‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

『長谷川櫂全句集』 花神社   2008年11月刊

2008年12月3日 水曜日

『古志』『天球』『果実』『蓬莱』『虚空』『松島』『初雁』
七句集をひとつに収録したもの。

実をいうとこの俳人の句を句集として読んだことがないのである。全句集を開いて七句集も上梓していたのだというほどの疎い認識しかない。1954年生ということは、現在50代半ばである。

だが、第一句集『古志』の一頁目には次の句が並んでいた。句集を読んだことがないにも関らず端から見覚えの句ばかりである。

      折りて来し椿とりだす麻袋
   春の水とは濡れてゐるみづのこと
   かげろひ易きやう石組まれけり
   春の月大輪にして一重なる
   花過ぎの朝のみづうみ見にゆかん
   葉桜や水揺れてゐる洗面器
   からからと雨戸を廻す杜若
   噴水の頂の水落ちてこず

たぶん繰り返し作品が誌上に載って目に触れたことで知らない間にインプットしてしまったのだと思う。それほど櫂の句集が世間に鮮烈に迎え入れられた、ということなのだろう。今読んでもこの第一句集はいい句集だ。
第二句集目はどうだろうか。

   春の水皺苦茶にして渉りけり
   花びらやいまはの息のあるごとし
   筍の貂のごとくに濡れてをり
   冬深し柱の中の濤の音
   いつぽんの冬木に待たれゐると思へ

二句集目は全句集の中ではことに、感性が俳句を作らしめている。自分の深いところから出た呼吸には屈折があって、それがむしろ心に訴えてくる。

無作為に開いた頁は第5句集「虚空」201ページ。

   水にさす影切り分けて水羊羹
   よこがをのいつしか乙女花柚かな
   いつしかに乙女の立ち居花柚かな
   夏蝶によき太き枝あり夏木立
   夏蝶の舞ひ降りてくる深空かな
   音立ててこの世揺れをり氷水
   大地ごと揺れゐる家に昼寝かな
   生き死にを徘徊の種籠枕
   風鈴や天駆け廻りくる風に

以後の句集は、どこをきりとっても背筋正しい呼吸が聞えてくる句が並ぶ。その韻律にのせる作業が俳句を成している。たしかに俳句は575の組み合わせになることであるかのような錯覚でみんなが関っている。17文字に纏めれば俳句となる。その罠に陥った俳人たちのひとりが櫂氏だともいえる。句集を追うごとにその思いは強くなる。この表現なら誰もが作っている。どこにもありそう。まるで、どこかの結社の雑詠蘭のようである。よく整えられた箱庭の風景となる。

句集2冊

2008年11月26日 水曜日

 箭内 忍句集「シエスタ」 装丁は清水哲男2008年10月 (有)オフィス・シーナ

この装丁はいかにも清水さんらしい。そう思うのは清水さんが発信している「Zouhai_10000Pages」というネットで読む雑誌を見ると納得する。そこには毎号美しいグラビアが何ページもあるからである。

    ぴーちゃんを埋むる穴に椿敷く
    鬼灯や要らぬといへば痛む子宮
    書き出しを変へても変へても雪催
    腸の中より発ちぬ冬鷗
    秋蝶は消え合鍵が鉢の下

1960年生れという年代を表出させた個であり孤の発信の一集である。清水さんも箭内さんも文学の森「俳句界」の編集に携っていたが、二人とも今年で編集からは降りるそうである。
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      ~~~~~~~~~~~~~★~~~~~~~~~~~~
自註現代俳句シリーズ平沢陽子集 2008年12月・俳人協会刊

自註というのは俳句がはっきり自分史を形にするものだということをしみじみ感じさせた。

   日溜りのごとく姉ゐてしどみ咲く
   聞かざればよかりし風船かづらかな
   いもうとのままに老いたり桜餅

秋山實初期創作集・『天鳩』

2008年11月14日 金曜日

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 序・岡野弘彦  解題・村永大和  あとがき・秋山素子

現在の俳人たちは「巳乃流」の表記でインプットされているかもしれない。今回の『天鳩』は表題にもなっているように初期創作集である。若いときの創作熱が、のちの名編集長を作り上げたのか思えるような多彩な才能が盛り込まれている一集。

1・小説集 
2・短歌集
3・詩集

以上の3つの構成で学生時代からの同人誌などに発表したものの中から抜粋したものだという。『天鳩』は一章の小説の題名になっているもの。どの小説も青春性を謳歌している。

当時の心情がいちばん分かりやすいのは、3章の詩の部分だろう。若者特有の自己粉砕を試みているようにも思えた。絶望を書くのもまた青春である。その絶望感から、本物の文学が始まるのだと思う。

秋山さんは、それをバネに編集という分野に歩み始めたようだ。絶望を知らないで、文学の場にいる人は、本物にはなれないと思う。

荒井八雪第二句集『蝶ほどの』 3008年11月  文学の森刊

2008年11月11日 火曜日

 著者略歴がきわめて簡単で、現在の所属が「句歌詩帖『草蔵』」「同人誌『大』」であることだけが書き記されている。終刊になった西野文代主宰の「文」にも参加していた。
句集の題名になったのは以下の作品
   
      蝶ほどの脳味噌あらば飛びにけり
    
一集は西野主宰の自在さに影響されていると思う。何気ない日常を視野に入れながら、その表現も沈着な写生。

   水底に影の伸びたる蝌蚪の紐
   巻葉まだ捧のやうなる芭蕉かな
   通されし部屋より夜の刈田かな
   牛膝ひとに着くとき尖りたる
   陽に当てし穀象逃げる逃げとほす

