2006年11月 のアーカイブ

 蛇の襲来

2006年11月28日 火曜日

客と向かい合っている目に、ガラス戸の外側に張り付いているものが気になった。蛇である。
それが、ガラス戸の外枠をなぞるように微かな動きで上へ移動していた。
 蛇だとすぐに気がついたが、どうしようもないので、早くどこかに行ってくれないかと思いながら、目を離せなかった。
 蛇だけに注目していたので、蛇が何のために登ってきたのかを考えていなかった。
 そのうち、蛇は尻尾の部分を基軸に上体を空に泳がせるようになった。それで初めて、軒下に吊ってある文鳥の籠を狙っていることに気がついた。
一間の二枚戸の左端を蛇は伝い登っていて、小鳥籠は右端の外側に吊ってあった。そんな隔たりがあるのに、親指の太さもない蛇が、小鳥を狙おうとしているのである。
 その隔たりがあることに勇気を得て、蛇の張り付いている戸とは、反対側の戸を開けて、鳥籠を取り込んだ。蛇はまもなくU字形になって、引き返していった。
 そんなこともあるので、鳥籠は、留守の間は、家の中に入れておいたほうが安全なのである。
 ルリと同じ部屋で文鳥はいつも平穏だった。まったく、不思議な猫である。まさか、雀は美味しくて、文鳥は不味いというわけでもないだろうと思う。
 
このあたりには、武蔵野の雑木林がきりもなく続いていたところだったのが想像できる。古くから住んでいたひとたちは、その雑木林を開墾して畑にしたり、住居を構えたりしたようだ。
 丘陵というには大袈裟な、かすかな起伏の裾に、屋敷森の農家があって、その道を隔てて我が家があり、我が家の後には新興住宅地が広がっていた。
 だから、住居や畑や道として整地されていないところが、そのまま雑木林として残っていた。ことに、私の家から眺められるのは、起伏の斜面の裾だから、利用されずに雑木林になっていたのだろう。外出のルリにとっても絶好の環境が揃っていた。

  ルリの絶好の環境は蛇の話題も尽きることがない。 蛇は損な存在である。その姿を晒すだけで、被害意識を持たれてしまうのだ。
 道を隔てた農家の垣根に、ながながと蛇が日を浴びているのを、三十センチもない間近で見るなんてことは珍しくない。日を浴びていたのか、たまたま左右に伸びた枝のまたがって身を乗せていたというべきなのか。
 その姿は恐ろしげであるが、ことさらな被害はない。有ったと言えば、知り合いが夕方雨戸を引こうとして戸袋に手を入れたて、掴んだものが蛇だったとか。
「それでどうしたの」
「私、悲鳴を上げたあと気絶してしまったわよ」
 蛇はその間にどこかに行ってしまったという。その感触が直に感じられてこちらまで、鳥肌が立っていた。
 ーータイヘン、まだルリに蛇を捕ってくるなと言い聞かせていないーー。
 
 私は言霊を信じることにした。祈りだって言ってみれば言霊を発揮しているのである。
 ーールリちゃん、蛇なんて捕ってきてはダメよーー
 そう言ってみても、「蛇」たるものが通じたか。いやいや、言霊の力で通じていくものなのだ。文鳥が無事なのも、きっと言霊の力なのだ。胎教として、音楽や話しかけるということもある。言葉が何語だったとしても、言霊は一つである。
 ルリはといえば、聞えているのか居ないのか、前足をそろえた正座の姿で瞑目していた。まったく、そんなときには、こちらが、ますます必死になってしまう。
 蛇の屍骸が座敷の真中に置いてある場を想像すると、どんなことがあっても、分からせなければならない。

子猫

2006年11月28日 火曜日

子猫をどこかに隠してしまったルリは、それ気にかける素振りも見せなかった。そればかりか、風呂場からますます遠ざかって、いつもの居場所である二階に落ちついてしまった。ルリと同じ位置に坐ると、道の向い側の農家の欅が、腰高の窓からの視線を全部遮っていた。ルリの目線からは見えない高さだった。
 
連れ合いが、風呂場に入ったと思ったら、水を使っている音がした。
「どうしたの」
「子猫を食べちゃたんだ」
連れ合いは、小声でそういうと、風呂桶を洗っていた。
「なぜ分かるの」
「頭が一つあった」
私が便だと思った黒い塊は頭だったらしい。
「危険を感じると食べてしまうことがあるんだ」
連れ合いが帰ってきたので、食事にありつけると思っているルリも風呂場を覗き込んでいた。
ーーなにやっているの、はやく食事にしてくれよーーというかのように「ニャーン」と鳴いていた。みんな、お前のために一家中が大騒ぎになっているのに・・・。わたしは、なんだかどっと力が抜けた。そして同時に、なにやらひどい罪悪を犯したような重たい気分が押し寄せた。
頭は一つしかなかったようだから、もう一匹がどこかに居るのではないかとおもって、外に出てみた。
二階の窓から見えた欅が真っ黒になって覆いかぶさってきた。その隙間に夜空が明るかった。

