里親さがし

猫の子はどのくらいお腹にいるのだろうか。
友人が3ヶ月くらいではないかというので、まだまだだと思っていたのに、或る日帰宅したら、子猫が生まれたていた。それもなんと、私の箪笥の抽斗の中なのである。多分少し空いていたのかもしれない。私の下着をクッションにして2匹の子猫が動いていた。
一匹は虎猫でルリと同じ毛並みだが、もう一匹は黒猫だった。きっと父親が黒いのだ。
まだだと安心していたので、貰い手がまだ見つかっていない。
近くの友人に当ってみると、
「そんな、悠長なこと言っていられないわよ。明日からナリタにいかなけれならないんだから」
とにべもない返事。
ーーナリタ?−−
「そうよ、成田」
そうだ、友人は、成田新空港反対闘争に参加していたのだ。

 成田新空港反対闘争に参加していた友人と私が接しられるのは、読書の話題とハイキングくらいなのである。
 なぜかといえば、世の中に画然と主義をもちそれを実行している人には、なにか太刀打ちできないものがある。友人の言動のすべてが正しいのである。そして、本来は、世のため人の為に何かをしなければならないのも、私は十分知っているのである。
 しかし、私は彼女に一歩も二歩も退いている。それだけが生き方ではないという事を、説得できる論理を持ち合わせないからである。そのために生れた負い目のようなものがある。 
 ナリタに行くという友人に、
 「それじゃ竹槍を持っていくの」
 「それはそうでしょ」
 彼女は小柄な私よりもっと小柄だった。後にイルカという名前の歌手がデビューしたときに、みんなが彼女にそっくりだと言った、その髪型までおなじだったのである。
 「そんなにブスじゃーないわよ」と彼女は憮然として言い返したことがある。
 「子猫の貰い手、誰か探してよ、もう生れているんだから」
今は主義も負い目も振り捨てて、誰彼の見境なく頼み込むしかないのだった。
千夜一夜猫物語(37)・・猫踏んじゃった・・
娘が得意の「猫踏んじゃった」をピアノにのせると、私はまた焦ってしまう。
飼い猫はルリだけでたくさんである。ところが家族は以前、ルリが子猫を連れてきた日のことを思い出して,生れるのをたのしみにしていたのだ。
猫踏んじゃったのリズムは娘の子猫への歓迎のリズムなのである。

私は内心ーー冗談じゃないーーと呟いた。
大きくなってみれば親猫が3匹いるようなもの。
また、ひそかに2匹の貰い手探しに奔走した。

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