俳句月評 評者 高橋美登里
決闘の足取りで来る鷹匠は 岩淵喜代子
急行の速度になればみな枯野
(俳句2月号)
鷹匠になるための訓練の様子をテレビで見ていた。常に緊張の漂う景であった。作者はその鷹匠の足取りに決闘を感じたのだと思う。車窓の景、急行となると常緑の山も家並も、枯れ勝る彩に呑み込まれて枯一色の景になってしまうのだ。
俳句月評 評者 高橋美登里
決闘の足取りで来る鷹匠は 岩淵喜代子
急行の速度になればみな枯野
(俳句2月号)
鷹匠になるための訓練の様子をテレビで見ていた。常に緊張の漂う景であった。作者はその鷹匠の足取りに決闘を感じたのだと思う。車窓の景、急行となると常緑の山も家並も、枯れ勝る彩に呑み込まれて枯一色の景になってしまうのだ。
合評鼎談(2月号から) 今瀬剛一・岸本尚毅・山西雅子
● 岩淵喜代子 「枯野16句」
山西
地中には蟻の楼閣障子貼る
数へ日の街の起伏を蕎麦屋まで
春遠し漠に鼠のやうな顔
作り方がどれも違うところが面白かったです。
〈地中には〉の句の〈蟻の楼閣〉は「盧生の夢〉の故事を踏まえていっらしゃるんでしょうね。真っ白な障子を日当たりのいいところで貼っている。夢の中の楼閣がちらりとそこに紛れ込んでくるような感じだと思います。
〈数へ日の〉の句は、知り尽くした街を下駄履きで行く感じで、〈街の起伏〉は本当に寄り添っている感じの表現で、実に手練といいますか、納得しました。
〈春遠し〉の句は、〈漠〉は「漠枕」とかで詠まれたりして、どちらかというと幻想的な動物ですが、この句は動物園にいるようなバクですね。確かにネズミみたいな顔をしています。あからさまな現実感、リアリティがあって、三つとも詠み方が違いますが、それはそのままこの16句の弾力になっているような感じがして、面白かったです。
今瀬
〈地中には〉の句は私も選んでいます。大岡信さんに「虫の夢」という詩があります。この句にはその詩と共通するところがある。想像力はすごいですよ。
目も鼻もありて平や福笑
これは面白い。言われると本当にこのとおりです。まさに〈平〉です。なるほど、〈福笑〉を面白い視点から捉えた。
急行の速度になればみな枯野青いところもときどき見えるのです。常磐線でもそうです。それが本来の急行のスピードになると枯れ色しか見えなくなる。まさに真実を捉えていて、スピード感もあります。
岸本
〈地中には〉〈急行の〉の句は戴きました。〈春遠し〉〈目も鼻も〉〈数へ日の〉の句も面白いですよ。
蝋梅の蕊もろともに象牙色
ロウバイの質感がうまく出せた句です。
今瀬
よく作者だけが喜んでいて、読者が冷めてしまう句があるのですが、この句は読者も喜べる面白い作品です。
俳句月評 評者 小林貴子
蝋梅の蕊もろともに象牙色 岩淵だ代子
水餅の浅きところへ手を入れる ″
(『俳句』2月号「枯野」より)
一句目、蝋梅が咲きはじめると春も近いかと嬉しくなるが、ロウバイとはよく名づけられたもので、どこか作り物の蝋細工めいており、生き生きと生きているのか、寒さに負けて凍ててしまったのか、判然としない。象牙色と言われて、また新しい見方が加わった。二句目は句材の水餅が懐かしさを呼び起す。餅に対しても水に対しても、いきなり深みを掴もうとするような乱暴な扱いはしない。〈浅きところへ手を入れる〉と言われると、生活感を離れた叙情性が付与されるのは不思議だ。
現代俳句鑑賞 筆者 今野好江
急行の速度になればみな枯野 岩淵喜代子
『俳句』二月号「。枯野」より
一九七〇年にはじまる高齢化社会が加速している所為か、近ごろ脳科学の発達や身体や健康に関するテレビ番組が多くなった。
確かに若い時に出来たことが急速に出来なくなっているとか――。例えば急行の止まらぬ駅名を読み取ることが出来なくなっているのは動体視力の衰えなのであろうか。
