‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

山元志津香第二句集『極太モンブラン』 2009年4月  本阿弥書店刊

2009年5月5日 火曜日

  1934年生れ 「天為」同人・「八千草」主宰         栞・小澤克己

    桐一葉ちから抜くこと覚えけり
    寒灯をすこし脚色する自伝
    春はあけぼのなぁんてトースト焦がしてる
    水母見し夜は家中が漣す
    水割りの氷ゆさぶる夜の霧
    クリスマス家々みんな玩具箱
    初簾外からわが家の中を見る
    難しき貌の鮃は裏返す
    大驟雨ひつくり返る逗子海岸
    石鹸を洗ふ日もあり芋嵐
    海底の愚痴をきくかに喰む海鼠
    押す風は返す風なり葛の花

思惟的な「桐一葉」「初簾」「石鹸」「海底」と、感覚的な「水母」「クリスマス」「大驟雨」など。そして諧謔的な「春はあけぼの」と多彩な作り手である。
もともと、志津香氏は連句に造詣が深い。連句の諧謔から学んだものが、作品への膨らみとなり、収まりかえってしまいがちな俳句形式を揺さぶっている。「春はあけぼの」などにその連句の影響が顕著。

川村五子句集第2句集『素顔』20093月 本阿弥書店刊

2009年5月5日 火曜日

昭和17年東京生れ。「鹿火屋」所属。本書は第一句集『初幟』以後の22年間の作品を一集にしたもの。

     花の城銃眼一つあけてあり
    大年の夕日を通す小鳥籠
    すぐ揺らぐ水に帰燕の空ありき
    貝殻の砂こぼしをり梅雨の駅
    燕來し道きらきらと残りけり
    かさかさと鳴る紙袋敗戦日

最近は面白く面白くという志向がもて囃されているので、「鹿火屋」の叙情性などは古いと言われそうな気配がある。しかし、「面白い」はその裏に「かなしみ」の裏打ちがあってはじめて作品として成り立つのである。

川村氏は「鹿火屋」の純粋培養された作家として、叙情性の溢れた作り手である。どの句も透明感がある自然諷詠だ。

大牧宏句集『冬の駅』第六句集  本阿弥書店

2009年4月26日 日曜日

ca390194.JPG

昨日は東京會舘で雑誌「港」の20周年記念祝賀会があった。 そのお土産に頂いた主宰の第六句集。この作家の作品を集中的に読んだことがなかったことが、残念である。なんでもない風景、誰でもいつでも目の前にある風景をを非日常に変える才能をもっている。

軒氷柱太らすために夜はあり
揚雲雀引込線が励まして
ベル押して泣きにくる孫天の川
ヘリコプターは冬麗が好きらしく
エレベーターに人が棒立ち冬の底
踏台に乗らねば出せぬ夏帽子
曼珠沙華在来線のために咲く
しばらくは四隅を撫でて新日記

非日常に誘い込む断定はいさぎよくなければならない。この句集にはそれがある。

山蟻のすすみゆく音大きくなる
岬にて颯爽と風邪ひきにけり
熱燗さへあれば男は天下とる
老班を手にちりばめてクリスマス
文運のあるかなくかは虹次第
咳さえも正しく芸術院会員
満洲といふ国ありし蚊遣香
いくらかは彼岸を照らす花火なり

藤田湘子全句集  角川書店   2009/4/15刊

2009年4月19日 日曜日

一周忌に最後の第十一句集『てんてん』を上梓。没後四年の今年は『藤田湘子全句集』を上梓した。この作家の名前とともに次の2句を思い出す人は多いはず。

    愛されずして沖遠く泳ぐなり     
    雁ゆきてまた夕空をしたたらす    第一句集『途上』

ことに、「愛されず」の句は物語性もあり、さまざまな話題性に富む作品だったからである。平井照敏作かなと思いながら覚えていたのが次の句である。
     
    うすらひは深山へかへる花のごとし   第五句集『春祭』

この第五句集『春祭』は「刻々と氷柱に強き燭たまる」「近づかず離れず朴の冬木あり」で終るのだが、感覚性の作品の多い句集だった。しかし、改めて今回の全句集には「うすらひの」の感覚の句はあまり見当たらない。初期の「愛されず」の思惟性とことばからの触発から「あめんぼと雨とあめんぼと」などの句へ移行しながらも、最後まで思惟的な句が貫いていた。

