‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

セレクション俳人プラス  『新撰21』 2009年12月 邑書林刊

2009年12月17日 木曜日

 これは18歳から40歳の俳人セレクションである。俳句は完成度で言うべきなのだろうか。あるいは、完成度とはどういうことかということを問いかける一書に思える。すでに俳壇のベテランの域に入っている俳人も何人かいて、層の厚い一集である。

 5句づつ選んでみた。もちろん私の不得意の分野の作家もいるが、そうした作家の句は私が理解出来る中で、ということになる。全体的にとても刺激的で、読むのが楽しかった。

越智友亮   1991年生れ

   暇だから宿題をする蝉時雨
   ふくろうや夢に少女が濡れていた
   春ゆうやけ道に平行して線路
   寝て起きて勉強をしてホットレモン
   鳥雲にティッシュ箱からティッシュ湧く

藤田哲吏   1987年生れ

   花過の海老の素揚にさつとしほ
   緑蔭や脇にはさみて本かたき
   たゆたへる海月と気泡ひかりつつ
   身に入むや亀山駅に白き椅子
   フライドポテト一本引き抜きたれば湯気

山口優夢   1985年生

   月の出と商店街の桜餅
   盆の月この世のどこも水流れ
   夏風邪のからだすみずみまで夕焼
   かりがねや背後で閉まる自動ドアー
   腕に腕からめて春は忌日多し

佐藤文香  1985年生れ

   蜩や神戸の地図を折りたたむ
   滝殿の滝のはざまを通りし象
   密漁のごとく濡れて冬の薔薇
   牡蠣噛めば窓なき部屋のごときかな
   祭まで駆けて祭を駆けぬけて

谷雄介  1985年生れ

   君に逢ふため晩夏のドアいくつひらく
   飯置けばたちまち卓や暮の春
   噴水の向かうに近江ありにけり
   新豆腐黙るといふは火のごとし
   七夕や遠くに次の駅見えた

外山一機  1983年生れ

   母問へばあまたの石榴裂かれたる
   皿を売る母千年を立ちつくす
   ある夜は母のかたちに母屈み
   生前のひるすぎにゐて米洗ふ
   両の眼を父に泳がれ泣いてばかり

神野紗希  1983年生れ

   起立礼着席青葉風過ぎた
   寂しいと言い私を蔦にせよ
   トンネル長いね草餅を半分こ
   これほどの田に白鷺の一羽きり
   三月来るナンマンゾウのように来る

中本眞人   1971年生れ

   風船の仕上げは母の息借る
   それらしき穴のすべてが蟻地獄
   竹夫人抱へるやうに編んでゆく
   苗売りの半年前の新聞紙
   枯れてゐる滝壺に雪積りけり

髙柳剋弘   1980年生れ

   浴衣着て思いがけない風が吹く
   木犀や同棲二年目の疊
   如月や鳥籠くらきところなし
   蝶ふれしところよりわれくづるるか
   秋蝶やアリスはふつとゐなくなる

村上鞆彦  1979年生れ

   父の日の夕暮の木にのぼりけり
   空はまだ薄目を開けて蚊喰鳥
   どの実にも色ゆきみちて実むらさき
   短日や梢を略す幹の影
   冬田晴れわたり湯灌のつづきをり

富田拓也  1979年生れ

   月の出や心に貝の渦見えて
   天の川ここには何もなかりけり
   うららかや青海原といふけもの
   赤光の破船に睡る男かな
   虫の夜や絵巻の中は一面火

北大路翼  

   窓外し入れたる机春の風
   木の皮の齧られてゐる白夜かな
   たましいの寄り来ておでん屋が灯る
   ブランコで人生相談冬の月
   豚の死を考へてゐる懐手

豊里友行   1976年生れ

   ふれるなら刃の匂い青葉闇
   甘蔗の羽音星へ血潮の死者の列
   八月の水平線をかき鳴らす
   自転車の車輪がみがく冬の空
   さみしさも僕の衛星冬の蠅

相子知恵   1976年生れ

   ひも三度引けば灯消ゆる梅雨入りかな
   太郎冠者寒さを言へり次郎冠者に
   初雀来てをり君も来ればよし
   ビニル傘はがし開くや冬の暮
   天窓から籠枕投げ寄こす