危険を感じると食べるなんて・・・。調べてみると、そういう事はあるようだった。子猫がストレスの種になると、やはり食べてしまうらしい。
 動物、ことに猫の不気味さを感じる出来事だった。私は早く避妊手術をしなければ、と思った。
 やたらとあちらことらに隠すことに辟易して思いついた窮余の一策が、思いも寄らない展開になってしまった。その日から私は、ひとり密かに銭湯に通った。娘には、留守の間に子猫が居なくなってしまったことにしておいた。
 ルリはといえば、何も起らなかったかのように静かで、暇さえあれば眠っていた。

子猫さがし

2006年11月28日 火曜日

 まだ、生む場所も定まらないうちに箪笥の抽斗で生んでしまい、しかもそこから出されてしまったせいか、新しい産屋に馴染まなかった。
 油断をしていると、子猫をどこかに隠してしまうのである。それが人の手に届かないような箪笥の裏、ピアノの裏と、つぎつぎに場所を変えてしまう。押入れなど、うっかり開けておくと、それこそ、中を空にして探し出さなければならなかった。いちど、連れ出されると、次から次へと居場所を変えるので、どうしていいか分からなくなった。 
 外出から帰ってくると、子猫探しは始まるのである。何処に隠れていてもいいのだが、分からないところで排便されていても困るのである。こんなときには、子猫から家猫としての躾が出来ていたほうが世話がないのかもしれない。与えた箱も気に入らなかったのか、馴染まなかったのか。珍しくて覗いていたのもいけなかったのか。
 それとも私が、貰い手探しに奔走していることを察知したのだろうか。   

或る日、窮余の一策として思いついたのが、風呂場の湯桶の中だった。そこなら、外にも出られるし、隠れるべき家具もない。湯を抜いた湯船にタオルを敷いて、水と餌を入れておけば、子猫を連れ出す場所もない。
 そう思ったのは人間側の考えだった。帰宅して風呂場を覗くと、ルリだけが、のそりと部屋に入ってきた。風呂桶のそこには、餌が散らばっていたが、その中に、排便らしきものもあった。まさか、子猫を風呂桶の下にでも隠したのだろか。みんなが帰ってくるまで、風呂場も使えなまま夜を待った。
ルリは隠した子猫が気にならないのか、平然としていた。
 やはり母性本能のない猫なのだなと呆れていた。とんでもないところに置いてきて忘れてしまったのか。あるいは捨ててしまったのか。あの隠すという行為は誰に隠すのか。今は、何にもなかったように部屋の中に蹲っているのも不可解な行動だった。 
「ルリちゃん、子供はどうしたの」
 そう言ってみても、意固地なくらい気取った正座の姿を崩さなかった。

猫と蜥蜴と

2006年11月28日 火曜日

  この頃庭に降りると蜥蜴が走る。はじめは驚いたが、必ず目にするうちに慣れていった。慣れたといっても好きになったという訳ではない。庭に降りるときの踏み出しを、大袈裟に地を踏む。蜥蜴に知らせるつもりなのだ。そうすると必ずトカゲが走りだす。そして必ず同じ木犀の木の下に貼りつくのである。
 多分そこは土があって、保護色のつもりなのだろう。しかし、あきらかに土の色とは区別が出来て、蜥蜴の四肢のその先端まではっきり見えるのに。草陰にいたほうが余程気づかれないのに、と思った。
 2メートルくらいしか離れていない土の上から逃げようともしない。「猫に似ている」と思った。猫も追えば逃げるのだが、ある距離を保って様子を伺っているのである。こちらが、その距離を縮めれば、その近づいた分だけ遠のくだけのことなのである。

里親さがし

2006年11月28日 火曜日

猫の子はどのくらいお腹にいるのだろうか。
友人が3ヶ月くらいではないかというので、まだまだだと思っていたのに、或る日帰宅したら、子猫が生まれたていた。それもなんと、私の箪笥の抽斗の中なのである。多分少し空いていたのかもしれない。私の下着をクッションにして2匹の子猫が動いていた。
一匹は虎猫でルリと同じ毛並みだが、もう一匹は黒猫だった。きっと父親が黒いのだ。
まだだと安心していたので、貰い手がまだ見つかっていない。
近くの友人に当ってみると、
「そんな、悠長なこと言っていられないわよ。明日からナリタにいかなけれならないんだから」
とにべもない返事。
ーーナリタ?−−
「そうよ、成田」
そうだ、友人は、成田新空港反対闘争に参加していたのだ。