急行の速度は満目蕭条とした枯野の景を展げてゆく。 しかし見方によれば枯れきった野は暖色系の色として、あっけらかんとした明るい景ともいえるのではなかろうか。同時掲載の〈水餅の浅きところへ手を入れる〉の浅きところの微妙な着眼に達観した作者の眼を感じるのである。
現代俳句鑑賞 評者 横井芳夫
急行の速度になればみな枯野 岩淵喜代子
(「俳句」2月号)
枯野の佳句は多いが、この句の面白さは発見にある。一定速度になれば全て枯野に見える、という断定だ。速度は時間の速さでもあるが、掴みどころがない事もある。この句は心象風景と見ても、結構楽しめるのでは。
現代俳句月評 評者 木内憲子
急行の速度になればみな枯野 岩淵喜代子
(「俳句」二月号より)
電車に乗ると先ず外を眺める。ついさっきまで歩いていた道も、日に照らされたビルの窓も、行き交う車さえ現実とは
かけ離れた特別な世界。動く絵画のようでもある。何故か車窓を通して見る景色は魅力に満ちている、ところが電車が速度をあげた途端、上塗りされたようにかすんでしまってもう目は追いつかない。そうして枯野ばかりが印象された、という句意だろうか。或いは、一駅一駅止まる都心を抜けて郊外に向かう電車の、〈急行の速度〉に入った辺りでは一面枯野であった、とも解釈できる。いずれにしても〈急行の速度〉が鍵である。やや翳りある心情を窺わせる〈枯野〉も、疾走感の乾き、に加味されて見事。
俳句の窓 評者 木口みか
狼の闇の見えくる書庫の冷え 岩淵喜代子
(『俳句』二月号)
古い書物の匂い、薄い目差しに煙のように舞う挨…。書庫というものは、どこか恍惚とした思いを誘う。一方、暗がりに思いがけない気味悪さを感じることがある。
油絵具にチタニウムホワイトという色があり「狼色」と呼ばれる。白の中でも特に隠蔽力が強く、他の色を喰ってしまう所以だ。この〈闇〉もそんなふうに、空間も時問も塗りつぶしそうな得体の知れないものだったのかもしれない。
作者は、書架の向こうの闇に何かが潜んでいると感じ、その冷たい視線に触れた。それを〈狼の闇〉と呼んだことで、〈冷え〉は大気の温度から離れ、生々しい感触をもって足元を這いのぼってくる。
現代俳句管見 総合俳誌より 評者・平田雄公子
目も鼻もありて平や福笑ひ 岩淵喜代子
お正月の伝統的な遊戯の一つ、「福笑ひ」。台紙に載せる「目も鼻も」、全て紙製なので、立体感は無くのっぺりと「平」なのだ。鼻や眉を含め、出来上がりの可笑しさを楽しむものだが、平べったさも愛嬌の内、福笑いの面白さを増幅しているよう。
現代俳句月評 筆者 白濱一羊
急行の速度になればみな枯野 岩淵喜代子
(俳句二月号)
作者は列車からわりと近いところを見ているのだろう。列車の速度があがるにつれ、車窓から見える風景が流れ出す。そして、全てが枯野に見えるようになったという。感覚的な捉え方に共鳴した。
鑑賞「現代俳句」 評者 蟇目良雨
一枚の熊の毛皮の大欠伸 岩淵喜代子[ににん]
「俳句」2010年2月号
山奥の宿に泊ろうと大きな硝子戸を開けて土間から一段と高くなった板敷きのロビーに上がると、そこに熊の等身大の毛皮が敷かれていることがある。多分地元で撃ち止めた熊を毛皮にしたものだろうがこの他にも鹿の剥製や狐、狸の剥製などが埃をかぶって飾られている。この乱雑さがいかにも山奥にやって来たなあと思わせるのである。
掲向はこんな光景の中の熊の毛皮なのであろう。頭付きの熊の毛皮は客が来ないことを託つように大欠伸をしてるようにも思えるのである。「大欠伸」の措辞を得たことにより光景が生き生きと動き出した。
作者の「ににんブログ」を読むとひたむきに文芸に携わっている姿勢が見えて力付けられることが多い。また、近著『頂上の石鼎』では原石鼎に迫っている。一読を薦めたい。
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