五十嵐義知  1975年生れ

   足跡の中にも蝌蚪の泳ぎゐる
   朝霧の盆地を覆ひ尽くしけり
   柿吊るし終へたる茣蓙を巻きにけり
   抽斗の小箱より出づ星月夜
   田作り選るとき箸の細かりし

矢野玲奈    

   春の海渡るものみな映しをり
   たんぽpの黄色はみ出す別れかな
   麗かや生春巻のみどり透く
   モナリザの微笑の先の水羊羹
   空也餅ひよいとつまみて良夜なる

中村安伸  1971年生れ

   儒艮とは千年前にした昼寝
   如月の縞を掴めば渦となり
   どの窓も地獄や春の帆を映し
   貨車錆びて百科事典の桜の頃
   明月やむかしの猫を膝の上

田中亜美1970年生れ

   地下水のやうなかなしみリラ満ちぬ
   愛のあと猟銃のあと青無花果
   アルコール・ランプ白鳥貫けり
   昼蛍母はほどけてしまう紐
   鮎食べて昨日の雨を思ひけり

九堂夜想  1970年生れ

   船遠くしてマルメロの日の渡り
   みずうみへ子をかくし持つ蝶の骨
   旅人を四五人折りて奏でんや
   糸遊に商人は租を投げるかも
   日やゆくえ知れずの時のさくらばな

関 悦吏  1969年生れ

   地下鉄を蒲団引きずる男かな
   野に積まれ割るるテレビや花盛り
   灯らぬ家は寒月に浮くそこへ帰る
   存在と時間と麦と黒穂かな
   生きて見る正方形の春の雲

鵯田智哉   1969年生れ

   ゆうぐれの畳に白い鯉のぼり
   とほく見し草の泉に立ちにけり
   雷の来さうな石を拾ひたる
   脚のあるくらげが海に帰りけり
   ゐるはずの人の名前に秋が来る

須川洋子句集『水菓子』  2009年12月  角川書店刊

2009年12月16日 水曜日

 須川さんとはいつからのご縁だったか。どちらにしても、まだ「季刊芙蓉」は創刊されていなかったから、20年以上も前ということになる。率直な会話をする人はいくらでもいるが、その言葉使いがいかにも天真爛漫な「江戸っ子」を感じさせていた。句集のプロフィールを開いてみて、やっぱり江戸っ子だったと再認識した。『水菓子』は『栞ひも』『小鳥来る』に続く第三句集である。

  花の蜜舐めてわたしも飛べさうに
  哄笑すセイタカ泡立草の群
  秋のこゑ鏡の奥にまた鏡
  失敗の龍勢舁ぎ花野道
  ドトールや煤逃げらしき冬帽子
  小春日の大きな蠅を叩きけり
  象の胴に象舎の影が秋の風
  魔女の靴ずらりと春の飾り窓
  マイクでも使ひゐるかに牛蛙
  片蔭をはみ出してゆく犬の影
  秋は夕暮ケータイから目を上げよ
  室咲きやすべては明日考へやう

 好みの句をあげてゆくと、ドゥーグル・J/リンズィー氏の言う(「生きること」について、さらりと、しかし深く追求している‥‥)という帯文に繋がるのである。

豊田都峰句集『土の唄』 2009年11月  俳句四季刊

2009年12月16日 水曜日

 1931年生れ 「京鹿子」主宰。第五句集『雲の唄』で、第一回文学の森大賞を受賞している。写実を確実に醗酵させた作品群で、風土詠をゆったりと捉えている。

  山の端の日へ手をあげてゐる案山子
  凩やふと奪衣婆のあたりとも
  獅子舞のまづ大空を噛みにけり
  麦の秋雲は小粒の二つ三つ
  天からのははそ落葉と拾ひけり

