなかった。
ルリはといえば、部屋の隅で、それを見守る母親役を演じていた。
今夜は何に入れておけばいいのか、探してみたが、モルモットを入れておく籠などあるわけがない。文鳥を籠から出すわけにもいかないし。
連れ合いが、籠を伏せた中に入れて、上から本を載せておいた。

92・・飼い主・・
夜になって家族が揃うとひとしきりは、籠から放してあげた。飼う気がないから、未だにモルモットの籠はない。餌もない。ルリに上げるために用意した食器から相変わらず、モルモットが先に食事を済ませるのである。
その間、ルリは必ず後に控えているのだ。あきらかに、子供の食事を見守っている母親の姿だ。三日経っても持ち主は現れなかったので、
「困ったわー、文鳥がいて、モルモットも飼わなければならないなんて大変じゃない」
そうは言ってみたが、実際の餌係りは連れ合いである。
人並みに心配するのは、なんだか可笑しいような気もしてきた。
それでも、家の中にそんなごちゃごちゃ居るのは鬱陶しいではないか。
寒さは厳しくなるばかりだったから、おき場所も考えなくてはならない。
我が家に懐きはじめて、食事の場所に誰かが立つと、餌を呉れるのかと思うらしくて、喉の奥のほうからクークーというような声を出す。
飼い主が現れたのは四日目だった。寒林の向こうの家よりもっと遠いところから逃げ出してきたのだ。
我が家にモルモットの居ることが分かったのは、張り紙を見た友人が教えてくれたからだとのこと。大きな菓子折りを置いていった。
モルモットが仮のものだったことを、娘もルリもわきまえているようだった。
やれやれ

いじめ

2006年11月29日 水曜日

(87)・・いじめ・・    
小学校の娘が学校から浮かない顔で帰ってきた。気をつけていたら三日ほど続いた。帰ってくるとカバンを置いて、机から離れないので、なんだか真面目になったのか、あるいは宿題がたくさんあるのかな、と思いめぐらしてみた。
だが気がついてから何日目だったか。
「ルリもひとりぼっちなのよね」
と、言っている娘の言葉が耳に届いた。
仲間はずれになったみたいだ。耳に入った言葉を確かめると、ワー、とばかりに堪えていたものを吐き出すように泣き出した。
どうしてそうなったかも聞かなかった。仲間はずれは何にもまして忌忌しき問題だからである。
私は、近所の娘の遊び仲間の家に出かけた。
子供の靴がいっぱいだった。
そこの主婦に訳を話すと、遊びに来ていた子供達を、奥から呼び寄せて事の次第を問いただしてくれた。
わが娘がカバンに落葉を入れたのが、最初の原因のようだった。
一緒に連れてきた娘もそれは認めていた。
「上がって一緒にあそびなさい」
と、主婦が言ってくれて、とりあえずは一件落着。
「よく言い聞かせるから、一緒に遊んでね」
と言い残して家に帰った。
シンデレラの継母はこんなとはしてくれないわよ、と娘に言ってやりたかた。
ルリもたまには役に立っていたのだ。

文鳥も猫も娘も・

2006年11月29日 水曜日

(81)・・文鳥も猫も娘も・・   
文鳥も猫も子供も、一度脳裏に植え付けた印象を消すことが無い。
文鳥が連れ合いのあとを追いかけるように、娘も連れ合いのあとをついて廻った。近所の人は、「お宅のパパとちなちゃんはほんとうに仲がいいわねー」というのだった。
わたしだって仲がわるいわけではないと思ったが、なんでも世の中は、目に見えることが真実として認められるのである。
でも決してめげているわけではない。母親というのは、子と繋がっていることに対しては絶対的な自信があるものである。生んだという実感は強いのである。

(82)・・継母・・   
思い出してみれば、娘が3歳ごろ、歯医者に出かけた。娘を一人には出来ないから、連れていって、言い聞かせて待合室に待たせておいて診察室に入った。だが、やはり一人では耐え切れないらしくて、ドアーの外で私を呼び始めた。そのうち、待合室と診察室の間を区切るドアーの下のわずかな隙間に手を入れて、泣き叫んでいるのだ。私の居る空気のなかに手を伸ばしている、という感じだった。といっても、治療の最中なのだから、応えるわけにもいかない。そのうち泣き止んだのだ。諦めのたのだと思った。治療を終わって待合室に戻ると、見知らぬ年配の婦人が抱いていてくれた。
なんだかわけもなく嬉しい出来事で、抱いていてくれた婦人に感謝した。
なのに、それから間もなくだった。私のことを、娘は「シンレレラの継母」のようだと言ったのは。
ドアーの下から手を差し入れて泣いたことなど無かったみたいに。
あの日も欅がどんどん裸木になっていくときだった。
日曜日もお構いなしに早起きの娘に付き合うのは連れ合いのほうだ。ホットケーキを作るのを娘も手伝ったのだろう。勿論、一人前に手伝いをやらせてもらえて、嬉々と手を貸したのだろう。だが実際の手伝いは楽しいのだが、継母に言いつけられて、家事をやるシンデレラの立場に身を置きかえたのだ。まったく!

