文鳥も猫も娘も・

(81)・・文鳥も猫も娘も・・   
文鳥も猫も子供も、一度脳裏に植え付けた印象を消すことが無い。
文鳥が連れ合いのあとを追いかけるように、娘も連れ合いのあとをついて廻った。近所の人は、「お宅のパパとちなちゃんはほんとうに仲がいいわねー」というのだった。
わたしだって仲がわるいわけではないと思ったが、なんでも世の中は、目に見えることが真実として認められるのである。
でも決してめげているわけではない。母親というのは、子と繋がっていることに対しては絶対的な自信があるものである。生んだという実感は強いのである。

(82)・・継母・・   
思い出してみれば、娘が3歳ごろ、歯医者に出かけた。娘を一人には出来ないから、連れていって、言い聞かせて待合室に待たせておいて診察室に入った。だが、やはり一人では耐え切れないらしくて、ドアーの外で私を呼び始めた。そのうち、待合室と診察室の間を区切るドアーの下のわずかな隙間に手を入れて、泣き叫んでいるのだ。私の居る空気のなかに手を伸ばしている、という感じだった。といっても、治療の最中なのだから、応えるわけにもいかない。そのうち泣き止んだのだ。諦めのたのだと思った。治療を終わって待合室に戻ると、見知らぬ年配の婦人が抱いていてくれた。
なんだかわけもなく嬉しい出来事で、抱いていてくれた婦人に感謝した。
なのに、それから間もなくだった。私のことを、娘は「シンレレラの継母」のようだと言ったのは。
ドアーの下から手を差し入れて泣いたことなど無かったみたいに。
あの日も欅がどんどん裸木になっていくときだった。
日曜日もお構いなしに早起きの娘に付き合うのは連れ合いのほうだ。ホットケーキを作るのを娘も手伝ったのだろう。勿論、一人前に手伝いをやらせてもらえて、嬉々と手を貸したのだろう。だが実際の手伝いは楽しいのだが、継母に言いつけられて、家事をやるシンデレラの立場に身を置きかえたのだ。まったく!

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