全句集には別冊の索引が付いている。一つは季語別、一つは作品の上五のことばからの索引である。これが別冊でついているのはありがたい。そのほうが、使いやすいからである。

渡辺信子句集『冬銀河』    巴書林   2009/4/1刊

2009年4月19日 日曜日

跋  島田牙城

    くらげ泳ぐ海底に開く新聞紙           昭和篇
    かすみ草勝手にゆれて戦災忌
    胡桃拾ふ冬日が波のポケットに鳴る
    もじずり草部屋に牧場がないと云ふ
    空に指ふれて花びらふとわたし
    ぼうたんのあたり金色夕仕度
    乾くものから翔つ村中の落葉

    すれちがふ誰もゐぬ野のシャボン玉      平成
    胆管に星のかけらの星まつり
    雪に濡らして読む死後の新聞
    白鳥の助走に我を反らす天

昭和55年に始まる句集で結社に入会して研鑽したこともないようだ。しかし、途中金子兜太の俳句教室に拠ったこともあるようで、すでに志向が自ずと定まっていたのを感じる。

こしのゆみこ句集『コイツァンの猫』 ふらんす堂  2009/4/1刊

2009年4月19日 日曜日

序文・金子兜太

      一階に母二階時々緑雨かな

開いたところから好きになった。

     時々は立ち泳ぎして家族待つ
     金魚より小さい私のいる日記
     帰省して母の草履でゆく海辺
     木の実降る森を歩いて美容院
     僧ひとり霞の中へ掃きにゆく

「木の実降る」「僧ひとり」にしても、シュールな世界の入口にある句。そのあやふさが魅力を発揮している句集。

加古宗也句集『花の雨』  角川書店 2009年3月刊

2009年4月2日 木曜日

加古宗也氏は「若竹」 主宰・この雑誌の源流は村上鬼城。

     地ねぶりの春呼ぶ伊達の郡かな
     瞽女歩みゐしかと越の斑雪野は
     鮎の川はさみ縄文文化圏
     竹夫人ころがつてゐる父の部屋
     また一つ訃やがうがうと蝉の穴
     風鈴や靜に灼くる能舞台
     木犀や尼となりたる白拍子

加古氏の俳句は、風景の裏側に投げられている。それは、過ぎた時代であり、積み重ねられた歴史である。句集名になった(花の雨熱きものいま身辺りに)の熱きものが過ぎた時代への想なのである。その重層性が俳句の骨格を作っている。

石母田星人句集『膝蓋腱反射』ふらんす堂刊  (2009年刊)

2009年3月14日 土曜日

シュールな世界だが、映像はたち易い。季語がみごとに中心に据えてある。

   街中に冬夕焼の棲む扉
   全宇宙に麻酔の及ぶ若葉かな
   新しき翼探してゐる海鼠
   海満たす冬満月の響きかな
   凍蝶の眼に沈みたる巨大船
   億年をかけて雫は白桃に
   春宵の奥の奥には犀の角
   夕芒未完の塔は地にささり

 

百瀬七生子句集『海光』 文学の森刊(2009年刊)

2009年3月14日 土曜日

 この作家も海辺に住んで海辺を好んで、風土の恩恵に素直に身をよせながら詠んでいる。

   あたたかや魚の腹から小魚出て
   流れ来て干潟にのりし椿かな
   引潮を待つて杭打つ朧かな
   蛸の上に置かれし蛸のすべり落つ
   一枚の田のあめんぼのよく見ゆる
   つぎつぎと緑蔭の子の入れ替はる
   青鷺に魚の見えたる身の細り
   走りたき馬を走らす冬紅葉

藤本安騎生句集『高見山』 角川書店(2009年刊)

2009年3月14日 土曜日

吉野という風土を確かに詠んでいる作家

   桃さくら散り込んでゐる傾斜畑
   土砂降りの濁り植田にひろがれり
   ひだる神祀れる峠雛納め
   仏壇の立派が透ける網戸かな
   蛸壺の口を鳴らせり春疾風
   春の雪吹きこんでゐる泉かな
   にんげんを七十七年草紅葉
   豆粒の蛙飛び込む泉かな
   杉山にプールを洗ふ子らのこゑ

トップページ

ににんブログメニュー

アーカイブ

メタ情報

HTML convert time: 0.117 sec. Powered by WordPress ME