そうして取り合わせとも言えない偶発的な取り合わせの面白さ。

   流氷に合切袋一つ持ち
   蝌蚪生るる生春巻の皮透けて
   黒を着ておたまじゃくしと同じなり
   風船をつくときの唄忘れけり
   母あれば五月の第二日曜日
   けとばすに丁度いい石入学す

『時空のクオリア』 ・朝吹英和著   2008年10月ふらんす堂刊

2008年11月8日 土曜日

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著者は1946年東京生まれ。「握手」「俳句スクエア」同人。
一集は、一「音楽と俳句」・二「磯貝碧蹄館の時間」・三「句集・俳句鑑賞」・四「俳句とエッセイ」・五「詩人・森永かず子の世界」の五章で構成されている。一章ずつのタイトルでも分かるように、エッセイ集と表示されているが、かなり本格的な音楽評論であり俳句評論である。

著者は音楽に造詣が深く、ベート-ヴェンを語りながら俳句を語る。また俳句を語りながら、音楽を語る。エクルトール・ベルリオーズの音楽を語りながら、俳句に置き換える箇所は圧巻。著書の表題「時空のクオリア」に要約されているように、詩的な空間を探ろうとする意欲を示して、明快な論評である。

池田澄子著『あさがや草紙』 角川学芸出版 2008年8月刊

2008年10月31日 金曜日

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この著書は、角川の『俳句』総合誌に巻頭の文章として二年間ほど連載したものを主軸にした一集である。以前に紹介した「休むに似たり」の評論集と同様の文体である。この文体はまた、これまでの俳句の文体にも通じる独特のもの。

その文体は一章ごとのタイトルにも及ぶ。
   
   送り火のあとも思うわよ
   二月に子を産んだことがある
   鯉幟はすぐからまる
   ぼうたんのあとはほーたる
   狼は松茸に痺れたか

こんな面白いタイトルが並ぶ本がいままであっただろうか。これだけでも、魅力のある書き手であり、人生の見方を感じさせる。  

岸本尚毅 評論『俳句の力学』 ウエップ 2008年10月刊

2008年10月31日 金曜日

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 1961年生、岡山生まれ

先に紹介した田中庸介さんと岸本尚毅氏は、偶然同じ東大卒であり年齢も近い。岸本氏の評論の特徴は俳句にかかわるものにとっての身近かなテーマであること。例えば「季題と取り合わせ」の項目では、花鳥は季題で俳句は季題の文芸。「感覚のついて」のなかでの感覚と感性についての論考などを、きわめて明確に提示させていることだ。

田中庸介 詩集『スウィートな群青の夢』 未知谷 2008年10月刊  

2008年10月31日 金曜日

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1969年東京生まれ
1989年「ユリイカの新人」としてデビュー、詩誌『妃』を創刊。ジャンルを超えた活動を続け、詩の領域を拡げている。詩集に『山が見える日に、(1999年思潮社)』

田中庸介さんは現在「ににん」に評論『わたしの茂吉ノート』を連載している。お目にかかるのは、いつも詩の朗読の会場である。11月2日には、明大のリバデイータワーTPF会場での「東京ポエトリー・フェスティバル2008」にも出演する。

作品は多彩な表現方法で実験的。なかで内証的だが、日常を日常の中で叙述することに、親近感が湧いて面白い。

永島靖子著・『秋のひかりにー俳句の現場』

2008年10月16日 木曜日

永島靖子著・『秋のひかりにー俳句の現場』 紅書房刊  2008年10月刊

高名な永島靖子氏についての認識は随分前からあったし、雑誌での写真も拝見していたが、実際にお目にかかったのは一度しかない。それも、ごく最近のことである。というのは、
   
     切々と海牛もいまかまひ時     藤田湘子

角川の原稿に挿入したい上記の句の出典が判らなくて、いろいろな人に聞きまくっていたときだ。その折に、「鷹」会員の知り合いが永島氏に聞いてくれたのだ。そのとき、氏はすんなり見当つけて引き出してくれた。師の作品を熟知しているのだなーと感心した。

そんなきっかけがあって、何かのパーテイでお礼を兼ねてはじめてご挨拶をした。知的なもの静かな女性という印象を抱いた。その永島氏から送られてきた散文集はページの初めから魅力的だった。「俳句随想」という控えめな分類になっているが、十分評論集である。師の湘子と同行したときの句、

   揚羽より速し吉野の女学生   藤田湘子

この句にたいする各俳人たちの評と自分の解釈との違いを、並べているのが興味を惹く。それは、「飯島晴子逍遥」の項でも、ともに同じ土壌で、俳句を作ってきたものでなければ語れないことが、随所にあった。知的で静寂な内容である。久し振りに、上質な文章を味わった、という気がしている。

『食いしん坊歳時記』 

2008年10月13日 月曜日

榎本好宏著 『食いしん坊歳時記』 角川学芸出版 十月刊

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榎本氏からはお目にかかるたび料理の話を伺っている。かなり専門的な料理をこなすらしい。山菜の話などになると、私のほうも興にのって、かたくりの花が茹でても色鮮やかで、甘酢につけるとまた違う発色をする話などで盛り上がる。だから、著書を頂いても意外な感じはしなかった。

しかし、この書は歳時記である。一章目は会津のたべも。二章目は旅の印象に残った食べ物、三章目は京都の料理のそれであるから、単なる食べ物や料理の話ではなく、一項目ごとに奥がある。でも、話ばかりでは詰らない。一度は手料理を食べさせてくださーい。榎本さんー。

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