平林寺

(89)・・平林寺・・    
巡らすに蝌蚪の水あり平林寺  作者失念

真冬の寒林が好きである。近くの平林寺の裏手には、武蔵野の雑木林が保護されていた。
越してきたのが、1964年ごろ。その平林寺の裏手の雑木林の真冬は、全く木の葉を落しつくして、向こうが見通せるのである。遥かを猫が歩いているのさえ見落とさない。その透明感が好きだった。
冒頭の句は私が俳句というものに、少し関わったときにはじめて覚えた句である。平林寺を知った頃でもある。なんだかすんなり入ってしまってわすれられない。好きな平林寺を詠んでいるからでもある。
こんな俳句を覚えたのは、やはりここに移り住んだ頃、友人が俳句でもやろうよ、と言って『馬酔木』という雑誌を見せてくれたからである。
当時(1967年ごろ)はその雑誌が我が家の町の書店にも売っていた。
冒頭の句は、その本で見たような気がしたが、作者は失念してしまった。だが、平林寺へ行くたびに思い出す。「蝌蚪の水」の水とは、多摩川から引かれてきている野火止用水の流れである。

90・・悪筆・・
馬酔木に投句していた、月日のあいだに、そこの通信制の添削指導を何度かうけたことがある。
中堅どころの今もまだ健在の俳人である。その俳人が、私の添削原稿に
ーーこんな乱暴な字で投句をしないようにーー
と添え書きがついてきた。
俳句を辞めてしまったのは、その添え書きのせいではない。乱暴に書いているつもりはないのであるが、あまりな度を越した悪筆だからなのだろう。
これに似たことが、高校生のころにもあった。答案用紙なんて、悪筆の上にも悪筆になったしまう。
ーーもっと丁寧に書かないと、大学受験のさいには不利ですよーー
という親切な添え書き付きで戻ってきた。
怠け者の私は、そんなに言われても、一念発起して、字がきれいになるようになどという努力もしなかった。

(91)・・入門書・・

季節を選ばずよく娘を連れて平林寺に出かけた。
別に俳句のために訪れていたわけでもない。
俳句を本気でやろうと思ったことはなかったから、投句に間に合う五句を作るのがやっとだった。当然、何時も1,2句欄だが気にもしなかった。
だが或る日、秋桜子の俳句入門を読んでみたら、毎月30句ぐらいは作らなくては勉強にならないというくだりが目に入った。それじゃ、ぜんぜん及ばないわ、と思ったら、さらに俳句から遠ざかった。あるときの締め切りになっても三句しかなかった。
当然そんなのが選ばれるわけもない。
俳句は直ぐに止めてしまったが、平林寺は飽きなかった。

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