3冊の評論集

2009年11月3日 火曜日

ozawakatumi1.jpg    小澤克己著   『艶の美学』   沖積舎  平成21年10月20日刊

題名からも伺われるとおり、エロスから切りこんだ俳論。芭蕉から能村登四郎まで16人の作品論。

raibaru3.jpg       坂口昌弘著  『ライバル俳句史』  文学も森社 平成21年10月26日刊  

幸田露伴と正岡子規・杉田久女と橋本多佳子・芝不器男と篠原鳳作というように、総勢62人の作品をライバルごとに照射した一書。

satamisann2.jpg       佐滝幻太著『現代俳句評論史ーー掬った水に揺れている月影』
                                      小鳥の巣出版 平成21年11月26日刊

文学の森で評論賞を受賞したー加藤楸邨自選300句を読むー をはじめとして、これまでに『俳句界』やら湖心にこれまでに執筆したも評論を一書におさめた。

増成栗人句集『逍遥』角川平成俳句叢書

2009年11月1日 日曜日

昭和8年生れ 「河」を経て「鴻」主宰

   去年今年耳を冷たくしてゐたり
   蟇老ゆるといふは面白き

 一句目の決して声を張り上げて主張するのでもなく、過ぎ去る時間を、あるがままに享受している姿。二句目はそれをさらに積極的に生きる姿に繋げている。いずれも好感の持てる老いの詠み方である。

   末枯に二羽の雀を加へけり
   近付いてしまへばただの一冬木

 一句目、ただ眼前の風景だけなのに、この温みはどこから来るのだろう。何気なく見ていた末枯の風景に雀が降りてきた。というよりも、視野の入ってきたのだ。それを「加えけり」と自動詞にすることで、わが風景にしている。
 二句目も捉え方としてはい「末枯」の句と同じ視線だ。何気ない視野、その中に映し出される映像の変化のあるとき、ある瞬間に視点を留めている。自然諷詠がそのまま詩になるというのは天性の詩人である。

   溶けさうな母を春野に置いてくる
   裸木の空を一重にしてゐたり

感覚的な捉え方の作品も随所に見られて、癒される作品集である。

稲畑廣太郎句集『八分の六』 2009年10月 角川21世紀俳句叢書

2009年10月28日 水曜日

著者の第二句集で八年間の集成のようだ。
先日、松田ひろむ主宰の「鷗」の八月号で虚子の系図を読んだばかりである。虚子の曾孫、すなわちホトトギスの直系として「ホトトギス」の編集長でもある。これを見るときにプレッシャーもあるだろうな、という思いしきりになる。

   初刷といふホトトギス二月号
   麗かや眼中は皆虚子のもの
   栗踏んで虚子の歩きし径を行く

稲畑廣太郎氏はそれを充分意識して、その上でそれを肯定する生き方を選んでいるように見受けられる。
 言い方を変えれば、居直って虚子の影を自ら踏んでゆく意思が感じられた。

   幾万の椿落ちねばならぬかな
   決断は炬燵を出でてよりのこと

 一句目には虚子の「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 」。二句目には「春風や闘志いだきて丘に立つ 」が甦ってくる。

   虫売の籠に子の顔はりつきし
   紫陽花の毬蹴つてゆく羽音かな
   鐘朧新法王はドイツ人
   風呂吹を吹けば海鳴り遠ざかる

のびやかに、ものの本意を差し出しているこれらの作品は、肯定したわが意思の延長上にあるように見受けられる。

永島靖子第三句集『袖のあはれ』  2009年9月  ふらんす堂

2009年10月9日 金曜日

 あとがきを「俳句は象徴詩である」ということばから書き始めている。20年の年月を凝縮した一集である。今回の句集は、どこを切り取ってもかまわないような静謐な作品が並ぶのは、その二十年という年月の中から整理されたものであるからかもしれない。