猫を投げ落とす・

2006年11月29日 水曜日

(78)・・猫を投げ落とす・・   
 「ルリ! フワちゃんに近づくな」
 と、連れ合いはルリを引き寄せた。
 そう言ったので、この飲み友達は猫嫌いなのかと思った。
 「フワちゃんは残酷なんだ。迷うい込んだ猫を事務所の二階から抓み出したんだ」
 「どうしたの、猫は」
 「死んじゃったよ」
 猫嫌いの上に残酷なんだ。
 「いくら何でもあれはないよなー」
 連れ合いは、まだその時のショックが残っているようだった。
 「だって、死ぬとは思わなかったよ」
 「まだ子猫なんだよー」
 淡々と凄いことをやる人もいるものなのだ。

(79)・・虚構・・   
 ごく私は最近になって村松友視の「あぶさん物語」を読んだ。その中に少年の頃、可愛がっていた猫を何回も屋根から落して遊んだ思い出の場がある。三回目には、猫のほうが必死の拒否反応を見せて、少年だった村松友視の手を逃れていったのである。
 猫は本来は、反射神経が優れていて、床から数十センチのところから落としても、完全に起き上がって、足から着地するのだ。
 しかし、やはり、今飲み友達の話を思い出すと、村松友視の小説のあの場面は虚構かなー、とも思ったりした。

(80)・・O型同士・・   
しかし、フワちゃんと私は波長があうのである。
 連れ合いが、うちのは白菜漬けを作ってくれないから自分で漬けるんだ、と言わなくていいことを、口にするのだ。
 「奥さん、漬物きらいなの」
 「食べるのは好きよ。でも漬けるのは嫌いなの」
 この説明がスーと通じるからである。
 こんな簡単な言葉が大方の人を混乱させるのだ。
ーー食べるのがすきなら作るーー 
 たいがいは、この方程式以外には理解しないのである。
 フワちゃんもわたしも、連れ合いもO型。

吹き溜まり

2006年11月29日 水曜日

75・・吹き溜まり・・
まさに吹き溜まりだなー、と感心した。
 このごろは、外出から帰ると、玄関の前が欅落葉の溜り場になっていた。家の構造が、玄関のところで、凹形になっているので、落葉が溜まりやすい。
 一日に何度掃いてもすぐに落ち葉が溜まるのである。12月に入ると、風が無くても落ち葉し続けた。
 昨日と今日の境は見分けられないのだが、日毎に木々が黄色くなって、世の中が明るくなってゆく。
 玄関をあけると、かならずルリが出迎える。でも、わたしだと「ナーンダ」と思っているのかもしれない。くるりと後を向いて奥へ入ってしまう。
(75)・・葱畑・・  
だんだん分かったことだが、昔、といっても100年ほど前までは追剥ぎも出没したというこの地はこのあたりは、古代から住民がいたようだ。
 葱畑などを気ををつけてみていれば土器も拾えた。葱畑は深く畑を耕すために、下の方にある土と一緒に土器が現れるのだろう。雨上がりの土が少し乾き始めたときには、土器だけがまだ濡れているので、すぐ目についた。
 よそ者同士で、そんな土地を珍しくて歩き回った。勿論成田空港反対運動をしているイルカちゃんも。

(76)・・新羅の民・・   
西から上陸してきた新羅の民は、関東平野に追いやられたのだから、このあたりの住民にしても、その流れを継いでいるものもたくさんいるのだろう。現にここから車で一時間足らずの高麗の血脈は 新羅なのである。日本の猫もそんな渡来人と一緒にきたのかもしれない。
 古代エジプトの壁画の中には、猫が描かれているという。当時のエジプトでは神聖な生物として猫 を祀った。飼い猫が死ぬと喪に服すという記録があるし、16、17世紀ヨーロッパでは、猫は魔女の手下とされて残酷な扱いもしたようだ。
 猫は犬のようには気持ちが分かりにくい。その分人間は勝手な印象で、勝手な想像をしたのだ。

(77)・・平穏・・   
ルリとわたしは昼間はあまり顔を合わせなかった。私が意識していなかったのか、ルリが私を避けているのか、とにかく、ルリはルリの空間で、私は私の空間で一日一日が過ぎるのだ。顔をあわせるときがあるとするなら、玄関に人の気配がするときである。来客やら、集金人やらが戸口にたつと、どうしてだかルリもかならず顔を見せる。
 猫好きの人は必ず子供を誉めるようにルリを撫ぜていく。
 とにかく平和が続くことはいいことだ。避妊手術も済んだので、箪笥の引き出しに子猫を生む心配もない。ましてや、子猫を食べたり、子猫を探しあぐねて頭から玄関の扉に体当たりする心配もない。