 成田新空港反対闘争に参加していた友人と私が接しられるのは、読書の話題とハイキングくらいなのである。
 なぜかといえば、世の中に画然と主義をもちそれを実行している人には、なにか太刀打ちできないものがある。友人の言動のすべてが正しいのである。そして、本来は、世のため人の為に何かをしなければならないのも、私は十分知っているのである。
 しかし、私は彼女に一歩も二歩も退いている。それだけが生き方ではないという事を、説得できる論理を持ち合わせないからである。そのために生れた負い目のようなものがある。 
 ナリタに行くという友人に、
 「それじゃ竹槍を持っていくの」
 「それはそうでしょ」
 彼女は小柄な私よりもっと小柄だった。後にイルカという名前の歌手がデビューしたときに、みんなが彼女にそっくりだと言った、その髪型までおなじだったのである。
 「そんなにブスじゃーないわよ」と彼女は憮然として言い返したことがある。
 「子猫の貰い手、誰か探してよ、もう生れているんだから」
今は主義も負い目も振り捨てて、誰彼の見境なく頼み込むしかないのだった。
千夜一夜猫物語(37)・・猫踏んじゃった・・
娘が得意の「猫踏んじゃった」をピアノにのせると、私はまた焦ってしまう。
飼い猫はルリだけでたくさんである。ところが家族は以前、ルリが子猫を連れてきた日のことを思い出して,生れるのをたのしみにしていたのだ。
猫踏んじゃったのリズムは娘の子猫への歓迎のリズムなのである。

私は内心ーー冗談じゃないーーと呟いた。
大きくなってみれば親猫が3匹いるようなもの。
また、ひそかに2匹の貰い手探しに奔走した。

東名高速道路

2006年11月27日 月曜日

ーー東名高速道路ってまだ走っていないわねーー
ーーそうだな今度走ってみるかーー
そんな会話から、日曜日に、家族で浜名湖まで、鰻を食べに行った。
帰宅をすると、私以外の家族は真っ先にルリに声をかけた。鍵をあければ、そこに三つ指をついて出迎えるのルリはいたのである。
「ルリちゃんに、お土産買ってきましたよー」
と娘が抱き上げる。
連れ合いはといえば、なんだかぶつぶついい聞かせている。
耳をそばだててみれば、
ーーウチの奥さんは、東名を走ったことがないっていうから、連れていってあげたのに、往きも還りも寝ていたんだよ。これじゃー何しにいったのかわからんーー
そんなようなことを、私に聞えるように言っているのだ。
そう、忘れていたが、私にはあの車の振動が快い導眠剤なのだった。
直接言われたら何か言わなければならないが、ルリに言っているのだから、私は返事をしなくてすむのだった

朝の儀式

2006年11月27日 月曜日

猫も学習するから、与えた朝食が気に入らないと、必ず一声あげて餌係の連れ合いを見上げるのである。多分、それがまた可愛いのかもしれない。
「そんなこと言ったって、今日はこれでガマンしてくれよ」
そんな言い方しても、ルリは甘えれば、もっとおいしい食事が貰えるかもしれないという下心がある。
「ニヤーン」
と、それはそれはか細い、女性的な声で連れ合いを見上げるのである。
雄猫でもあんな仕草であんな声なのだろうか。
だが、朝はそんなことにはかまっていで、出勤してしまう。そうしなければ、ルリだけでなく、家族も飢えてしまうのだから。
連れ合いが、玄関を出てしまえば、与えられたお皿に顔を埋めて、一心不乱に食べ始めるのも毎度の行動である。あきらめがいいというのか・・。

黒猫のタンゴ

2006年11月27日 月曜日

痩せてると思う気持ちが、ルリに贅沢を教えた。甘えるような訴えるような声に、連れ合いも娘もなかなか慣れなかったのである。
その甘い声に騙されては、自分の食べているものを、惜しげもなく与え続けた。
私には二人のように、動物に口移しで食べ物を与えることなど、小鳥にでも出来ない。
動物の回復力は、大袈裟に言えばスローモーションフィルムをみているようだった。呆れるほどに太ってきた。確かに太ったけれど、そのせいだけではなかった。ルリは一週間の放浪の果てに身籠っていたのだ。