   さらはれるなら春雪の畦をこそ
   薔薇の字を百たび書きぬ薔薇の季
   蜘蛛の囲の向う団地の正午なり
   戦争があり大甕に八重桜
   白昼はさびし砂場の雀の子
   廃駅あり冬の落暉を見るために

柴田千晶句集『赤き毛皮』  2009年9月 金雀枝舎刊

2009年10月9日 金曜日

「街」所属だが、その前に詩集を数冊発刊している。

  夜の梅鋏のごとくひらく足
   雪の夜や体重計という孤島
   月の部屋抱き合ふ影は蜘蛛のごと
  独りの夜耕牛に踏みしだかれてゐる
  昼蛙乳房さびしき熱を帯ぶ

二句目の「孤島」の比喩は独創的。四句目はまさに象徴詩というべき類に属する。 今井聖氏が序文で書かかなくても、数ページ繰れば性をテーマにしている作品群であることがわかる。上記の句は目次「軀」の章からの抽出だが、一句目の情景などは開高健の小説の一場面にある。鋏とは言っていなかったが、特異な場面の描写で印象で覚えている。今題名は思い出せないが。
 目次はさらに「横須賀」・「煙の父」・「死霊」・「派遣OL東京漂流」・「赤き毛皮」となる。作者が意識的に作句していることが、内容をわかりやすくしてしまっているかもしれない。

守屋明俊句集『日暮れ鳥』  2009年9月 角川書店

2009年9月30日 水曜日

「未来図」の編集長の著者第三句集。

   雑炊や酔へば故郷のあるごとく
   鯉濃の骨が難儀や春の婚
   コロンブスの卵も竹の子も茹でる

一句目のロマン、二句目の軽み、三句目の機知,多彩な側面を見せる作家である。

   雀には馬鹿にされるし葱坊主
   案山子から見る一軒の夕餉の灯

もうひとつの特徴はことばの自在さ、視点の自在があることだ。

岸本尚毅句集『感謝』2009年9月 ふらんす堂刊

2009年9月29日 火曜日

岸本尚毅氏自選の15句 
  
ときじくのいかづち鳴つて冷やかに
  日沈む方へ歩きて日短  
    初寄席に枝雀居らねど笑ふなり  
    寒々と赤々と正一位かな  
  秋晴の押し包みたる部屋暗し  
  日高きに早や夕ごころ山桜  
  水の底突けば固しや水澄めり  
  焼芋を割つていづれも湯気が立つ  
  暖炉に火なし一切は遺品にて  
  その妻のこと思はるる不器男の忌  
  テキサスは石油を堀つて長閑なり  
  現れて消えて祭の何やかや  
  ある年の子規忌の雨に虚子が立つ  
  さういへば吉良の茶会の日なりけり  
  面白くかなしく遠く涅槃かな 


岩淵喜代子選の15句
  
冬ざれや月の光は押す如く
  凹みたるところが赤き焚火かな
  山あひに金の屏風をきらめかす
  水澄んで青空映る彼岸かな
  降る雨の見えて聞えて草の花
  さういへば吉良の茶会の日なりけり
  馬鈴薯と牛肉買へと梅雨の妻
  わが死後もある波音やうららかに
  そのそばに月あざやかに大花火
  テキサスは石油を堀つて長閑なり
  片蔭が水の面に続くなり
  冬ざれや踏めば水吐く野辺の石
  相似たる朝と夕べ初景色
  夕潮の満ちくるままに泳ぎけり
  昼顔の風の如くに広がりし

 何気なく拾って15句になっが、作者とは二句しか重ならなかった。作る側には、作ったときの思い入れもあるのだろう。作者の選句した句をみていると、「おかしみ」を目指しているような気がした。

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