避妊手術

2006年11月29日 水曜日

(72)・・避妊手術・・    
 避妊手術のために三日間、動物病院に預けておいたルリを貰い受けてきた。
 手術費一万円也。
 ルリのお腹には真中に十五センチほどの傷が縦に走っていた。一週間くらいしたら抜糸にくるように、という事だったが、ルリはその傷口が気になるらしくて絶えず舐めていた。包帯を捲いてもそれを食いちぎろうとするので、無駄だった。
 文鳥を狙うことは禁じられたが、お腹の傷はどうしても気になるらしかった。病院では、どうやって傷口を防いでいたのだろうか。
 ルリは舐めているだけではない、傷口を縫っている糸を抜きはじめた。傷を縫い合わせている糸は一針ごとに独立しているようにも思えた。いや、そんなことはない筈だ。
 横に渡っている糸を一本ずつ食い千切っていくのだろう。ときどき、長さ三センチずつくらいの糸が床に落ちていた。一週間経ったときには、すっかり糸はなくなっていた。
 呆れ顔で家族が眺めている中で、欅落葉を前足で弄んでいた。十一月に入ると、農家の欅が部屋の中にまで舞い込んでくるのである。

(73)・・初冬・・  
落葉が座敷の中で、風に立ち上がっては走り出す。走るたびに乾いた音をさせた。それをまたルリが追いかけていた。
ここに住みはじめたときは、昭和40年。秋には東京オリンピックが開催されて、朝霞自衛隊駐屯地の中で射撃種目が行なわれた。
 まだ道は舗装ではなく、乳母車が押しずらかった。
 引っ越してきたときに、なんと田舎なんだろうと思った。
 だが暫くして、家の前の雑然と残っている、雑木林と神社のような農家の畑の空間が楽しい眺めになった。
 たしか、東京オリンピックの後、まもなく道という道が、舗装路になったのだ。

獅子舞

2006年11月29日 水曜日

69・・獅子舞・・
朝から笛の音が響いた。人声も車の止まる音も頻繁で、騒がしい。
今日は、神社のような農家の庭で獅子舞があるのだ。春と秋に農家の庭先から氷川神社まで
練り歩いて、夕方帰ってくる。その農家の家が、獅子頭を保存をしているのである。入り口には町の文化財であるために、『獅子舞保存」の碑が立っている。
獅子舞の保存会の世話人達やら、踊る人、笛の吹き手などがぞくぞくはせ参じているようだ。 江戸時代初期のころから家内安全、疫病除けを祈願なのだという。
一日掛かりなので、今日はきっと夕方までざわざわと、人声やら足音やらが響くのだろう。
ルリの避妊手術をしなければならない。

70)・・赤ん坊・・   
 獅子舞の一行が氷川神社から戻ってきたらしい。笛の音が聞えはじめた。農家の庭でまた舞うのである。表に出てみると、もう近所の主婦も群れていた。その輪の中心に赤ちゃんがいた。赤ちゃんは次から次へと手が差し伸べられて、抱かれていた。機嫌がいいらしくて、両手を振りながらニコニコしていた。その笑顔につられて私も抱かしてもらった。
「似合わないわー」
 ところがである。私が抱いたとたんに、同じ隣組の主婦がそういったのである。
「そんなーなんで」
「だってなんだか似合わないわよ」
 そう言われてあわてて赤ちゃんの母親に返してしまった。赤ん坊を似合う似合わないえ抱くものだろうか。帽子や眼鏡を試してみたのなら、そんな批評もあるだろうけれど、子供は似合うとか似合わないとかで抱いたり抱かなかったりするものではないのに。猫だったら、そういう言い方があってもいいけれど。

(71)・・子育て・・   
夜になって、連れ合いに昼間の近所の奥さんに言われたことを告げると
 「半分以上は俺が子育てしたようなものだよなー」
 とその意見を容認するのだった。
 私は、ルリの尻尾を踏みつけてやった。
 「ニャーン」
 とルリは一声あげて連れ合いの膝に逃げていった。
 「産後の肥立ち」という言葉がある。娘の生れた当時、そんな言葉を意識したことはなかったが、今振り返ってみれば、その言葉が当てはまる状態だったのだ。産み落として体重が減るのは当たり前だが、わたしは、一年のあいだに、10キロ近くも減って、40キロを切ったのである。
 近所の主婦が「腰が折れそうよ」といったのだから、激痩せの状態だったのかもしれない。何が原因か分からなかった。別に子育てに悩んだ覚えもなかった。
 だが、体力の低下は、赤ん坊が夜泣きをしても、起きてはいられなかった。泣かしながら朦朧と眠りに誘われてしまう。ふと、気がつくと、連れ合いが娘を抱いていた、ということが幾夜もあった。
そんなに手潮にかければ可愛いにきまっている。
ーーこれからも、思い切り面倒をみさせてあげるわーー
 と心の中で呟いた。

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