「子育てが出来ない猫が、一人前に身籠らないで!」
子猫を連れてきた三ヶ月前のことが思い出したのだ。子共を咥えて迷い込んできたけれど、お乳を与えようとはしなかったのだ。と言ってみたところで、もうお腹には確実に命が育っているのである。
タイヘン!、一匹で持て余しているのに、子猫が家の中で遊びまわったら、わたしの居場所が無くなってしまう。
それよりなにより、一体猫は受胎からどのくらいの月日で生むのだろう。
ルリのお腹は日毎に大きくなって、床との隙間を縮めていった。

朝食の卓に向き合うと、連れ合いが
「寝言に、歌をうたっていたじゃーないか」
というのである。音痴の私が寝言で歌をうたうとどうなるのか。
「何を歌っていたの」
「そんなにはっきりしていた訳でもないけどメロデイは黒猫のタンゴみたいだったなー」
そのころ娘と同じくらいの少年がそんな歌を歌っていた。その軽快感で、当時、誰も一度は口ずさんでいたと思う。

タンゴ、タンゴ
黒猫のタンゴ
ぼくの恋人!

という歌詞だったような気がする。

孤高

2006年11月27日 月曜日

千一夜猫物語(29)・・孤高・・
毛並みは自分で整えたが、そのやつれ方は直ぐには修正できない。
その哀れさが、家族のことに連れ合いと娘の同情を買った。
ルリの傍らで、いつも娘が父親が寄り添っていた。
誰にもルリの一週間の行動は不明だった。その不明な部分だけルリが神秘的に見えてきたようだ。なんったって、クレゾールを浴びて毛が全く抜けたときも、今回痩身を晒しているときでも、姿勢だけは同じ、いや同じつもりの孤高をきめていた。

戦いすんで

2006年11月27日 月曜日

何時帰ってきてもいいように、風呂場の窓は開けておいたから、ルリは当然のように入ってきた。
悪びれもしないで入ってきたとは言い難いみすぼらしい有様だった。
縞目も薄くなったかのように埃っぽく、頸の周りにスカーフを巻いているような真っ白な毛も鼠色になっていた。
恋狂いの果てのみすぼらしさなのか、単なる疲労なのか、見分けはつかない。
それより目についたのは、痩せ方である。数えてみたら一週間位は、帰ってこなかった。そんな事ってあるのだろうか。
「きたない色になったわねー」
なんて言ってみても、体を洗わせるようなことはさせない。それは、以前、クレゾールをかけられたときに、抵抗されて、経験済みだった。

牛乳を音をさせながら、飲み終えると、それは当然の順序のように体を舐めることに専念していた。そうやって何時の間にか綺麗になる。あたりまえなのだが、恋について語るようなこともない。
「全く、何処まで行ってきなのよ」
そういうと、こそこそと部屋を出ていった。
少し肌寒い日だった。何処に落ち着いたのかとおもったらピアノのうえに、寝転んでいた。高いところの方が、暖かくて,しかも安全なのである。

「ルリちゃんじゃないの」
帰宅の娘の第一声は、久し振りに出迎えてくれたルリへだった。
ルリは誰が帰ってきても、誰が訊ねてくれても、とにかく玄関に出迎える。
「なんだか痩せたねー。どこに行っていたのよ!ルリちゃんー。‥‥‥まったく心配していたんだからー」
こんなとき犬なら、尻尾をふったり、縋りついたりしながら、全身で表現するのだが、猫にはそんな表現力がない。感情が分かるのは美味しいものにかぶりつく時の勢い、そして怒っているときのうなり声だけである。
連れ合いが帰ってきてまたそのやつれ方にひと時ざわめいた。と言っても、こちらだけが勝手に賑わっているだけで、ルリは無表情な顔で餌係の連れ合いを見上げた。
そんなときだけ、「ニャーン」と声をあげるのだ。今夜はお刺身である。ルリの分も買ってある。

夕べの夕食のせいだ。久し振りのルリのご帰還に刺身をたっぷり上げたせいだ。
いつもなら差し出した皿に顔を落として食べはじめる餌を食べないのである。そればかりでなく、連れ合いの顔を見上げては、「ニヤーン」と鳴くのである。
「朝から刺身はないんだ。」
そう言い聞かせても、訴えるようなまなざしを向けてまた、一声上げるのである。
それは家族が食事を終わるまで、続いた。
「これを食べなかったら、夜まで何も食べられないぞ」
といいながら、連れ合いが、出勤のために玄関に下り立った。
ルリが食べ始めたのはその途端でである。
「なーんだ、食べるんじゃない」
そんな私の声には耳も貸さずに、一心不乱に食べていた。

トップページ

ににんブログメニュー

アーカイブ

メタ情報

HTML convert time: 0.130 sec. Powered by WordPress ME